●古語(こご)●古語拾遺(こごしゅうい)
1.古語(こご)
https://ja.wikipedia.org/wiki/古語
現代語としては、普通用いられなくなっている過去のことばを「古語」という。過去に用いられたという事実は、たいてい古典の文献に記されていることによって知られるものであるから、「古典語」とも称せられる。
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2.古語拾遺(こごしゅうい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/古語拾遺
平安時代の神道資料である。官人であった斎部広成が大同2年(807年)に編纂した。全1巻。
本書は、正確にいうと、斎部氏によって提出された愁訴(しゅうそ)状であって、『古語拾遺』は後人による命名。伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の二神の国生みと、神々の誕生神話から筆をおこし ...
1.古語(こご)
https://ja.wikipedia.org/wiki/古語
現代語としては、普通用いられなくなっている過去のことばを「古語」という。過去に用いられたという事実は、たいてい古典の文献に記されていることによって知られるものであるから、「古典語」とも称せられる。
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2.古語拾遺(こごしゅうい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/古語拾遺
平安時代の神道資料である。官人であった斎部広成が大同2年(807年)に編纂した。全1巻。
本書は、正確にいうと、斎部氏によって提出された愁訴(しゅうそ)状であって、『古語拾遺』は後人による命名。伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の二神の国生みと、神々の誕生神話から筆をおこし ...
3.胎便(たいべん)
生まれてきた赤ちゃんが最初に出すうんち。ネバネバした黒っぽい緑色です。
新生児が出生後の数日間に排泄する黒色の大便。腸粘液・胆汁成分・コレステリン結晶・羊水などからなる。かにばば。かにくそ。
生後2〜3日以内に排出される粘稠(ねんちゅう)な,緑黒色無臭の便。胎内および出生時に飲みこんだ羊水や腸管の分泌物,胆汁色素,脂肪,コレステロール等からなる。その後次第に茶色から黄色の普通便に変わる。
胎児の腸管内に含まれる物質の総称で,出生後に排出される。緑黒色,均質な外観を示し,粘稠で無臭である。胎便は,胎児の消化管分泌液,粘液,膵液,胆汁,および胎児によって嚥下された胎脂を含む羊水成分などが混じったもので,この特有の色調は胆汁色素に由来する。胎便の約80%は水分で,残りは固形成分(ムコプロテイン,脂肪,コレステロールなど)である。正常な胎便では,タンパク質は腸消化酵素で分解されるためほとんど含まれていない。
俗にかにばばともいう。新生児が出生後に排泄する,濃い茶褐色の黒みがかった便。腸管の粘膜細胞や分泌物,粘液,胎脂,胎毛などを含む。4~5日たつと,黄色が強くなり,普通の便となる。
これは主として体内の水分が排出されるためであり,生後7日ころまでには生まれたときの体重にもどり,その後は1日30gくらいずつ増加する。生後3日目ころまでに出る便は胎便とよばれ,緑色を帯びた黒色で,無臭,粘稠,均質な便である。生後4~5日ころには黄緑色の移行便に変わり,その後は黄色い乳児便になる。
... 『古語拾遺(こごしゅうい)』によれば、豊玉姫(とよたまひめ)が海浜の産屋(うぶや)で皇子を出産したとき、供の天忍人(あめのおしひと)が箒(ほうき)をつくって蟹を掃いたことから掃除などをつかさどる ..
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4.雅語(がご)
平安時代を中心とする古典にみえる「正しいことば」をおもにさす。雅言,みやび言葉ともいう。卑語,訛語,俚言などを俗語,さとび言葉などというのに対する。江戸時代の国学者は,雅語,俗語のほかに,平常用いて誤りではないがみやびやかでないものを平言 (つねこと) と呼んで,3分した。雅語には,古言,すなわち上代の言葉も含まれる。また,日常の口語に対し,歌文に用いる文語を雅語ということも多い。アイヌ語では,ユーカラの言葉を雅語とし,口語に対する。
典拠があり、伝統的でみやびやかなことば。また、新しいことばでも、正しく上品なことばであれば雅語といい、「雅言」ともいう。日常の話しことば(あるいはとくに卑俗な感じのことば)を意味する「俗語」に対して用いられ、おもに文章で用いる価値の高いことばと考えられている。一般的には、「ふすま」(=ふとんのこと)、「こころばへ」(=性質のこと)、「ことわり」(=道理のこと)といった和歌や和文に用いられる和語系統のことばをさすが、漢文や変体漢文で用いられる「洛陽(らくよう)」(=京都のこと)、「竹葉(ちくよう)」(=酒のこと)といった漢語系統のことばをも含めることもある。
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5.阿知使主(あちのおみ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/阿知使主
阿知使主(あちのおみ、3世紀 - 4世紀頃、または5世紀前半)は、応神天皇時代の漢人系渡来人で、東漢氏の祖と言われる。
阿智直、阿智使主、阿知王、阿知吉師ともいう。
古代の渡来人。
