●塩で固め 塩で清める
昔 何軒か親類に農家が有り よく出入りしたもの。
遊びに言っていたわけだけど
何時も玄関口に入るとヒンヤリして何か臭いような感じがした。
足元は少し波打ったような感じの土だったように覚えている。
硬くて何度かそこで毛躓いたかなんかで転んだりして
膝を思い切りぶつけて痛かった。
頭を打ったこともある。
普通に考えて土にぶつかっても痛くないのにと思ったもの。
後にこれは土間と言い土に塩を混ぜて突き固めたものであると知った。
タタキと言う名の行為をした結果だと。
している現場はついぞ見かけたことは無い。
でもあの硬さだけは今も手触りとして残っている。
表面は土だから手触りは良いけれども指先を突っ込もうとしても
入って行かない。
子供心に不思議だと思っていたもの。
コンクリートなどと違い走ってきてブレーキ掛けて止まろうとしても
上手くできなくてそれで転んだのかな。
タタキと聞くと食いしん坊なのか鰹のタタキを想像してしまう。
子供の頃は貧乏で食物屋していたせいか名前はよく聞いていた。
我が家の店はコンクリートの土間であったように記憶している。
土間を突き固めるのは凄く大変だったようで様子は何度か聞かされていた。
大分大きくなってからだけど。
土間の仕上げには、三和土(漆喰を塗り固めた床)、珪藻土、
コンクリート・タイルなどが用いられたとあるが そんなのは金持ちで有った。
昔の農家は貧乏だから何とか無理して塩を俵で買って使ったものらしい。
結構長持ちしたらしくて表面に亀裂が入れば少し水撒いてその上から
水が染み込んだ部分に又 タタキをしていたとも聴いた。
修理は簡単で乾けばコンクリートよりも硬くなっていたようだ。
●
●土間(どま)とは日本建築に於ける家屋内の一部を構成する間取りである。
http://bit.ly/tPNPmw
日本の伝統的な民家や納屋の屋内空間は、人間の生活面が柱によって地面より高くしつらえられ、木の板などが敷かれた「床(ゆか)」という装置が敷かれた部分と、地面と同じ高さの部分とに分けられる。この後者が土間である。
土間の仕上げには、三和土(漆喰を塗り固めた床)、珪藻土、コンクリート・タイルなどが用いられる。
●
●「土間」と「たたき」の違い知ってる? | tass-aのブログ 2015/02/17
https://ameblo.jp/tass-a/entry-11991271795.html
「タタキ」とは土と石灰と苦汁(にがり)の3種類の材料を調和させて板等で叩いて叩いて固ーーーーく仕上げたものを指します。
3種類の材料を合わせるので「三和土」(タタキ)という名前がついたのです。
一方「ドマ」はというと。
土間は建物内で床を貼らず地面を露出しているか、三和土、タイル貼、石貼などにしたところのことを指します。
一言で言うと
土間仕上げには全ての仕上げが含まれていると言う事ですネ。
その土間仕上げる施工方法の中に「タイル貼・三和土・タイル貼・石貼」などなどがあるという訳です。
●
●「土間」の作り方は.(教えて!gooから)
そせい塩(97%?前後の純度の悪い塩)をたたみ1枚あたり100もんめ(1mon=約4g)程度まき.直径・長さ1-2尺程度の丸太に左右に棒を打ち付けててで持ちあがるようにした.土槌?を作って.2-3日かけて全体を叩きます。
塩を撒くと.水が浮き上がりますので.乾かないようにして.叩きます。
注意点としては.コンクリート工作物が有ると.塩の影響でコンクリート内部の鉄がさびて.近い将来(5-10年)土台が崩れます。したがって.コンクリートを一切使っていないことが必須です。
せいせい塩(食品用塩)は.不純物の硫酸マグネシウム・硫酸カルシウム含有量がきわめて少なく.使えません。
塩化ナトリウムを加えることで.土中の水分を表面に導き出し.叩くことで.土の粒子間距離を狭くします。又.硫酸はチクソトロピックな性質が有りますから.叩いている分には.流動性が有ります。数日後叩かなくなった頃に.水分が減少し.粒子間距離が短くなり.硫酸の影響で粒子が凝集し.硬くなり.土間になります。
したがって.せいせい塩だけは使わないでください。ただ単に.地面が柔らかくなるだけです。
20-30年前に1回作るのに立ち会ったことが有るだけですから.分量については.自信が有りません。作られた.土間の大きさと.現場に積み上げられていた.塩俵(当時.俵で販売されていました)の量からの推定です。
●
●大相撲 http://bit.ly/vDIxdB
●
●土俵(どひょう)とは、土を盛って作る相撲の競技場である。
http://bit.ly/s20ikB
俵に土を詰めた袋(土俵)を使っているため特に土俵場(どひょうば)と呼んでいたが、これを縮めた呼称である。
●
●大相撲豆知識 http://www2s.biglobe.ne.jp/~wakamatu/list/tishiki.html
●相撲豆知識 > 土俵
