かあちゃんは店の掃除をしに行き、仕入れは午後からにすることにして、午前中はメニューの仕上げをすることにした。
朝食は病院でも出されたR-1と脂質控えめのシリアルを少し、「バーバーくん」から送ってもらったコーヒーを入れMacの前に座った。
10時を過ぎたころ、なんとなく腹が重くなってきて押すと痛みがあるのに気づいた。
お昼前にかあちゃんが帰ってきたときにはもう座っていられなくなって、横になって断続的にくる痛みに耐えていた。
午後も過ぎ夜になり、食欲はなく風呂も入る気がせず、ただ免疫抑制剤を飲むためだけにおきて水を飲む。
明日、クリニックに電話して指示を仰ごうと、その日は諦めた。
深夜2時、激しい痛みに呻いて飛び起きた。
息もできないほどに鳩尾が締めつけられ、痛みは臍のあたりにまで広がり、苦悶の声を抑えられない。
その声を聞いてかあちゃんが駆けつけるが、どうにもしようがなく救急車を呼ぼうというが、それはイヤだと断りただただ苦痛に耐える。
気を失うようにいつの間にか寝落ちたのだろうが、次に飛び起きたのは5時、獣じみた声を上げるのを抑えられない。
のけ反って腹が突っ張ると激痛が襲うので丸くなって肩を抱く、左肩が異常に痛いのに気づく。
かあちゃんに首筋に近い肩を揉んでもらうと、そこだけでなく腹の痛みも少し和らいだような・・・。
再び救急車を拒否して、寝落ちした。
痛みと寝落ちを繰り返しながら朝8時、小僧が作業所に出かけた後クリニックへ電話。
担当医の指示で女子医大の消化器内科を受診することにして、またも救急車を拒否し、困った時の「ちち」のタクシーに乗せてもらうことにして待つ。
かあちゃんはすでに覚悟して入院のための着替えやら必要なものをバッグに入れて玄関に用意していた。
もはや慣れたものだ・・・。
やがて、ヨタヨタのジジイ状態で「ちち」のタクシーで女子医大に駆けつけ、待合室で座っていられなくてケアルームで横になり点滴、次に車椅子に乗せられレントゲン、造影剤CT、心電図と続き、入院のための最終儀式PCR検査を受け、陰性確認まで待機する病室へ入った。
18日午後5時過ぎ、女子医大病院の第一病棟8階の4人部屋に入院した。
前回入院していた中央病棟は昭和な感じ満載だったが、今回の第一病棟は新しく設備もよく病室も広いのでその点ではストレスがないが、これは常連さんへの配慮?
膵炎の治療は前回同様、絶飲食と大量の点滴のみ。
そう、振り出しに戻るだ( ̄◇ ̄;)
わずか一週間でこの有様、いったい何が引き金になったのだ⁉️
退院後は脂質を控えて肉を食べず、病院で出されたようなものを少量口にしていただけで、もちろん酒は飲まず、体は毎日動かして汗をかいていたが、血圧は低く貧血気味だった。
その点を医者に聞いても、今の時点ではわからない、ということだ。
そりゃそうだ、医者も神様じゃないし、こちとらスーパーリッチな権力者じゃないのだから・・・。
もし癌なら取っちまえば話は早い。
もし手遅れなら、好きにやらせてもらし、立つ鳥跡を濁さず、何もかもスッキリ始末してからくたばりたい。
もう、なんだか、生きていても面白くない・・・なんて、ね。
開けて本日19日朝、右腕にはもうずっと2、3種類の点滴が入りっぱなし、胸と左の人差し指には心電計とパルスオキシメーターがつけられ両腕が制約され、食事も水も取ってないのに腹の虫はグーッと鳴く。
ワガママだな、我が腹よ、切なすぎるぜ´д` ;
なのにまた腹が痛みだす、点滴大盛りにしてくれ〜。
世間の緊急事態は終わってまたマンボウらしいが、このポンコツの緊急事態は引き続きだ。
店の再開は、また、延びる😮💨
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濱のファブル
忌野清太郎
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