機織りを伝えた古代の渡来人。阿智王とも書く。古代の最も有力な渡来人の一族,東漢氏(やまとのあやのうじ。→漢氏)の祖。『日本書紀』によれば,応神20年,子の都加使主ならびに党類 17県の民を率いて来朝した。同 37年に縫工を求めて都加使主とともに呉につかわされ,工女の兄媛(えひめ),弟媛(おとひめ),呉織(くれはとり),穴織(あなはとり)の 4人を連れて同 41年帰朝。畿内への途中,筑紫の胸形大神に兄媛を献じ,ほかの 3人をオオササキノミコト(仁徳天皇)に献上。また,履中天皇即位に際しての住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)の反乱では,平群氏や物部氏とともに履中天皇を河内から大和に逃がして守護している。この功により重用され,王仁とともに内蔵の出納を司った。『古事記』では阿知吉師(あちきし)と書いて阿直岐と同一人になっているが,『日本書紀』よりのち,坂上氏の伝えるところによると,阿知使主は後漢(→漢)の霊帝の曾孫で,後漢の滅亡に際して朝鮮の帯方に移住し,さらに七姓の民とともに日本に渡ったとされる。阿知使主は応神天皇に奏し,「旧居帯方の人民男女はみな才芸があるが,最近は百済と高句麗の間にあって去就に困っているため,これを呼び寄せたい」と進言,使者を派遣してその人民を勧誘し,帰化させたとある。
去来穂別(いざほわけ)皇子(履中(りちゅう)天皇)の危急を救い、履中朝に蔵官(くらのつかさ)に任じられ粮地(りょうち)を支給される。『古語拾遺(しゅうい)』にも履中期に内蔵(うちくら)を建て、出納を記録させたとある。
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6.熱田神宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/熱田神宮
熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」
斎部広成(いんべのひろなり)は『古語拾遺(しゅうい)』で律令(りつりょう)体制の初期、本社に対する待遇が十分でないことを指摘したが、その後、822年(弘仁13)従(じゅ)四位下、859年(貞観1)正二位 ...
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7.アド
狂言で,シテに対する相手役。2人以上登場する場合は,おもな役1人を主 (おも) アドまたは一のアドといい,以下,次 (じ) アド (二のアド) ,三のアドという。和泉流では主アド以外は小アドと呼び,役柄により,主 (しゅう) または女 (おんな) と呼ぶ。大勢物の場合,その他大勢を立衆 (たちしゅう) といい,その先頭を立頭 (たちがしら) という。舞狂言の場合は,能と同じにワキと呼ぶ。
狂言でシテ(主役)以外の役をいう。調子をあわせて応答する意をもつ古語「あど(を)うつ」から生じたという説などがあるが、語源は未詳。重要度に従い、主(おも)アド、次(じ)アド、あるいは一のアド、二のアド、三のアドなどともいう。また和泉(いずみ)流ではアド1人のほかはすべて小アドとよぶ。
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8.北風(きたかぜ、あなじ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/北風
・北の方から吹いてくる風。
・麻雀における場風および面風の一つ。
・岩手県奥州市江刺の地名。
・北風 〜君にとどきますように〜 - 槇原敬之の6枚目のシングル。
・日本人の姓の1つ。北風正造、北風沙織など。
・北風家 - 兵庫県の旧家。
北風は、日本においては冬に吹く北西方向からの季節風のことである。アジア大陸方向から吹いてきて、日本海を渡る際に多くの水分を持ち込み、本州の山地にぶつかる。そのため、日本海側では多くの雪を降らせ、山を越えた太平洋側では乾燥した風となる。空っ風はこれである。北半球の温帯域においては北風は冷たく、時に苛烈なものの代表として描かれる。北風と太陽との語もある。
西日本で吹く北西の冬の季節風の局地名。
語源は北西(戌亥(いぬい))の方向から吹くので、「いぬ」が転訛(てんか)して「あな」になったという説と、驚きを表す感動詞として「あな」を考える説とがある。「し」は「にし」「ひがし」の「し」と同様、風の古語である。「あなぜ」ともいう。瀬戸内では「あなじの八日吹き」というが、この季節風は吹き始めると八日も吹き続くことがあるので、このようにいわれ、漁師などは海が荒れるので警戒した。
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9.網走(市)
北海道東部、オホーツク海に面する市。オホーツク総合振興局の所在地。1947年(昭和22)市制施行。アイヌ語学者知里真志保(ちりましほ)によれば、地名は、網走川河口近くの海中にある帽子(ぼうし)岩をさす古いアイヌ語「チパ・シリ」(幣場(ぬさば)のある島)に発し、チパが古語になってその意が解しにくくなり、チ・パ・シリ(われらが・発見した・土地)の意に受け取られ、チと同意のアに変わってア・パ・シリとなったとされる。台地丘陵地が多く、西部には能取(のとろ)湖、網走湖に接して低平地が広がり、東部の海岸砂丘の背後には濤沸(とうふつ)湖、藻琴(もこと)湖などがある。網走川の河口付近に中心市街地が形成され、JRの石北(せきほく)本線、釧網(せんもう)本線が接続し、国道39号、238号、244号が集まる。旧国鉄湧網(ゆうもう)線は1987年廃止。
