「東京マラソン」が8日後に迫った24日、雨も上がり気温も上がりそうな朝、こちらが何も言わないうちに小僧がウェアを引っ張り出して着替え、ネックウォーマーとニット帽を出してやって一緒に外へ出た。
ギックリ気味の腰には数日前から温湿布をして腰ベルトを巻いて養生していたのでいくらかマシになったが、これ以上ヤバイことにならないように気をつけけて走らなければ。
改装中の店の様子を小僧はまだ見ていないし、残っている資源ゴミを出さなければいけないので先ずは店まで走った。
相変わらず2、300メーターくらいでふくらはぎが張ってきて息が上がってしまう、店まで1.5㎞くらい走っただけでもう汗びっしょりだ。
業者に挨拶してゴミを出し、裏道を進んで千住大橋を渡り南千住へ向かう。
もうハァハァゼイゼイで、信号待ちに救われる。
南千住駅で折り返し、汐入公園を回って墨堤通りを渡ったところで「むっちゃん」に声をかけられた。
彼女もウェアを着て白い百合の花を持って走っていたのでどこへ行くのかと聞くと、ずっと自宅で介護していたけれど先頃亡くなってしまったお婆ちゃんのお墓まいりだという。
こんな孫がいたらお婆ちゃんも喜ぶさ、「むっちゃん」と来週の「東京マラソンEXPO」の待ち合わせをして別れ自宅へ戻ったら、業者から連絡が入りまた店へとって返す。
店まで走っては歩きたどり着くとエアコンを取り外すところで、冷媒菅をどうするかと聞かれまた使えるなら残しておいてくれと伝えて店を後にした。
ちょっと遠回りしてやっと自宅へ戻ってくると早くも筋肉痛の予感、本日のヨタヨタ走りは13.8㎞、それでもなんとかキロ8分12秒だったからまあいいか。
翌日、思ったとおり両腿がひどい筋肉痛で膝の裏側が痛い。
たったあれだけでこのザマ。
入院中に週2回リハビリをしてくれた理学療法士のお兄さんから、このオヤジの状態だとゆっくり無理をせずリハビリをして2年かかると言われ、冗談じゃない1年で立ち直ってやると力んでみたが、結局2年かかってこの程度だ・・・。
10年でフルマラソンを18回走ったが、5年余り絶不調で入退院を繰り返したら振り出し以下になってしまった。
それなのにまたマラソンにエントリーするなんて人の方が珍しいんだから、いいじゃないゆっくり楽しめば、とかあちゃんが云う。
テレビで「大阪マラソン」の中継を見た。
2011年の第1回大会の時は走りはじめて2度目のフルマラソンで、楽しかったがいろいろ反省点も多かった。(大阪マラソン はんせいのかんそうなのだ 2011年11月05日 参照)
この時代は各地の都市マラソンがたくさん開催されだした頃で、あっちこっちの第1回大会を狙ってエントリーして、大阪に続いて京都・熊本・鹿児島・松本、そしてただ一度の新東名マラソンと、モグランポの常連さんを巻き込んで旅行気分で走りまくっていた。
しかし2013年の「大阪マラソン」は手術後間もないため棄権して、師匠の娘が描いてくれた似顔絵Tシャツを着て「投げちゃん」と一緒に見学に回ったのだ。(大阪スタンバイ 2013年10月06日 参照)
そんな思い出のある「大阪マラソン」だから、走れなくても毎年観ていた。
今年の「大阪マラソン2024」は国学院大の「平林清澄」くんが初マラソン日本最高・日本学生記録も1分半近く更新した2時間6分18秒で初優勝を果たした。
すっかり涙もろくなったジジ・ババは思わず涙を拭って喜んだが、とくにオヤジは「平林清澄」くんに思い入れがあって、かつて退院した直後でガリガリに痩せてしゃがんだら自分で立ち上がれなかった時に観た「箱根駅伝」で、ひときわ細身の「平林清澄」くんと表面的な体のスペック・身長、体重が同じだったので、あれだけ細くても走る筋肉があればできるのだなあと感心し励みになったのだ。
よしっ‼️
とバランスボールに飛び乗ったら途端に足がつってよろけた😓
ヤワだなぁポンコツジジイは・・・。