http://www2s.biglobe.ne.jp/~wakamatu/tisiki/dohyo.html
大昔は、観客や他の力士達が回りを囲んだなかでやっていました。
その後、四本柱の間をひもで区切った四角土俵になり、
現在のように俵を用いた円形土俵になったのは江戸時代からです。
土俵の直径は4m55cm(15尺)
土俵作りは呼び出しさんの仕事です。土は10トントラックで5台分必要。
全員総出で3日がかりで作ります。
土を盛り丸太で周囲を囲み、角のほうから形を作っていきます。
「千本搗き(せんぼんづき)」と言って、大きなタコで荒突きしたあと土端(どは)を叩いて固め、小さなタタキで細かく丁寧に何回も突いて表面を平らにし、適度の硬さに突き固めます。
●
●舞の道 http://bit.ly/slSX9O
元小結・舞の海と大相撲のサイト。勿論アンオフィシャル。
●
●人方屋(ひとかたや) 世界大百科事典内の人方屋の言及
【相撲】より
相撲故実というのは,家柄の古い行司などが,すべて家系をととのえるために粉飾創作したものであり,江戸時代の行司が著したものに,土俵の起源を織田信長の活躍した天正年中(1573‐92)においているが,これはまったくのフィクションである。当時は〈人方屋(ひとかたや)〉といって,相撲場のまわりを力士が囲み,このなかで相撲を取り,相手を倒すことによって勝敗を決め,また人垣のなかへ相手を押し倒せば勝ちになった。1610年(慶長15)名古屋城築城のとき襖に描かれた相撲絵,慶安~明暦年間(1648‐58)の相撲絵巻にも土俵は出てこない。
●
●人方屋→土俵場はあやまり? - 相撲史に関心・興味のある方どうぞ
https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948/e/7e8f5667176a2eb6dec798b1ae362e3b
2016/05/26
公益…法人日本武道館発行、株…Bマカジン社発売の『相撲その歴史と技法』を毎日数頁読んでいる。
82~83ページから抜萃してみたい。
…土俵の起源を「人方屋」すなわち取組を取り囲む見物人の輪に求め、
かつてはそこに押し込めば勝ちとした、とする説があり、
〔中略〕慎重な再吟味を要する。〔中略〕「押し込まれたら負け」ではなく、
「倒れ込んで起き上がれなければ負け」である。
〔中略〕人方屋から土俵が発生した、という筋書きには、実は確かな論拠がない。
吾輩は、相撲史を調査・研究の真似事をするようになって50年余経過したが、ずっと前から人方屋が進化して土俵場…と信じこんでいた。
●
●人方屋(ひとかたや)
相撲において古来相撲節会に土俵なるものはなかった。『相撲伝書』によると鎌倉時代に見物人が直径7 - 9メートル(4 - 5間)輪を作り、これを「人方屋」といったという。これが土俵の起源である。
人方屋(ひとかたや)といいました。なぜならば、人垣の中へ相手を投げたり押したりすれ ば勝ちというルールだったからです。ですが人と人とがぶつかり合うため、喧嘩がおこる こともしばしば。
●
● 相撲技名
http://tsubotaa.la.coocan.jp/result/waza48.html
四十八手なる語は古くは源平盛衰記に現れるといい、時代くだって例えば「竹斎」にも登場するが、 48選ばれたものは相撲強弱理合書が最初と思しく、12×4=48となったのは角力秘要抄が最初と思われる。 以降新手が沢山現れ、或は内容そのままに名を改めた場合も古くからこれあり、はたまた同一技名でも内容が変貌した例も見られる。 48という箍が外れたのは、昭和一桁ごろに源を持つ決まり手総覧からということができる。 ここでは、技の名だけではあるが、選ばれて登場する技を書物ごとに掲げ、その変遷を見るよすがにしようというものである。
●
●相撲伝書 http://tsubotaa.la.coocan.jp/result/waza48k.html#03
木村守直撰。序には「享保寅歳」とある。享保 7年または19年ということになる。 お決まりのパターンだが日本相撲の沿革・中国とインドの相撲の始まり・相撲教え方の3部に分けることができる。 最後の教え方の項に四十八手が絵・説明入りで載っている。底本は燕石十種第3巻(明治41年・北海道大学附属図書館本館蔵)。
●
●相撲伝書 (享保)http://tsubotaa.la.coocan.jp/result/waza4803.html
手合・居眼相は省略
立居腰 蹴返
両手之爪捕 上手之入身
投之摺腰(合投とも云) 肩透
乾出 胸投
飛違 多怒気之腹投
空穂附 五輪砕
簇投 繋一本立
●
●塩の豆知識 > 何故、相撲で塩をまくの? - 東京ソルト株式会社
http://www.tokyosalt.co.jp/archives/566
スポーツで食べ物を扱うものなんて、古今東西探しても相撲くらいしか
見当たりません、何故、相撲は塩をまくのでしょうか?