18世紀末に漁場が開かれ、1880年(明治13)郡役所が置かれ、以来地方行政の中心地となった。いまも国や北海道庁の出先機関が多い。内陸部の開発に伴って網走港の港湾整備も進み、商港、漁港の機能をもつオホーツク海岸第一の港湾となったが、1~3月の流氷の時期には港内は完全に凍結する。砕氷船による流氷観光が冬季の呼び物となっている。農業はジャガイモ、小麦、サトウダイコンなどの畑作と牛乳、牛肉、ブロイラーなどの畜産が行われ、水田はほとんどない。林業、ホタテガイ、サケ・マス、タラなどの水産業、同加工業は盛んである。工業では食品や窯業がある。観光も盛んで、海岸沿いには原生花園、湖沼・湿原、放牧風景など網走国定公園を彩る自然景観が展開する。市街南の桂ヶ岡(かつらがおか)公園には郷土博物館やアイヌの築いた砦(チャシ)跡(国指定史跡)が、網走川河口付近に先住民族の居住跡であるモヨロ(最寄)貝塚(国指定史跡)がある。天都(てんと)山は標高200メートル余の丘であるが360度の雄大な展望を楽しめ国の名勝に指定されており、オホーツク流氷館がある。中腹は北海道立オホーツク公園となっており、北方民族博物館があり、山麓(さんろく)には博物館網走監獄や網走スポーツ・トレーニングフィールドがある。網走川北岸には網走刑務所が望める。面積471.00平方キロメートル、人口4万0998(2010)。[岡本次郎]
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★ニッポニカ
雨
あめ
目次(雨)
1.雨滴の形状と落下速度
2.降雨強度
3.降雨の機構
4.降雨と大・中規模の気象状態
5.雨量の分布
・日本の雨量分布
6.雨水の化学成分
7.雨の電荷
8.雨の降り方
9.降雨の記録
10.雨の観測と予報
11.人工増雨
12.珍しい雨
13.雨と人間
14.雨の民俗
15.日本の文学と雨
16.世界の伝承と俗信
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★雨の民俗 https://japan-e-knowledge.jp/contents/kidsknowledge/cgi-bin/nipo/nipo_detail.cgi?id=0001322300&page=15&pFrom=&yokogusi=&refhtml=&hist=102192,102657,210022,106981,210097,100635,102657,210024,104868
日本列島は台風地帯に位置し、またときおりの季節風にも複雑な変化があるため、四季を通じて雨が多く、しかも多彩な変相を呈している。氷雨(ひさめ)、糠雨(ぬかあめ)、五月雨(さみだれ)、夕立、時雨(しぐれ)、そばえ(通り雨)など雨の異名のきわめて多いことにも、日本人の雨に寄せる関心の深さがしのばれ、また古くからそれは文芸の主要テーマともなっていた。
とくに水稲栽培を中枢とする日本農業では「用水」の確保が絶対要件ゆえ、雨に対する農民の関心はとくに強く、降雨を神霊の「恵み」とし、「五風十雨(ごふうじゅうう)」ひたすら「順気」を祈る伝統をおのずから生じた。
とりわけ田植はあたかも梅雨時節にあたるので適度の降雨を祈るに切なるものがあり、また初田植(サオリ)、田植じまい(サノボリ)などにはかならず雨が降るという伝承も広く生じ、そのほかにも「雨の忌(いみ)」にかかわる伝承はいろいろあり、古語の「雨つつみ」も5月の「忌ごもり」と解される。
旧5月28日を「虎(とら)が雨」の日とよび、この日かならず雨が降るのは、仇討(あだうち)に向かう曽我(そが)十郎との別れに流した「大磯(おおいそ)の虎御前」の涙の「名残(なごり)の雨」だという伝承も、田植月の終わりの祭りの痕跡(こんせき)のようだ。ともかく、降雨を久しく神霊降臨のしるしとも信じてきたのである。
七夕(たなばた)、山神祭、大師講などの祭日にかならず降雨があり、あるいは雨風激しい荒れ模様になるという伝承も同趣のものであろう。
とくに干魃(かんばつ)に際会しての「雨乞(あまご)い」の習俗は多彩な姿を示して全国に分布する。
「種水もらい」と称して特定社寺境内などの「霊水」を汲(く)み、遠路村に運び込んで祈祷(きとう)したり、あるいは山上に大火を焚(た)いて雨をよんだり(千駄焚き)、また竜神、水神の住むと伝える淵(ふち)や滝つぼに汚物を投げ入れて神を怒らせ雨を降らせるなど、種々の形で共同祈願が行われてきた。
ただし日本では雨自体を神格化することはなく、むしろそれを竜神、雷神、水神など諸神霊出現の兆しとしたり、あるいはその霊威の啓示と観じてきた。
一方、過度の降雨はまた農作を損ない、あるいは一挙にそれを押し流す「水害」をもたらすので、いわゆる「日乞い」の祈願も広く行われてきた。
正月や節分の予祝儀礼に月々の天候を占う習俗(ヨダメシ)の類も広くみられ、また村鎮守の春祭には1年の「順気」を祈る例でもあった。なお、多雨多湿の風土は日本人の住居や服装にも特異な様式をおのずから付与してきたことも忘れがたい。
[竹内利美]
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★下駄占い - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/下駄占い
下駄占い(げたうらない)は、日本の占い、または子供の遊びの一つ。
足に履いている下駄を投げ、落ちてきた下駄が表か裏かで、明日の天気を占うもの。
「明日天気(あしたてんき)」、「天気占い(てんきうらない)」ともいう。
歴史
下駄占いの歴史には諸説がある。民具研究家の近藤雅樹は、雨乞いや日乞いの神事に使われたものが民間に広がった可能性を指摘している。平安時代の絵巻物には、すでに下駄が描かれており、下駄は本来、雨の日にぬかるみにはまらないよう履くものだったことから、「明日は晴れて欲しい」という願いが込められたのでは、近藤は見ている。
天気が悪いときに履いていた「高下駄」が、かつて「足駄」と呼ばれていたことから、この「足駄(あしだ)」を「明日(あした)」にかけて、明日の天気を占うようになったとの説もある。
