皆さんのブログを拝見しているうちに、子どもさんの話題を幾つか読ませて頂いて、私も思い出した事がある。
小学生の頃の息子とのエピソード。
その頃、隣りに居住している舅や姑がいて、言葉に出来ないような気苦労をしていた。また、そんな嫁の事を、まだよく理解出来ない夫。更に、子育ても私にとっては未知の世界。もとより、共依存体質の私にとって、育児はかなりハードルが高かった。
小学生の息子と幼稚園の娘、様々な形で干渉してくる元気な舅と姑、いまいち頼りにならない夫。
何が…とか、この事が…とか、具体的に説明出来ないのだけれど、とにかく積み重なった疲労が、少しずつ私を押し潰していって、心身ともにギリギリの状態だった。いつも何かにピリピリしていて、元気がなかった。
ある日、小学校の社会科見学か、遠足か、から帰ってきた息子が、目をキラキラさせて、話してくれたことを思い出した。
漆器のことだった。
塗りのお茶碗が、なぜ高価なのか?という話し。
木の器に最初は黒色の塗りを施し、その上から朱色の塗りを重ねる。そうして完成した器を人々が使う。長年、使用しているうちに、手の摩擦で擦れて、内側の黒色が滲み出てくる。更に使い込まれていくうちに、その色が二つとない模様のようになって、美しく表れる。
「これが、素晴らしいんや!この模様が!」息子の目が輝き、言葉に熱が帯びる。
「一つとして、同じ模様はない。使えば使うほど、傷が増えるやろ?その傷が模様になって綺麗になる。傷に値打ちがあるんやで」
「すごいやろ! 傷が付けば付くほど、値打ちが上がる。日本にはそういう器があるんやで。ママ、知ってたか?」と教えてくれた。
それを聞いて、私は涙がはらはら溢れた。
息子の話す器が、はっきりと見えた。
その時の私に一番必要だったものは、立派な先生や賢い大人からではなく、幼な子の口を通して語られる智恵の言葉。
今、傷付き、ぼろぼろになっているか?今、その傷は痛むか?でも、心配しなくていい、必ず後の日に贖われる時がくる。その傷こそが、尊いといわれる時がくる。
今、傷付いていることを、誰も恐れる必要はないのだ。
母の心の奥深くまで沁みていく
素晴らしいです。
息子さんは漆器に魅せられて、そんな関係のお仕事につかれたとか?
ちょっと目にとまり読ませていただきました。涙が止まらなくなりました。
コメントありがとうございます。
貴女の心に触れる文章が書けたこと、うれしく思います。
実際、ネガティブな出来事が起こった時は「なんて不幸なんだろう…」と考えてしまいがちですが、生きていて経験することの全てには意味があると私は感じています。痛むことでしか学べないことも、たくさんあるでしょう。
私の息子は感受性が強く、幼稚園の頃に芽吹いてくる植物の種をみて「この大きくなってくるチカラが、いのちのチカラなんやなぁ…」と呟くような子どもでした。