変わらざるもの・法は変らず
終戦後間もなく、
復員で薬師寺に戻ってきた高田好胤氏は、
世間の窮乏ぶりを憂い、
僧侶が消費階級に止まることを苦しみ、
薬師寺を出ることを決心し、
師匠の橋本凝胤氏に打ち明ける。
好胤は働かなければ食えずに死んでしまうと言い、
凝胤は坊主は余計なことを考えるなと諭す。
それでも食うことを考えなければ死んでしまう
と引き下がらない好胤に、
凝胤は死ねばいいではないかと応酬する。
さらに、
坊主は食うことを考えてはいけないといい、
最後にこう言った。
「そんなら、やはり死んだらいいやないか。
お前がまともなことをやっていて、
世間のやつが食わさなんだら、
食わさんやつに罰(ばち)があたるんや。
死んでもお前に罰あたらん。安心して死ね。」
「仕事を真面目にやって、
それで喰えんかったら喰わんけりゃ良い。
それで死ぬんは天職やないからや」
とは薬師寺の先々代の住持であられた橋本凝胤師の言葉です
先代の住持の高田高胤師がよくお話になっておられました
「鎌倉仏教も、
明治以降の近代仏教学も、
根本的に間違っているのです。
ほんらい日本の仏教は中国からの“翻訳仏教”です。
その漢訳仏教はもう死んでしまっている」
「親鸞聖人の仏教は、いってみればよわい人間のための教えで、
人間を軽く見てる。
人間の本当のよさを開発しないで、
ただ、そのままでよいという、
人間をバカにした考えにたっている。
泥まみれで大衆のなかに入ったとて、
それがどうして仏教といえますか。
釈尊は人間をきれいな世界へみちびこうと考えた。
そのとき、まず自らを清潔にして、
大衆をその清らかさのうちへ入れてゆこうとされた。
日本仏教はしょうじゃない。
自分もドブ泥にしておいて、
泥水のなかにつかり、
大衆をもその泥水のなかに入れこもう、
つれこもうという考えだ。
これは根底から間違ってます。」橋本凝胤
上記が私の指針となっていることです
終戦後間もなく、
復員で薬師寺に戻ってきた高田好胤氏は、
世間の窮乏ぶりを憂い、
僧侶が消費階級に止まることを苦しみ、
薬師寺を出ることを決心し、
師匠の橋本凝胤氏に打ち明ける。
好胤は働かなければ食えずに死んでしまうと言い、
凝胤は坊主は余計なことを考えるなと諭す。
それでも食うことを考えなければ死んでしまう
と引き下がらない好胤に、
凝胤は死ねばいいではないかと応酬する。
さらに、
坊主は食うことを考えてはいけないといい、
最後にこう言った。
「そんなら、やはり死んだらいいやないか。
お前がまともなことをやっていて、
世間のやつが食わさなんだら、
食わさんやつに罰(ばち)があたるんや。
死んでもお前に罰あたらん。安心して死ね。」
「仕事を真面目にやって、
それで喰えんかったら喰わんけりゃ良い。
それで死ぬんは天職やないからや」
とは薬師寺の先々代の住持であられた橋本凝胤師の言葉です
先代の住持の高田高胤師がよくお話になっておられました
「鎌倉仏教も、
明治以降の近代仏教学も、
根本的に間違っているのです。
ほんらい日本の仏教は中国からの“翻訳仏教”です。
その漢訳仏教はもう死んでしまっている」
「親鸞聖人の仏教は、いってみればよわい人間のための教えで、
人間を軽く見てる。
人間の本当のよさを開発しないで、
ただ、そのままでよいという、
人間をバカにした考えにたっている。
泥まみれで大衆のなかに入ったとて、
それがどうして仏教といえますか。
釈尊は人間をきれいな世界へみちびこうと考えた。
そのとき、まず自らを清潔にして、
大衆をその清らかさのうちへ入れてゆこうとされた。
日本仏教はしょうじゃない。
自分もドブ泥にしておいて、
泥水のなかにつかり、
大衆をもその泥水のなかに入れこもう、
つれこもうという考えだ。
これは根底から間違ってます。」橋本凝胤
上記が私の指針となっていることです