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10.雨
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8
雨(あめ)とは、大気から水の滴が落下する現象で、降水現象および天気の一種。また、落下する水滴そのもの(雨粒)のこと。大気に含まれる水蒸気が源であり、冷却されて凝結した微小な水滴が雲を形成、雲の中で水滴が成長し、やがて重力により落下してくるものである。ただし、成長の過程で一旦凍結し氷晶を経て再び融解するものもある。地球上の水循環を構成する最大の淡水供給源で、生態系に多岐にわたり関与するほか、農業や水力発電などを通して人類の生活にも関与している。
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★逆引き古語辞典
http://catincat.jp/information/kogo.html
あいする 【愛する】 めづ
あかるい 【明るい】 あかし
あさはかだ 【浅はかだ】 ふつつかなり
あっけない 【呆気無い】 あへなし
あてにする 【当てにする】 たのむ
あやしい 【怪しい】 けしからず
あるきまわる 【歩き回る】 ありく
あわてる 【慌てる】 まどふ
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★ふつつか【不束】
《名ノナ》能力・しつけ等が足りず、行き届かないこと。
「不束な娘ですがよろしく」。不届き。
「この不束者め」
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★現代文を古文にするスクリプト
http://catincat.jp/javascript/kogo.html
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
翻訳
吾輩は猫なり。名前は未だ無し。
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★間違えやすい古語 混同しやすい古語
http://www.bonjin-ultra.com/kogo.htm
混同しやすい古語
あいなし かわいげがない。つまらない。
あへなし(敢へ無し) どうしようもない。張り合いがない。
あやなし(文無し) すじが通らない。むなしく意味がない。
あた(仇・賊・敵) 敵。かたき。
あだ(徒) むだ。不誠実。かりそめ。
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★現代語
1 現代、用いられている言語。
2 日本語では、明治以降現に用いられている言語。または、第二次大戦後の言語。
特に、東京語を中心とする共通語をいう。
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★中古日本語(ちゅうこにほんご)https://ja.wikipedia.org/wiki/中古日本語
上代日本語と中世日本語の間に位置する、日本語の発展における一段階である。平安時代中期に用いられた。日本語の文語体の基礎となる言葉遣いである。
平安時代の初期(10世紀)に日本語を記したものは漢文・変体漢文と訓点資料(漢文訓読を記号・文字で記した資料)・古辞書を除いて残存資料に乏しく、実態ははっきりしない。一方平安時代末期(11世紀末ころ~12世紀)には中期とは異なる現象が現れ始め、「院政期」と呼ばれる。院政期は後の鎌倉時代と似た特徴を持ち、「院政鎌倉時代」と一括して考えることがある。従って「中古日本語」という時は平安時代の中期を中心に、初期も含めるが、院政期を除いて考えるのが一般的である。そして院政期は「中古」に対して「中世前期」と呼ばれる。
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★古語拾遺一巻(加序)原文 並びに読み下し文 従五位下 斎部宿禰廣成撰
http://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/0d31875acc31a1e74fb292644c64d84e
はじめに
本資料は万葉集を鑑賞するにおいて、その時代を勉強するために藤原氏系ではない歴史資料の一つとして個人的に読み下しを行ったものです。従いまして、市販の書籍のままの引用ではありませんので、学問的な裏付けのないものとして扱って下さい。
構成は最初に原文を紹介し、その後に読み下し文を付けています。
聞くところによると、上古の世は文字が無く、貴賎老少問わず口から口へ伝えていたが、 その言った事、行った事や出来事を忘れはしないかと書き記して以来、古を語る事を好まなくなり、 浮ついた華やかさを競い興じて還って旧老をあざ笑い、遂に世代を重ねて古代を忘れ、 代を重ねる後とに古法をを失った。顧みて故実を問う時その根源を知らない。
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★古語における「む」と「ん」について:歴史的仮名遣い教室 補講202教室
http://www5a.biglobe.ne.jp/accent/kana/nigou202.htm
特別授業:古語における「む」と「ん」について
「む」と「ん」については次の事情を知つておきませう。
推量、意志などの助動詞「む」は概ね鎌倉時代以降、「ん」と「う」の表記に取つて代はられました。
行かむ・・・・行かん、行かう
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★古語辞典
