絵柄の古さから昔撮ったドラマの再放送かと思ったが、そうではなく
単に1986年が舞台というだけだった。
執筆時の時代設定にした方が納得感は増すのかね?
まあ現代を舞台にすると、スマホは絶対に登場させる必要はあって、
ストーリーにだいぶ影響するだろうが。
――しかし冒頭のシーンはかなりツラかった。
演技力がなあ……。役柄が大学生だから若い役者が出て来るのは仕方ないけど、
ああいうところから物語がスタートしてしまうのはかなりマイナス。
演技ってさ。距離が遠ければ遠くなるだけ力んで無理が見えてくるのよね。
1メートルの距離での会話はそれらしく演技出来てもそれが3メートルになると、
途端にハードルが上がる。
室内と屋外でも違う。屋外での演技って白々しくなりがち。
人工物に囲まれてないからでしょう。
それを、冒頭ボートに乗って波の音に声をかき消されながら演技しろというのは……
演出も脚本も考えなかったのだろうか。上手い役者だって厳しい状況だと思いますよ。
しかもそもそもの話からして、あだ名が「オルツィ」だの「エラリー」だの、
けれんみたっぷりの設定なんですから。
慣れてなさ過ぎて。絶対こんな呼び方しとらんやろ。
「自然な演技」を学んでいる最中な若者たちには難しい。
ネタバレあります。
これ、4話の最後で犯人が判明するが、全5話のドラマにおいてそのタイミングで良かったか。
と、疑問に思ったが――まあ仕方ないのか。
これは原作の責任でもあるしなー。原作の瑕疵は原作の瑕疵としてドラマを責めるのは
止めよう。あ、ちなみにわたしが原作を読んだのは数十年前で、内容については
欠片も覚えておりません。
最後の5話は犯人のナレーションで終始する。これもどうかと思ったんだが、
無理めの動機を心情描写で何とか乗り越えなければならないんだから、
この形式しか無理だったかもね。
この作品は綾辻行人のデビュー作だそうだ。
そうするとねー。この人はねー。新本格のかなり初期の人だから、
リアリティよりも推理のパズル性を重視するのよね。
わたしはそれは好きなんだけど、ドラマにするのはねー。難しいよねー。
ドラマだとね。小説だと使えた目くらましがあまり効果的に使えないという弱みがある。
早い話、ストーリー上でいうと十角館にみんなを招いたのはあの人なんだし、
極力目立たせないようにしていることもあるし、
メタ的に言えば、一人だけ役者の力量がありそうなキャスティングだったこと、
機動力をさりげなく映すこと、――で、犯人はあの人かあの人しかあり得なくなるのよね。
説明された殺人の事実も――いろいろ無理があると言わざるを得ない。
青木崇高と角田晃広がいるシーンは快適。とはいえ、青木の方は
そんなに美味しい役柄じゃなかったわね。
探偵役じゃないよねえ?そして、若い方の子も主人公じゃないよねえ?
二人のうち一人で良かったのに。
でも若者にすると演技的に心もとないし、青木にするともう一人との連絡が出来なくなる。
うーむ。
最終盤、あんなに古めかしい画面作りにしたのは吉と出てるのか凶なのか。
ちょっとこだわりすぎだと感じた。映すものは事件当時のものでいい気がするけど、
それに合わせて構図まで昔に戻すことはなかった気がする。
まあこだわりがあったんだろうね。
腹は立たないし、今後ミステリの名作のドラマ化もどんどんやって欲しいが……
やっぱり難しいんだろうねえ、と言わざるをえない。
今度は島田荘司の「占星術殺人事件」をやってみて欲しい。にやり。
単に1986年が舞台というだけだった。
執筆時の時代設定にした方が納得感は増すのかね?
まあ現代を舞台にすると、スマホは絶対に登場させる必要はあって、
ストーリーにだいぶ影響するだろうが。
――しかし冒頭のシーンはかなりツラかった。
演技力がなあ……。役柄が大学生だから若い役者が出て来るのは仕方ないけど、
ああいうところから物語がスタートしてしまうのはかなりマイナス。
演技ってさ。距離が遠ければ遠くなるだけ力んで無理が見えてくるのよね。
1メートルの距離での会話はそれらしく演技出来てもそれが3メートルになると、
途端にハードルが上がる。
室内と屋外でも違う。屋外での演技って白々しくなりがち。
人工物に囲まれてないからでしょう。
それを、冒頭ボートに乗って波の音に声をかき消されながら演技しろというのは……
演出も脚本も考えなかったのだろうか。上手い役者だって厳しい状況だと思いますよ。
しかもそもそもの話からして、あだ名が「オルツィ」だの「エラリー」だの、
けれんみたっぷりの設定なんですから。
慣れてなさ過ぎて。絶対こんな呼び方しとらんやろ。
「自然な演技」を学んでいる最中な若者たちには難しい。
ネタバレあります。
これ、4話の最後で犯人が判明するが、全5話のドラマにおいてそのタイミングで良かったか。
と、疑問に思ったが――まあ仕方ないのか。
これは原作の責任でもあるしなー。原作の瑕疵は原作の瑕疵としてドラマを責めるのは
止めよう。あ、ちなみにわたしが原作を読んだのは数十年前で、内容については
欠片も覚えておりません。
最後の5話は犯人のナレーションで終始する。これもどうかと思ったんだが、
無理めの動機を心情描写で何とか乗り越えなければならないんだから、
この形式しか無理だったかもね。
この作品は綾辻行人のデビュー作だそうだ。
そうするとねー。この人はねー。新本格のかなり初期の人だから、
リアリティよりも推理のパズル性を重視するのよね。
わたしはそれは好きなんだけど、ドラマにするのはねー。難しいよねー。
ドラマだとね。小説だと使えた目くらましがあまり効果的に使えないという弱みがある。
早い話、ストーリー上でいうと十角館にみんなを招いたのはあの人なんだし、
極力目立たせないようにしていることもあるし、
メタ的に言えば、一人だけ役者の力量がありそうなキャスティングだったこと、
機動力をさりげなく映すこと、――で、犯人はあの人かあの人しかあり得なくなるのよね。
説明された殺人の事実も――いろいろ無理があると言わざるを得ない。
青木崇高と角田晃広がいるシーンは快適。とはいえ、青木の方は
そんなに美味しい役柄じゃなかったわね。
探偵役じゃないよねえ?そして、若い方の子も主人公じゃないよねえ?
二人のうち一人で良かったのに。
でも若者にすると演技的に心もとないし、青木にするともう一人との連絡が出来なくなる。
うーむ。
最終盤、あんなに古めかしい画面作りにしたのは吉と出てるのか凶なのか。
ちょっとこだわりすぎだと感じた。映すものは事件当時のものでいい気がするけど、
それに合わせて構図まで昔に戻すことはなかった気がする。
まあこだわりがあったんだろうね。
腹は立たないし、今後ミステリの名作のドラマ化もどんどんやって欲しいが……
やっぱり難しいんだろうねえ、と言わざるをえない。
今度は島田荘司の「占星術殺人事件」をやってみて欲しい。にやり。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます