物語にもならない

へたくそな物語を書く主の部屋

雨が許される理由

2019-07-31 13:37:21 | 
土砂降りの雨が許される理由は、自然現象だから。
そして土砂降りの雨に向かって文句が言えるのも、自然現象だから。

これが、人工的なものだったならそうはいかない。誰かの故意だとしたらそうはいかない。

吹雪が許される理由は、自然現象だから。
そして、吹雪に向かって文句が言えるのも、自然現象だから。

これが、人工的な攻撃だったとしたらそうはいかない。誰かの故意だとしたらそうはいかない。

雲の形は真実の結晶。
雨が降るのは道理。

だけど、

白衣を着た先生たちは、僕らに不自然な対応をする。
不自然な笑み。不自然な返答。不自然な質問。あげくに話を聞いているフリをしたり、オウム返し、僕の鏡になったつもりの対応、僕が以前言ったセリフをのちにそのまま返したり。

しかし僕らに、その不自然さを否定するタイミングはない。
それがどんな意図で行われているかを知っているのは、教科書で勉強してきた先生の方だけだから。

不自然さは人生にとってマイナスでしかないのに、
「信頼関係」という最も不自然な言葉を掲げて、それを強要する。
強制的に信頼させられて、秘密を告白させ、お金を奪うんだ。

先生は、雨が許される理由と自分たちの横暴さが許される理由を混同している。
それはきっと、先生たちも教科書や定説をそのまま信じているからなのかもしれない。
そこには、不確かな人の心や性格を、誰かが感じたとおりの分類に分け統計として書かれているだけ。

確かにこれまでも、捻じ曲げられてきた。
どの国の教科書にも嘘が書かれてきた。
歴史は、勝った人が書き替えるもの。その国の都合が関わるもの。
TVでさえ平気で嘘を垂れ流し後から平謝りするかスルーして終わり。
それを何十年も信じて生きる人のことなんて考えていない。

どうして?正しい判断ができるのは、本当のことを知ってからだというのに。

歴史を紐解けば、地球には人殺しの子孫しかいない。
それは極自然なことだったのだろう。
でも、僕らはそのことを忘れて生きている。
だからこんなに酷い仕打ちを受けるのだろうか?
この世の中を生きるという仕打ちを。

雲の形は事実の結晶。
雨が降るのは道理。