https://ja.wikipedia.org/wiki/古語辞典
古語辞典(こごじてん)とは、国語辞典の一種。上代から近世末期までの語・慣用句について、意味・語誌・用法などを説明し、用例を添えたもの。
現在は、用例全文に現代語訳を施した、全訳古語辞典が発売され、特色を競っている。また、電子辞書やインターネット辞書も、近年利用者を増やしている。
古語辞典の説明をする前に、「古語(こご)」について考えていきたいと思います。
古語とは、“古い語”という漢字からも連想できるように現代では使用されなくなっている過去の時代の言葉です。
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★古文辞書 - Weblio古語辞典
http://kobun.weblio.jp/
Weblio古語辞典は、古文に登場する古語について調べることができる無料のオンライン古語検索サービスです。 約23000語の古語が登録されおり、古文の助動詞の活用や古典の用例の訳をはじめ、様々な古語の意味を調べることができます。
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・活用する古語の場合、その古語の「活用形」および「活用の種類」が分かります
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・古文の用例の「出典情報」や「現代語訳」を調べられます
・古語・古文の「成り立ち」が分かります
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★うつく・し 【愛し・美し】の意味。
形容詞シク活用
活用{(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}
①
いとしい。
出典万葉集 八〇〇
「父母(ちちはは)を見れば尊し妻子(めこ)見ればめぐしうつくし」
[訳] 父と母を見ると尊い、妻と子を見ると切ないほどかわいくいとしい。
②
かわいい。愛らしい。
出典枕草子 うつくしきもの
「うつくしきもの。瓜(うり)にかきたるちごの顔」
[訳] かわいいもの。瓜に描いたこどもの顔。
③
美しい。きれいだ。
出典平家物語 六・紅葉
「はじ・かへでの色うつくしうもみぢたるを植ゑさせて」
[訳] はじやかえでの葉の色が美しく紅葉したのを植えさせて。
◇「うつくしう」はウ音便。
④
見事だ。りっぱだ。申し分ない。
出典源氏物語 少女
「大学の君、その日の文うつくしう作り給(たま)ひて」
[訳] 夕霧の君はその日の試験の詩文を見事にお作りになって。
◇「うつくしう」はウ音便。
⑤
〔近世以降連用形を副詞的に用いて〕手際よく円満に。きれいさっぱりと。
出典西鶴織留 浮世・西鶴
「うつくしう出替はりまで使うて暇(いとま)出さるるは」
[訳] 手際よく円満に交代期まで使って暇を出されるのは。
◇「うつくしう」はウ音便。
★
★あや・しの意味。
形容詞シク活用
活用{(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}
(一)
【怪し・奇し】
①
不思議だ。神秘的だ。
出典源氏物語 桐壺
「げに御かたち・有り様、あやしきまでぞ覚え給(たま)へる」
[訳] なるほど、お顔だち・お姿が、不思議なほど(亡き更衣に)似ていらっしゃる。
②
おかしい。変だ。
出典枕草子 清涼殿の丑寅のすみの
「女御、例ならずあやしとおぼしけるに」
[訳] 女御は、いつもとは違い、(ようすが)おかしいとお思いになったところ。
③
みなれない。もの珍しい。
出典徒然草 一二一
「珍しき鳥、あやしき獣(けもの)、国に養はず」
[訳] 珍しい鳥、みなれない獣は、国内では飼わない。
④
異常だ。程度が甚だしい。
出典徒然草 序
「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ、ものぐるほしけれ」
生まれてきた赤ちゃんが最初に出すうんち。ネバネバした黒っぽい緑色です。
新生児が出生後の数日間に排泄する黒色の大便。腸粘液・胆汁成分・コレステリン結晶・羊水などからなる。かにばば。かにくそ。
生後2〜3日以内に排出される粘稠(ねんちゅう)な,緑黒色無臭の便。胎内および出生時に飲みこんだ羊水や腸管の分泌物,胆汁色素,脂肪,コレステロール等からなる。その後次第に茶色から黄色の普通便に変わる。
胎児の腸管内に含まれる物質の総称で,出生後に排出される。緑黒色,均質な外観を示し,粘稠で無臭である。胎便は,胎児の消化管分泌液,粘液,膵液,胆汁,および胎児によって嚥下された胎脂を含む羊水成分などが混じったもので,この特有の色調は胆汁色素に由来する。胎便の約80%は水分で,残りは固形成分(ムコプロテイン,脂肪,コレステロールなど)である。正常な胎便では,タンパク質は腸消化酵素で分解されるためほとんど含まれていない。
俗にかにばばともいう。新生児が出生後に排泄する,濃い茶褐色の黒みがかった便。腸管の粘膜細胞や分泌物,粘液,胎脂,胎毛などを含む。4~5日たつと,黄色が強くなり,普通の便となる。
これは主として体内の水分が排出されるためであり,生後7日ころまでには生まれたときの体重にもどり,その後は1日30gくらいずつ増加する。生後3日目ころまでに出る便は胎便とよばれ,緑色を帯びた黒色で,無臭,粘稠,均質な便である。生後4~5日ころには黄緑色の移行便に変わり,その後は黄色い乳児便になる。
... 『古語拾遺(こごしゅうい)』によれば、豊玉姫(とよたまひめ)が海浜の産屋(うぶや)で皇子を出産したとき、供の天忍人(あめのおしひと)が箒(ほうき)をつくって蟹を掃いたことから掃除などをつかさどる ..
