お好み夜話-Ver2

次は・・・

朝晩の新聞配達で稼いだ金で密かに装備を買い揃え、1974年8月午前4時、誰にも見られずにこっそり家を抜け出し、テントや食料など約30kgの荷物を積んだ自転車で西へ走った。

最初の宿は小田原のユースホステル、次に御前崎の海岸、3日目は浜名湖畔、そして4日目に名古屋に入って交通量の多い街道でトラックに煽られ転倒。

一瞬気を失い膝っこぞうを激しく売って出血、フラフラしながら名古屋の街をうろついて叔父が単身赴任している寮にたどり着いた。

寮母さんから膝に赤チンを大量に塗られ、疲れ切って布団に倒れ込んだのを覚えている。

あの時叔父の布団を真っ赤にしてしまったのだった・・・、45年も前の話しを先日の連休の時に、家族旅行の酒の席で叔父が懐かしく娘や孫に話したのだそうな。

それを通夜の終わったあと従姉妹から聞かされ、なんだかグッときてしまった。


旅行の後自宅に戻り、風呂場で叔父は倒れてひとりで逝ってしまったそうな。

連絡しても出ないのを訝しく思った従姉妹夫婦が駆けつけると、すでに叔父はこと切れていたとのこと。

享年84歳。

警察が変死扱いで現場検証に入り、5時間も拘束されてテンパった従姉妹夫婦から要領を得ない連絡を受けたのは翌日の夜だった。

死が突然きたことはまったく想定外だったのだろう、叔父の顔は安らかで眠っているようで、「どうだ、名演技だろう」とひょっこり起きてきそうだった。

倒れて苦しんで機械に繋がれ生きながらえるよりは、本人も家族も良かったろうが、それにしても死ぬとは思っていないのだから何の心構えも対処もできないのは大変だ。

これからいろいろな面倒な手続きやら、身内の誰も知らない事実が出てきそうな具合で、当分は落ち着かない日が続くだろう。


そういう事実を目の当たりにして、嗚呼、終活しとかないとイカンなとヒシヒシと思った。

葬祭センターは綺麗で設備も良かったが、エアコンがガンガン効いていてすっかり冷え切ってしまった。

「akkoちゃん」の披露宴以来1年ぶりで着たスーツだが、ワイシャツの首回りがちょっとブカブカで、ベルトはゆるく、革靴はくるぶしの骨が当たって痛く、また一回り痩せてしまったのを実感した。

ヤバイね、「トニー・スターク」じゃないけれどビデオメッセージでも残しとかないと、残されたかあちゃんが困るぜ。

とりあえずちゃんと合ったワイシャツを買っとくか・・・。


なんて話していたら、天草から電話。

施設に入っているばあちゃんが、肺炎で入院したとのこと。

検査すると内臓も心臓も弱っていて、もうあまり長くないという。

かあちゃんの兄から、延命はするかどうかの確認の電話だった。

93歳のばあちゃん、今まで元気だったけれどかあちゃんの顔もわからなくなってきちゃって、覚悟はしていたけれどこの時期か・・・。

今月いっぱいもつか、どうか。


そんなことでため息ついていたら、修理に出した食洗機の電子部品がもうすでになくなって、もう直らないと業者から連絡があった。

もう12、3年使っているからしょうがないといえばそうなのだが、さてどうする❓

よくないことはなぜか連続で起こるものだ、ヤだな。


なんか先々の楽しみはないかと考えたら、そうだ

「吉田拓郎」の東京フォーラムのコンサートチケットを引き換えねば。

よし、チケットを手にしたから一安心。

でも、待てよ・・・。

天草のことが気がかりだ、日時が被らないように、ばあちゃん頑張れ‼

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