私の母は、他人をけなしたり、嘲笑ったりすることの多い人だった。
外面はすごく、いい人。誰にでも笑顔で挨拶し、楽しげに会話もする。
でも、ひとたび、家の扉を閉じれば、一瞬でその形相が変わる。今まで、ニコニコ話していた相手のことを、ことごとく批判し、馬鹿にし、おとしめる。いったい、何に対する怒りなのか?と思うほどの悪態をつく。
たとえば、誰かから頂いた贈り物があったとしよう。母はどんなに素敵な物や、高価な物を貰っても、素直にその品物を褒めたり、感謝したり、喜んで受け取ったりはしない。
いや、、もちろん、贈り主の前では、たくさんお礼の言葉を並べたてるのだか、いったん、家族だけになった時には「よくも、まぁ、こんな物を贈ってきたもんだよ!ケッ!」となるんだから、それはそれは、ひどい有様。
だから、私は今だに、母の日や誕生日、敬老の日等の母への贈り物を選ぶ時、とても憂鬱になる。いっそ、もう何も送らないでおこうか…と迷うこともないではないが、贈らなかったら、おくらなかったで、別のややこしいことが起こりそうなので、一応毎回、辻褄合わせのように、何かを見つくろって、送ってはいる。
でもきっと、いつもの悪態はつかれているだろう。それはもう、母の問題であって、私の問題ではないから、気にしないことにした。
私ももうずいぶん前に、心の中の私の母を捨てているので、そういうことも、気にせず生きられるようになった。この境地に至るまでには、長い長い時間が必要だったけど、本当に私、頑張ったと思う。
外面はすごく、いい人。誰にでも笑顔で挨拶し、楽しげに会話もする。
でも、ひとたび、家の扉を閉じれば、一瞬でその形相が変わる。今まで、ニコニコ話していた相手のことを、ことごとく批判し、馬鹿にし、おとしめる。いったい、何に対する怒りなのか?と思うほどの悪態をつく。
たとえば、誰かから頂いた贈り物があったとしよう。母はどんなに素敵な物や、高価な物を貰っても、素直にその品物を褒めたり、感謝したり、喜んで受け取ったりはしない。
いや、、もちろん、贈り主の前では、たくさんお礼の言葉を並べたてるのだか、いったん、家族だけになった時には「よくも、まぁ、こんな物を贈ってきたもんだよ!ケッ!」となるんだから、それはそれは、ひどい有様。
だから、私は今だに、母の日や誕生日、敬老の日等の母への贈り物を選ぶ時、とても憂鬱になる。いっそ、もう何も送らないでおこうか…と迷うこともないではないが、贈らなかったら、おくらなかったで、別のややこしいことが起こりそうなので、一応毎回、辻褄合わせのように、何かを見つくろって、送ってはいる。
でもきっと、いつもの悪態はつかれているだろう。それはもう、母の問題であって、私の問題ではないから、気にしないことにした。
私ももうずいぶん前に、心の中の私の母を捨てているので、そういうことも、気にせず生きられるようになった。この境地に至るまでには、長い長い時間が必要だったけど、本当に私、頑張ったと思う。
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