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4.雅語(がご)
平安時代を中心とする古典にみえる「正しいことば」をおもにさす。雅言,みやび言葉ともいう。卑語,訛語,俚言などを俗語,さとび言葉などというのに対する。江戸時代の国学者は,雅語,俗語のほかに,平常用いて誤りではないがみやびやかでないものを平言 (つねこと) と呼んで,3分した。雅語には,古言,すなわち上代の言葉も含まれる。また,日常の口語に対し,歌文に用いる文語を雅語ということも多い。アイヌ語では,ユーカラの言葉を雅語とし,口語に対する。
典拠があり、伝統的でみやびやかなことば。また、新しいことばでも、正しく上品なことばであれば雅語といい、「雅言」ともいう。日常の話しことば(あるいはとくに卑俗な感じのことば)を意味する「俗語」に対して用いられ、おもに文章で用いる価値の高いことばと考えられている。一般的には、「ふすま」(=ふとんのこと)、「こころばへ」(=性質のこと)、「ことわり」(=道理のこと)といった和歌や和文に用いられる和語系統のことばをさすが、漢文や変体漢文で用いられる「洛陽(らくよう)」(=京都のこと)、「竹葉(ちくよう)」(=酒のこと)といった漢語系統のことばをも含めることもある。
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5.阿知使主(あちのおみ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/阿知使主
阿知使主(あちのおみ、3世紀 - 4世紀頃、または5世紀前半)は、応神天皇時代の漢人系渡来人で、東漢氏の祖と言われる。
阿智直、阿智使主、阿知王、阿知吉師ともいう。
古代の渡来人。
機織りを伝えた古代の渡来人。阿智王とも書く。古代の最も有力な渡来人の一族,東漢氏(やまとのあやのうじ。→漢氏)の祖。『日本書紀』によれば,応神20年,子の都加使主ならびに党類 17県の民を率いて来朝した。同 37年に縫工を求めて都加使主とともに呉につかわされ,工女の兄媛(えひめ),弟媛(おとひめ),呉織(くれはとり),穴織(あなはとり)の 4人を連れて同 41年帰朝。畿内への途中,筑紫の胸形大神に兄媛を献じ,ほかの 3人をオオササキノミコト(仁徳天皇)に献上。また,履中天皇即位に際しての住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)の反乱では,平群氏や物部氏とともに履中天皇を河内から大和に逃がして守護している。この功により重用され,王仁とともに内蔵の出納を司った。『古事記』では阿知吉師(あちきし)と書いて阿直岐と同一人になっているが,『日本書紀』よりのち,坂上氏の伝えるところによると,阿知使主は後漢(→漢)の霊帝の曾孫で,後漢の滅亡に際して朝鮮の帯方に移住し,さらに七姓の民とともに日本に渡ったとされる。阿知使主は応神天皇に奏し,「旧居帯方の人民男女はみな才芸があるが,最近は百済と高句麗の間にあって去就に困っているため,これを呼び寄せたい」と進言,使者を派遣してその人民を勧誘し,帰化させたとある。
去来穂別(いざほわけ)皇子(履中(りちゅう)天皇)の危急を救い、履中朝に蔵官(くらのつかさ)に任じられ粮地(りょうち)を支給される。『古語拾遺(しゅうい)』にも履中期に内蔵(うちくら)を建て、出納を記録させたとある。
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6.熱田神宮
https://ja.wikipedia.org/wiki/熱田神宮
熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」
斎部広成(いんべのひろなり)は『古語拾遺(しゅうい)』で律令(りつりょう)体制の初期、本社に対する待遇が十分でないことを指摘したが、その後、822年(弘仁13)従(じゅ)四位下、859年(貞観1)正二位 ...