・相撲の塩まきのはじまり.
相撲の歴史は、紀元前までさかのぼるそうです。
日本書紀や古事記にもその名前が出てくるのですが、
その頃の相撲は柔術の起源ともいわれ、
足技があったり現在のものとは大きく異なっていた様です。
大和、奈良、平安の時代になると神社のお祭りの中で相撲がはじまります。
この相撲は、どちらの力士が勝つかによって、
豊穣や豊漁を占う神事としての相撲でした。
この占いとしての側面から、取組みの前に「占いの場=神聖な場所」を
浄める「清めの塩」として、土俵に塩をまく風習が生まれたと言われています。
また、力士が転んだり怪我をした際の傷の殺菌効果もかねて
…という説もありますが、これは後づけな理由だと思われます。
現在の大相撲でも、力士が大きな手で塩を思いっきり投げていますが、
実は三段目以下の力士は、「塩をまく事ができない」そうです。
幕下になってようやく、しかも、時間に余裕がある時だけまく事ができるのだそう。
プロの力士達にとって、「塩をまく」ということはある種の目標でありステータスでもあるんですね。
●
●漆喰(石灰、しっくい)とは、水酸化カルシウム(消石灰)を主成分とする建築材料。住宅様式や気候風土などに合わせて世界各地で組成が異なっており独自の発展がみられる建築材料である。
http://bit.ly/tuj49T
漆喰は、水酸化カルシウム・炭酸カルシウムを主成分としており、もとは「石灰」と表記されていたものであり、漆喰の字は当て字が定着したものである。
●
●珪藻土(けいそうど、diatomite、diatomaceous earth)は、藻類の一種である珪藻の殻の化石よりなる堆積物(堆積岩)である。http://bit.ly/sm62XV
ダイアトマイトともいう。珪藻の殻は二酸化ケイ素(SiO2)でできており、珪藻土もこれを主成分とする。
珪藻が海や湖沼などで大量に増殖し死滅すると、その死骸は水底に沈殿する。死骸の中の有機物の部分は徐々に分解されていき、最終的には二酸化ケイ素を主成分とする殻のみが残る。このようにしてできた珪藻の化石からなる岩石が珪藻土である。多くの場合白亜紀以降の地層から産出される。
●
●たたき(叩き、敲き)とは、主に魚を料理するときの調理法で、一般的には2つの大きく異なった調理法を指す。http://bit.ly/tDfDzU
現在はいくつかの異なる調理法がたたきと呼ばれてあり、これらの間に関連性はない。
本来は打切り(ぶつぎり、ぶっちぎり、ぶったぎり、たたきぎり)打ち首、など、大きさに拘らない切り方をした刺身を打身と呼んだ事から派生している。
●
●鰹のタタキ(かつおのタタキ)は、カツオを用いた魚料理(刺身の一種)。
http://bit.ly/vHpsLZ
鰹を節に切り、表面のみをあぶったのち冷やして切り、薬味とタレをかけて食べるもので、別名「土佐造り」とも言う。
http://bit.ly/vu2m3m
・刻むたたき
生肉や生魚など未加熱の食材を細かく切り刻んだもの。もともとは膾(あるいは鱠)と呼ばれた料理であるが、刃物で細かく叩き切ることから「叩き鱠」「叩き」と呼ばれるようになり、本来の膾は主として酢の物を意味する言葉へと変化していった。
昔 何軒か親類に農家が有り よく出入りしたもの。
遊びに言っていたわけだけど
何時も玄関口に入るとヒンヤリして何か臭いような感じがした。
足元は少し波打ったような感じの土だったように覚えている。
硬くて何度かそこで毛躓いたかなんかで転んだりして
膝を思い切りぶつけて痛かった。
頭を打ったこともある。
普通に考えて土にぶつかっても痛くないのにと思ったもの。
後にこれは土間と言い土に塩を混ぜて突き固めたものであると知った。
タタキと言う名の行為をした結果だと。
している現場はついぞ見かけたことは無い。
でもあの硬さだけは今も手触りとして残っている。
表面は土だから手触りは良いけれども指先を突っ込もうとしても
入って行かない。
子供心に不思議だと思っていたもの。
コンクリートなどと違い走ってきてブレーキ掛けて止まろうとしても
上手くできなくてそれで転んだのかな。
タタキと聞くと食いしん坊なのか鰹のタタキを想像してしまう。
子供の頃は貧乏で食物屋していたせいか名前はよく聞いていた。
我が家の店はコンクリートの土間であったように記憶している。
