弦楽器を弾く日々

街のヴァイオリン弾きの日々のあれこれ

まとまってない趣味の話

2025-02-16 02:30:00 | ヴァイオリン
数年前は、オケバッグにコンチェルト弾いてみたいとか、同等レベルだったり同じ熱量の固定メンバーでカルテット組みたいとか思ってたりしていて、でも自分の希望を通すために必死でアピールしたり人集めたりするほどの意欲は無く、やりたいのはやりたいけどやる事自体が目標ではなくて、あくまでもクオリティとか仲間たちと意志ややる気がマッチしてこそ意味があると思ってるので、そうやって考えているとまあ普通に縁も無く。

そもそも本当にあなたと弾きたいですと思えば自分から声かけるじゃないですか、私も声かけるし、一緒によく弾く人も最初は向こうから組もうと声かけてきたし、そういうもんだよなと。結果最近は全く声がかからないという。おーん。新しい場所にも行ってないし新しい人と出会ってもないからなあ。

人気無し。1人で弾くのが向いてるってことかもしれない。

先日、何の話だったか半分忘れたんですけど、自分はどうなりたい?上り詰めたい?と聞かれたので、トップになりたいとか有名になりたいとか肩書きには興味無いけど、超一流は無理としても一流に近いような演奏をする奏者にはなりたいよと答えたら、上手くなりたいって曖昧なもんで、音色とか音楽性とか結局自己満足(趣味)でしかないと言われたところでハッとして目から鱗というか、ああ技術を上げるという行為は趣味でしかないのか!と思ったらテクニックは別で、テクニックがあってこそプロだと言うので、あら?と少々感覚のズレはあったんですけども、何故ってテクニックの無いプロもいるから矛盾じゃないかと思ったんですけど、何が言いたいかって、たぶん本人にしかわからないような個人的にハッとさせられた話でした。こういうの沢山あり過ぎてブログで書いても意味無いのだろうけど、整理とアウトプット用に、ついでに誰かのちょっとしたヒントになれば。

趣味でやってきたわけではないし、技術向上のための行為ってある意味お坊さんの寺修行みたいな感覚だったんですけど、上手くなりたいは趣味。自分の技術を上げる行為は趣味なんだと。なるほど確かになって。

意思と行為にズレが生じるかもしれないけど、どの立場であってもその上手くなるための行為自体は趣味でしかない。
また一つ新しい価値観を発見出来ました。
私はいつまで趣味を続けるんでしょうね。

次の課題、パガニーニになりそうです。
何番やるかわからないですけど、難しそう〜と言ったら、順序通りいってるから問題無いと言われて、じゃあちょっと楽しみです(単純)みたいな気持ち。
弾きたいとも思ってなかったし縁が無いと思ってたので。


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