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7.アド
狂言で,シテに対する相手役。2人以上登場する場合は,おもな役1人を主 (おも) アドまたは一のアドといい,以下,次 (じ) アド (二のアド) ,三のアドという。和泉流では主アド以外は小アドと呼び,役柄により,主 (しゅう) または女 (おんな) と呼ぶ。大勢物の場合,その他大勢を立衆 (たちしゅう) といい,その先頭を立頭 (たちがしら) という。舞狂言の場合は,能と同じにワキと呼ぶ。
狂言でシテ(主役)以外の役をいう。調子をあわせて応答する意をもつ古語「あど(を)うつ」から生じたという説などがあるが、語源は未詳。重要度に従い、主(おも)アド、次(じ)アド、あるいは一のアド、二のアド、三のアドなどともいう。また和泉(いずみ)流ではアド1人のほかはすべて小アドとよぶ。
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8.北風(きたかぜ、あなじ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/北風
・北の方から吹いてくる風。
・麻雀における場風および面風の一つ。
・岩手県奥州市江刺の地名。
・北風 〜君にとどきますように〜 - 槇原敬之の6枚目のシングル。
・日本人の姓の1つ。北風正造、北風沙織など。
・北風家 - 兵庫県の旧家。
北風は、日本においては冬に吹く北西方向からの季節風のことである。アジア大陸方向から吹いてきて、日本海を渡る際に多くの水分を持ち込み、本州の山地にぶつかる。そのため、日本海側では多くの雪を降らせ、山を越えた太平洋側では乾燥した風となる。空っ風はこれである。北半球の温帯域においては北風は冷たく、時に苛烈なものの代表として描かれる。北風と太陽との語もある。
西日本で吹く北西の冬の季節風の局地名。
語源は北西(戌亥(いぬい))の方向から吹くので、「いぬ」が転訛(てんか)して「あな」になったという説と、驚きを表す感動詞として「あな」を考える説とがある。「し」は「にし」「ひがし」の「し」と同様、風の古語である。「あなぜ」ともいう。瀬戸内では「あなじの八日吹き」というが、この季節風は吹き始めると八日も吹き続くことがあるので、このようにいわれ、漁師などは海が荒れるので警戒した。
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9.網走(市)
北海道東部、オホーツク海に面する市。オホーツク総合振興局の所在地。1947年(昭和22)市制施行。アイヌ語学者知里真志保(ちりましほ)によれば、地名は、網走川河口近くの海中にある帽子(ぼうし)岩をさす古いアイヌ語「チパ・シリ」(幣場(ぬさば)のある島)に発し、チパが古語になってその意が解しにくくなり、チ・パ・シリ(われらが・発見した・土地)の意に受け取られ、チと同意のアに変わってア・パ・シリとなったとされる。台地丘陵地が多く、西部には能取(のとろ)湖、網走湖に接して低平地が広がり、東部の海岸砂丘の背後には濤沸(とうふつ)湖、藻琴(もこと)湖などがある。網走川の河口付近に中心市街地が形成され、JRの石北(せきほく)本線、釧網(せんもう)本線が接続し、国道39号、238号、244号が集まる。旧国鉄湧網(ゆうもう)線は1987年廃止。
18世紀末に漁場が開かれ、1880年(明治13)郡役所が置かれ、以来地方行政の中心地となった。いまも国や北海道庁の出先機関が多い。内陸部の開発に伴って網走港の港湾整備も進み、商港、漁港の機能をもつオホーツク海岸第一の港湾となったが、1~3月の流氷の時期には港内は完全に凍結する。砕氷船による流氷観光が冬季の呼び物となっている。農業はジャガイモ、小麦、サトウダイコンなどの畑作と牛乳、牛肉、ブロイラーなどの畜産が行われ、水田はほとんどない。林業、ホタテガイ、サケ・マス、タラなどの水産業、同加工業は盛んである。工業では食品や窯業がある。観光も盛んで、海岸沿いには原生花園、湖沼・湿原、放牧風景など網走国定公園を彩る自然景観が展開する。市街南の桂ヶ岡(かつらがおか)公園には郷土博物館やアイヌの築いた砦(チャシ)跡(国指定史跡)が、網走川河口付近に先住民族の居住跡であるモヨロ(最寄)貝塚(国指定史跡)がある。天都(てんと)山は標高200メートル余の丘であるが360度の雄大な展望を楽しめ国の名勝に指定されており、オホーツク流氷館がある。中腹は北海道立オホーツク公園となっており、北方民族博物館があり、山麓(さんろく)には博物館網走監獄や網走スポーツ・トレーニングフィールドがある。網走川北岸には網走刑務所が望める。面積471.00平方キロメートル、人口4万0998(2010)。[岡本次郎]
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★ニッポニカ
雨
あめ
目次(雨)
1.雨滴の形状と落下速度
2.降雨強度
3.降雨の機構
4.降雨と大・中規模の気象状態
5.雨量の分布
・日本の雨量分布
6.雨水の化学成分
7.雨の電荷
8.雨の降り方
9.降雨の記録
10.雨の観測と予報
11.人工増雨
12.珍しい雨
13.雨と人間
14.雨の民俗
15.日本の文学と雨
16.世界の伝承と俗信