土間を突き固めるのは凄く大変だったようで様子は何度か聞かされていた。
大分大きくなってからだけど。
土間の仕上げには、三和土(漆喰を塗り固めた床)、珪藻土、
コンクリート・タイルなどが用いられたとあるが そんなのは金持ちで有った。
昔の農家は貧乏だから何とか無理して塩を俵で買って使ったものらしい。
結構長持ちしたらしくて表面に亀裂が入れば少し水撒いてその上から
水が染み込んだ部分に又 タタキをしていたとも聴いた。
修理は簡単で乾けばコンクリートよりも硬くなっていたようだ。
●
●土間(どま)とは日本建築に於ける家屋内の一部を構成する間取りである。
http://bit.ly/tPNPmw
日本の伝統的な民家や納屋の屋内空間は、人間の生活面が柱によって地面より高くしつらえられ、木の板などが敷かれた「床(ゆか)」という装置が敷かれた部分と、地面と同じ高さの部分とに分けられる。この後者が土間である。
土間の仕上げには、三和土(漆喰を塗り固めた床)、珪藻土、コンクリート・タイルなどが用いられる。
●
●「土間」と「たたき」の違い知ってる? | tass-aのブログ 2015/02/17
https://ameblo.jp/tass-a/entry-11991271795.html
「タタキ」とは土と石灰と苦汁(にがり)の3種類の材料を調和させて板等で叩いて叩いて固ーーーーく仕上げたものを指します。
3種類の材料を合わせるので「三和土」(タタキ)という名前がついたのです。
一方「ドマ」はというと。
土間は建物内で床を貼らず地面を露出しているか、三和土、タイル貼、石貼などにしたところのことを指します。
一言で言うと
土間仕上げには全ての仕上げが含まれていると言う事ですネ。
その土間仕上げる施工方法の中に「タイル貼・三和土・タイル貼・石貼」などなどがあるという訳です。
●
●「土間」の作り方は.(教えて!gooから)
そせい塩(97%?前後の純度の悪い塩)をたたみ1枚あたり100もんめ(1mon=約4g)程度まき.直径・長さ1-2尺程度の丸太に左右に棒を打ち付けててで持ちあがるようにした.土槌?を作って.2-3日かけて全体を叩きます。
塩を撒くと.水が浮き上がりますので.乾かないようにして.叩きます。
注意点としては.コンクリート工作物が有ると.塩の影響でコンクリート内部の鉄がさびて.近い将来(5-10年)土台が崩れます。したがって.コンクリートを一切使っていないことが必須です。
せいせい塩(食品用塩)は.不純物の硫酸マグネシウム・硫酸カルシウム含有量がきわめて少なく.使えません。
塩化ナトリウムを加えることで.土中の水分を表面に導き出し.叩くことで.土の粒子間距離を狭くします。又.硫酸はチクソトロピックな性質が有りますから.叩いている分には.流動性が有ります。数日後叩かなくなった頃に.水分が減少し.粒子間距離が短くなり.硫酸の影響で粒子が凝集し.硬くなり.土間になります。
したがって.せいせい塩だけは使わないでください。ただ単に.地面が柔らかくなるだけです。
20-30年前に1回作るのに立ち会ったことが有るだけですから.分量については.自信が有りません。作られた.土間の大きさと.現場に積み上げられていた.塩俵(当時.俵で販売されていました)の量からの推定です。
●
●大相撲 http://bit.ly/vDIxdB
●
●土俵(どひょう)とは、土を盛って作る相撲の競技場である。
http://bit.ly/s20ikB
俵に土を詰めた袋(土俵)を使っているため特に土俵場(どひょうば)と呼んでいたが、これを縮めた呼称である。
●
●大相撲豆知識 http://www2s.biglobe.ne.jp/~wakamatu/list/tishiki.html
●相撲豆知識 > 土俵
http://www2s.biglobe.ne.jp/~wakamatu/tisiki/dohyo.html
大昔は、観客や他の力士達が回りを囲んだなかでやっていました。
その後、四本柱の間をひもで区切った四角土俵になり、
現在のように俵を用いた円形土俵になったのは江戸時代からです。
土俵の直径は4m55cm(15尺)
土俵作りは呼び出しさんの仕事です。土は10トントラックで5台分必要。
全員総出で3日がかりで作ります。
土を盛り丸太で周囲を囲み、角のほうから形を作っていきます。
