現実の問題処理・経験の蓄積
第22 回京都賞記念ワークショップ 基礎科学部門
「統計的推論とモデリング」 赤池弘次 より抜粋
・・・・
この式は、情報量I(Q:P)が真の分布QとモデルPの平均対数尤度の差であることを示し、
ある人が、観測値x に関するモデルP の対数尤度logP(x)をP のQ への近さの測定値と
して繰り返し利用すれば、その平均が情報量を定義する量に収斂することを示す。この
ことは、真の分布がその人だけに固有のものであっても、logP(x)はP の良さを判断する
量として彼にとっては合理的な選択であることを示す。
更に、真の分布が社会的にただ一つに決まるという場合には、多くの人に繰り返し利用
される場合の平均は同じ量に素早く収斂するであろう。
これは対数尤度の間主観性(注:補足)を説
明するものであり、これが対数尤度に基づく統計的推論に一種の客観性を与えるとみな
される(2)。この見方から、情報量I(Q:P)を、モデルP の質を評価する規準、すなわち情
報量規準とみなすことができる。
注:補足
「相手の立場になって考えてみる」=「間主観性」
それは、「間主観性」と呼ばれているものです。
英語では「インター・サブジェクティヴ」です。
国と国のあいだの関係、つまり国際は、英語で「インター・ナショナル」ですよね?
それと同じで、間主観性は、まさに主観と主観のあいだの関係を意味します。
(中略)
間主観性というのは、ようするに、「相手の立場になって考えてみる」というだけのことなのです。
統計的推論は何らかのモデルを利用して実行される。モデリングの仕事は心身の働きに
よって遂行される知的な活動であり、対象のイメージを心に抱くことから始まる。この
ようなイメージは、関連する客観的知識、経験的知識、および観測データの蓄積と適切
な使用がなくては得られない。
この場合には、必ずしも数学的表現で記述されない、あるいは計算機で取り扱えない状
況でのイメージやモデルの構築を効果的に指導する原理の展開が必要である。
筆者の見方によれば、
このような研究の素材は
現実の問題処理の経験の蓄積によってのみ獲得される
<イメージとモデルの関係>
ロダンは別の話で、これを
裏付けるかのように、時間的動きのイメージを生み出す要領として、体の各部の刻々の
形の接続によって動きを表現することを説明している。これを動きのモデリングの立場
から見ると、イメージ構成の基本要素が、対象の各部の「安定な静止状態からの逐次的
変位の系列」によって与えられることを示すものと見ることができる。一瞬の姿をこの
基本的要素の繋がりに分解して捉えることにより、初めて動きの解読が実現し、動きの
内容の把握と伝達が可能になる。これは優れた芸術的活動に見られる、高度に知的な情
報処理の実態である。
第22 回京都賞記念ワークショップ 基礎科学部門
「統計的推論とモデリング」 赤池弘次 より抜粋
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この式は、情報量I(Q:P)が真の分布QとモデルPの平均対数尤度の差であることを示し、
ある人が、観測値x に関するモデルP の対数尤度logP(x)をP のQ への近さの測定値と
して繰り返し利用すれば、その平均が情報量を定義する量に収斂することを示す。この
ことは、真の分布がその人だけに固有のものであっても、logP(x)はP の良さを判断する
量として彼にとっては合理的な選択であることを示す。
更に、真の分布が社会的にただ一つに決まるという場合には、多くの人に繰り返し利用
される場合の平均は同じ量に素早く収斂するであろう。
これは対数尤度の間主観性(注:補足)を説
明するものであり、これが対数尤度に基づく統計的推論に一種の客観性を与えるとみな
される(2)。この見方から、情報量I(Q:P)を、モデルP の質を評価する規準、すなわち情
報量規準とみなすことができる。
注:補足
「相手の立場になって考えてみる」=「間主観性」
それは、「間主観性」と呼ばれているものです。
英語では「インター・サブジェクティヴ」です。
国と国のあいだの関係、つまり国際は、英語で「インター・ナショナル」ですよね?
それと同じで、間主観性は、まさに主観と主観のあいだの関係を意味します。
(中略)
間主観性というのは、ようするに、「相手の立場になって考えてみる」というだけのことなのです。
統計的推論は何らかのモデルを利用して実行される。モデリングの仕事は心身の働きに
よって遂行される知的な活動であり、対象のイメージを心に抱くことから始まる。この
ようなイメージは、関連する客観的知識、経験的知識、および観測データの蓄積と適切
な使用がなくては得られない。
この場合には、必ずしも数学的表現で記述されない、あるいは計算機で取り扱えない状
況でのイメージやモデルの構築を効果的に指導する原理の展開が必要である。
筆者の見方によれば、
このような研究の素材は
現実の問題処理の経験の蓄積によってのみ獲得される
<イメージとモデルの関係>
ロダンは別の話で、これを
裏付けるかのように、時間的動きのイメージを生み出す要領として、体の各部の刻々の
形の接続によって動きを表現することを説明している。これを動きのモデリングの立場
から見ると、イメージ構成の基本要素が、対象の各部の「安定な静止状態からの逐次的
変位の系列」によって与えられることを示すものと見ることができる。一瞬の姿をこの
基本的要素の繋がりに分解して捉えることにより、初めて動きの解読が実現し、動きの
内容の把握と伝達が可能になる。これは優れた芸術的活動に見られる、高度に知的な情
報処理の実態である。