テレビ等でも時々お見かけする、女医のおおたわ史絵さんの著書「母を捨てるということ」を読んでみた。
いびつな母親と、その母親に物心両面で侵略され壊されそうになる娘の話し。
様々な依存症についての入門書のような一面もあった。
長らく続いたコロナ禍の期間、時々、否応なしに訪れる空白の時間の中で、ふと…思い出すのは、昔々の出来事たち。
暑い夏の日差し、長雨の匂い、夕焼けの空、、そういう景色が私の心の中に、小さな私を呼び覚ましてしまう。
私の母も、おおたわ先生のお母さんと同じように、いつも不機嫌な人だったな…と思った。
小学校から帰宅して、真っ先にすることは、母の顔色を見ること。母の気分は、予測不能にコロコロ変わるから。
その後は、たいてい、母の機嫌を損ねないように、大人しく過ごすことに終始していた。
また、母の思い込みや刷り込みも凄かったと思う。
子どもの頃の私は体格も良く、元来、運動神経も悪くはなかった。でも、母は私のことを誰にでも、必ず「この娘は、本当に、どぐさい子なんよ〜」とあざ笑うように話すのだ。本当にもう、いつもいつも、どんな時でも毎回そう言う。
そして、そう言われ続けると、私の無意識は、母の期待通り、本当にドジなことばかりする。母は様々、失敗を繰り返し、オロオロする私を見て、イライラして怒鳴ったり、馬鹿にしたりする。母はこういうコミュニケーションの方法しか、出来なかったのかもしれない。
その時、母にとって必要だったのは、自分の手中に収まらない自立した賢い娘ではなく、ドジで馬鹿な手の掛かる娘のほうだったのだろう。
これが、私と母の共依存の始まりだったと思う。
いびつな母親と、その母親に物心両面で侵略され壊されそうになる娘の話し。
様々な依存症についての入門書のような一面もあった。
長らく続いたコロナ禍の期間、時々、否応なしに訪れる空白の時間の中で、ふと…思い出すのは、昔々の出来事たち。
暑い夏の日差し、長雨の匂い、夕焼けの空、、そういう景色が私の心の中に、小さな私を呼び覚ましてしまう。
私の母も、おおたわ先生のお母さんと同じように、いつも不機嫌な人だったな…と思った。
小学校から帰宅して、真っ先にすることは、母の顔色を見ること。母の気分は、予測不能にコロコロ変わるから。
その後は、たいてい、母の機嫌を損ねないように、大人しく過ごすことに終始していた。
また、母の思い込みや刷り込みも凄かったと思う。
子どもの頃の私は体格も良く、元来、運動神経も悪くはなかった。でも、母は私のことを誰にでも、必ず「この娘は、本当に、どぐさい子なんよ〜」とあざ笑うように話すのだ。本当にもう、いつもいつも、どんな時でも毎回そう言う。
そして、そう言われ続けると、私の無意識は、母の期待通り、本当にドジなことばかりする。母は様々、失敗を繰り返し、オロオロする私を見て、イライラして怒鳴ったり、馬鹿にしたりする。母はこういうコミュニケーションの方法しか、出来なかったのかもしれない。
その時、母にとって必要だったのは、自分の手中に収まらない自立した賢い娘ではなく、ドジで馬鹿な手の掛かる娘のほうだったのだろう。
これが、私と母の共依存の始まりだったと思う。
私の母は、バニラさんとは反対だった。
心で思っていることを
ストレートに言う。いいこともあるが、
批判的なことが多く、
「毒舌キヨコ」と、呼ばれていた。
兄姉妹が多かったので、なるべく目立たないようにしていた。
コメント、ありがとうございます。
私は一人っ子なんです。だから、母の感情の発露を一身に浴びるような状態で、逃げ場がなかったです。百点満点の親なんて、どこにも存在しないのはわかっています。それでも、傷付いてしまった私の心を放置しておくわけにはいきません。母との出来事を何度も何度も書き表して、私は心の棚卸しをしています。あの時、何があったのか今、自分なりに客観的に見て言葉にすることで少しずつ癒されていきます。そういうこともあるのです。