「千本搗き(せんぼんづき)」と言って、大きなタコで荒突きしたあと土端(どは)を叩いて固め、小さなタタキで細かく丁寧に何回も突いて表面を平らにし、適度の硬さに突き固めます。
●
●舞の道 http://bit.ly/slSX9O
元小結・舞の海と大相撲のサイト。勿論アンオフィシャル。
●
●人方屋(ひとかたや) 世界大百科事典内の人方屋の言及
【相撲】より
相撲故実というのは,家柄の古い行司などが,すべて家系をととのえるために粉飾創作したものであり,江戸時代の行司が著したものに,土俵の起源を織田信長の活躍した天正年中(1573‐92)においているが,これはまったくのフィクションである。当時は〈人方屋(ひとかたや)〉といって,相撲場のまわりを力士が囲み,このなかで相撲を取り,相手を倒すことによって勝敗を決め,また人垣のなかへ相手を押し倒せば勝ちになった。1610年(慶長15)名古屋城築城のとき襖に描かれた相撲絵,慶安~明暦年間(1648‐58)の相撲絵巻にも土俵は出てこない。
●
●人方屋→土俵場はあやまり? - 相撲史に関心・興味のある方どうぞ
https://blog.goo.ne.jp/k3tanaka_1948/e/7e8f5667176a2eb6dec798b1ae362e3b
2016/05/26
公益…法人日本武道館発行、株…Bマカジン社発売の『相撲その歴史と技法』を毎日数頁読んでいる。
82~83ページから抜萃してみたい。
…土俵の起源を「人方屋」すなわち取組を取り囲む見物人の輪に求め、
かつてはそこに押し込めば勝ちとした、とする説があり、
〔中略〕慎重な再吟味を要する。〔中略〕「押し込まれたら負け」ではなく、
「倒れ込んで起き上がれなければ負け」である。
〔中略〕人方屋から土俵が発生した、という筋書きには、実は確かな論拠がない。
吾輩は、相撲史を調査・研究の真似事をするようになって50年余経過したが、ずっと前から人方屋が進化して土俵場…と信じこんでいた。
●
●人方屋(ひとかたや)
相撲において古来相撲節会に土俵なるものはなかった。『相撲伝書』によると鎌倉時代に見物人が直径7 - 9メートル(4 - 5間)輪を作り、これを「人方屋」といったという。これが土俵の起源である。
人方屋(ひとかたや)といいました。なぜならば、人垣の中へ相手を投げたり押したりすれ ば勝ちというルールだったからです。ですが人と人とがぶつかり合うため、喧嘩がおこる こともしばしば。
●
● 相撲技名
http://tsubotaa.la.coocan.jp/result/waza48.html
四十八手なる語は古くは源平盛衰記に現れるといい、時代くだって例えば「竹斎」にも登場するが、 48選ばれたものは相撲強弱理合書が最初と思しく、12×4=48となったのは角力秘要抄が最初と思われる。 以降新手が沢山現れ、或は内容そのままに名を改めた場合も古くからこれあり、はたまた同一技名でも内容が変貌した例も見られる。 48という箍が外れたのは、昭和一桁ごろに源を持つ決まり手総覧からということができる。 ここでは、技の名だけではあるが、選ばれて登場する技を書物ごとに掲げ、その変遷を見るよすがにしようというものである。
●
●相撲伝書 http://tsubotaa.la.coocan.jp/result/waza48k.html#03
木村守直撰。序には「享保寅歳」とある。享保 7年または19年ということになる。 お決まりのパターンだが日本相撲の沿革・中国とインドの相撲の始まり・相撲教え方の3部に分けることができる。 最後の教え方の項に四十八手が絵・説明入りで載っている。底本は燕石十種第3巻(明治41年・北海道大学附属図書館本館蔵)。
●
●相撲伝書 (享保)http://tsubotaa.la.coocan.jp/result/waza4803.html
手合・居眼相は省略
立居腰 蹴返
両手之爪捕 上手之入身
投之摺腰(合投とも云) 肩透
乾出 胸投
飛違 多怒気之腹投
空穂附 五輪砕
簇投 繋一本立
●
●塩の豆知識 > 何故、相撲で塩をまくの? - 東京ソルト株式会社
http://www.tokyosalt.co.jp/archives/566
スポーツで食べ物を扱うものなんて、古今東西探しても相撲くらいしか
見当たりません、何故、相撲は塩をまくのでしょうか?
