「送る」
(最低気温24.6℃ 最高気温31.1℃)
朝靄が深い‥肌にミストが触れると気持ちいい。日が昇ると、太陽柱が、見られた。
昨日からの、痛みが治まらない。朝の支度も洗濯を干すのも出来なかったが、
お昼近くなって、やっと少し落ち着いたので、今の内にと、昼の支度をしに、起きだした。
「痛くないなら、やってもらわにゃ年寄りには、豪くてかなわん、」
‥はいはい、さようですね‥
午後、実家に電話する。
昨日、電話したのだが、父が畑に出かけていたので、母にしか話せず、
「わしじゃ、上手くお父さんに説明できんといかんで、又、お父さんに電話して」 と言うのだ。
電話して、結果を説明すると、父は、いきなり、「病院の方角は、どっちだ?」 と、言う。
「??東だけど南‥南と言うよりは、東‥かなぁ?‥」 と、答えると、
「そんなに、深刻に、落ち込む事は無い、お前は、今年の9月の月と、南東の方角は、
最高の運気だで、絶対大丈夫だでな。」 と、言うのだ。
「うん、日和も最高の仏滅だよ。何事にも、穏やかな吉日だってさ‥」(笑)
「其処は、お祖父さんが、夢で見た、お告げの場所だで、悪い事ばかりのはずは無いでな」
そう、私の結婚が中々決まらなかった頃、祖父が、有る 「夢」 を見た。
何処かは、もちろん、分からない。
その家の、表に出ると、すぐ、足元にキラキラと水面が見えた、振り向くと、
家の背後には、小高い山が、連なっていたのだと言う。
そんな、場所でないと、私は、「片付かない(嫁に行けない)」、と言うのだ。
ある夏の日、セールスにやって来た、銀行員を、父が、良い縁談は無いかと、からかった。
その、銀行員は、なんと、ダンちゃんの従兄弟に、ダンちゃんの縁談を、頼まれてたのだ。
それが元で、ダンちゃんと、お見合いする事になり、初めて、この家に来た時、
私は、祖父のこの 「 夢 」 の話を、すぐ思い出して、内心、驚いたものである。
そのまま、仲人のその銀行員に、押し切られ‥話が決まってしまったのだ‥。
( 一方、ダンちゃんは、この仲人に、「騙された~ぁ!!」‥と、主張している‥笑 )
だから、「お祖父さんの加護を信じて、そんなに、悲観するな‥」 と、言うのだ。
どんなに、心配していても、自分では、どうする事もできない父親が、
精一杯、私を安心させたいと、思う気持ちに、
つい、ポロリ、涙声になるのを、こらえるのが精一杯。
手術の日程も決まってしまったのだ、後は、手術して下さる、医師の方々に頼るしかない、
今は、手術への、自分の、体力維持を、一番に考えようと思う。
(最低気温23.9℃ 最高気温30.4℃)
昨夜、23時頃から、大粒の激しい雨になり、朝までにかなりまとまった雨量になりました。
涼しくなって、寝苦しかった夜からも、一晩解放されました。
雨が降っても、すぐ乾いてしまっていた地面も、どうやら、少しは潤った様です。
しかし、日が昇ると、とたんに、湿気で蒸し暑くなりました。
昨日、一昨日と、比較的、痛みも少なく、食欲も普段並に有ったのがウソのよう。
今朝は、打って変わって、朝から痛みがズキズキ‥ 薬を飲んでも、治まらず、
朝食の仕度と、洗濯物を干し終わったら、2階へ這い上がり、ベッドへごろり‥
午後には、検査結果を聞きに、病院へ‥
動けないほどではない物の、痛みが続くお腹を抱えて、ダンちゃんに付き添われて行く。
検査結果は、予想できてはいた物の‥想像のそれ以上の状態で、
やはり、手術は、避けられず、9月の末頃には、『 手 術 』 と日程も決定。
ただ、手術の内容が、ショックで、
A 段階で済むか、B 段階になるか、C 段階までしなくてはいけないか‥
そればかりは、お腹を開けた後の、「病巣と腸の癒着の具合しだい」 だと言うのです。
「‥(癌でもないのに、そこまで?)C だけは嫌~っ!」 と、半べそで、言ってみた所で、
それは、癒着の程度によって仕方がなく‥
「それは、最悪の場合だし、まだ決まった事じゃないからね」 と、優しく言われても、
先の不安だけが、膨らむばかりです。
★
帰り道、スパーで、食品も買い、通り道をいい事に、
行き着け(?)の、石屋さんに寄ってもらい、
欲しかった、アメジスト の ペンダント・トップ を( ← アメジストなのに、モスグリーン )
この際とばかりに、買って帰ったが‥‥ やっぱり、心は、浮き立たない。