・相撲の塩まきのはじまり.
相撲の歴史は、紀元前までさかのぼるそうです。
日本書紀や古事記にもその名前が出てくるのですが、
その頃の相撲は柔術の起源ともいわれ、
足技があったり現在のものとは大きく異なっていた様です。
大和、奈良、平安の時代になると神社のお祭りの中で相撲がはじまります。
この相撲は、どちらの力士が勝つかによって、
豊穣や豊漁を占う神事としての相撲でした。
この占いとしての側面から、取組みの前に「占いの場=神聖な場所」を
浄める「清めの塩」として、土俵に塩をまく風習が生まれたと言われています。
また、力士が転んだり怪我をした際の傷の殺菌効果もかねて
…という説もありますが、これは後づけな理由だと思われます。
現在の大相撲でも、力士が大きな手で塩を思いっきり投げていますが、
実は三段目以下の力士は、「塩をまく事ができない」そうです。
幕下になってようやく、しかも、時間に余裕がある時だけまく事ができるのだそう。
プロの力士達にとって、「塩をまく」ということはある種の目標でありステータスでもあるんですね。
●
●漆喰(石灰、しっくい)とは、水酸化カルシウム(消石灰)を主成分とする建築材料。住宅様式や気候風土などに合わせて世界各地で組成が異なっており独自の発展がみられる建築材料である。
http://bit.ly/tuj49T
漆喰は、水酸化カルシウム・炭酸カルシウムを主成分としており、もとは「石灰」と表記されていたものであり、漆喰の字は当て字が定着したものである。
●
●珪藻土(けいそうど、diatomite、diatomaceous earth)は、藻類の一種である珪藻の殻の化石よりなる堆積物(堆積岩)である。http://bit.ly/sm62XV
ダイアトマイトともいう。珪藻の殻は二酸化ケイ素(SiO2)でできており、珪藻土もこれを主成分とする。
珪藻が海や湖沼などで大量に増殖し死滅すると、その死骸は水底に沈殿する。死骸の中の有機物の部分は徐々に分解されていき、最終的には二酸化ケイ素を主成分とする殻のみが残る。このようにしてできた珪藻の化石からなる岩石が珪藻土である。多くの場合白亜紀以降の地層から産出される。
●
●たたき(叩き、敲き)とは、主に魚を料理するときの調理法で、一般的には2つの大きく異なった調理法を指す。http://bit.ly/tDfDzU
現在はいくつかの異なる調理法がたたきと呼ばれてあり、これらの間に関連性はない。
本来は打切り(ぶつぎり、ぶっちぎり、ぶったぎり、たたきぎり)打ち首、など、大きさに拘らない切り方をした刺身を打身と呼んだ事から派生している。
●
●鰹のタタキ(かつおのタタキ)は、カツオを用いた魚料理(刺身の一種)。
http://bit.ly/vHpsLZ
鰹を節に切り、表面のみをあぶったのち冷やして切り、薬味とタレをかけて食べるもので、別名「土佐造り」とも言う。
http://bit.ly/vu2m3m
・刻むたたき
生肉や生魚など未加熱の食材を細かく切り刻んだもの。もともとは膾(あるいは鱠)と呼ばれた料理であるが、刃物で細かく叩き切ることから「叩き鱠」「叩き」と呼ばれるようになり、本来の膾は主として酢の物を意味する言葉へと変化していった。
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