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★雨の民俗 https://japan-e-knowledge.jp/contents/kidsknowledge/cgi-bin/nipo/nipo_detail.cgi?id=0001322300&page=15&pFrom=&yokogusi=&refhtml=&hist=102192,102657,210022,106981,210097,100635,102657,210024,104868
日本列島は台風地帯に位置し、またときおりの季節風にも複雑な変化があるため、四季を通じて雨が多く、しかも多彩な変相を呈している。氷雨(ひさめ)、糠雨(ぬかあめ)、五月雨(さみだれ)、夕立、時雨(しぐれ)、そばえ(通り雨)など雨の異名のきわめて多いことにも、日本人の雨に寄せる関心の深さがしのばれ、また古くからそれは文芸の主要テーマともなっていた。
とくに水稲栽培を中枢とする日本農業では「用水」の確保が絶対要件ゆえ、雨に対する農民の関心はとくに強く、降雨を神霊の「恵み」とし、「五風十雨(ごふうじゅうう)」ひたすら「順気」を祈る伝統をおのずから生じた。
とりわけ田植はあたかも梅雨時節にあたるので適度の降雨を祈るに切なるものがあり、また初田植(サオリ)、田植じまい(サノボリ)などにはかならず雨が降るという伝承も広く生じ、そのほかにも「雨の忌(いみ)」にかかわる伝承はいろいろあり、古語の「雨つつみ」も5月の「忌ごもり」と解される。
旧5月28日を「虎(とら)が雨」の日とよび、この日かならず雨が降るのは、仇討(あだうち)に向かう曽我(そが)十郎との別れに流した「大磯(おおいそ)の虎御前」の涙の「名残(なごり)の雨」だという伝承も、田植月の終わりの祭りの痕跡(こんせき)のようだ。ともかく、降雨を久しく神霊降臨のしるしとも信じてきたのである。
七夕(たなばた)、山神祭、大師講などの祭日にかならず降雨があり、あるいは雨風激しい荒れ模様になるという伝承も同趣のものであろう。
とくに干魃(かんばつ)に際会しての「雨乞(あまご)い」の習俗は多彩な姿を示して全国に分布する。
「種水もらい」と称して特定社寺境内などの「霊水」を汲(く)み、遠路村に運び込んで祈祷(きとう)したり、あるいは山上に大火を焚(た)いて雨をよんだり(千駄焚き)、また竜神、水神の住むと伝える淵(ふち)や滝つぼに汚物を投げ入れて神を怒らせ雨を降らせるなど、種々の形で共同祈願が行われてきた。
ただし日本では雨自体を神格化することはなく、むしろそれを竜神、雷神、水神など諸神霊出現の兆しとしたり、あるいはその霊威の啓示と観じてきた。
一方、過度の降雨はまた農作を損ない、あるいは一挙にそれを押し流す「水害」をもたらすので、いわゆる「日乞い」の祈願も広く行われてきた。
正月や節分の予祝儀礼に月々の天候を占う習俗(ヨダメシ)の類も広くみられ、また村鎮守の春祭には1年の「順気」を祈る例でもあった。なお、多雨多湿の風土は日本人の住居や服装にも特異な様式をおのずから付与してきたことも忘れがたい。
[竹内利美]
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★下駄占い - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/下駄占い
下駄占い(げたうらない)は、日本の占い、または子供の遊びの一つ。
足に履いている下駄を投げ、落ちてきた下駄が表か裏かで、明日の天気を占うもの。
「明日天気(あしたてんき)」、「天気占い(てんきうらない)」ともいう。
歴史
下駄占いの歴史には諸説がある。民具研究家の近藤雅樹は、雨乞いや日乞いの神事に使われたものが民間に広がった可能性を指摘している。平安時代の絵巻物には、すでに下駄が描かれており、下駄は本来、雨の日にぬかるみにはまらないよう履くものだったことから、「明日は晴れて欲しい」という願いが込められたのでは、近藤は見ている。
天気が悪いときに履いていた「高下駄」が、かつて「足駄」と呼ばれていたことから、この「足駄(あしだ)」を「明日(あした)」にかけて、明日の天気を占うようになったとの説もある。
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10.雨
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8
雨(あめ)とは、大気から水の滴が落下する現象で、降水現象および天気の一種。また、落下する水滴そのもの(雨粒)のこと。大気に含まれる水蒸気が源であり、冷却されて凝結した微小な水滴が雲を形成、雲の中で水滴が成長し、やがて重力により落下してくるものである。ただし、成長の過程で一旦凍結し氷晶を経て再び融解するものもある。地球上の水循環を構成する最大の淡水供給源で、生態系に多岐にわたり関与するほか、農業や水力発電などを通して人類の生活にも関与している。
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★逆引き古語辞典
http://catincat.jp/information/kogo.html
あいする 【愛する】 めづ
あかるい 【明るい】 あかし
あさはかだ 【浅はかだ】 ふつつかなり
あっけない 【呆気無い】 あへなし
あてにする 【当てにする】 たのむ
あやしい 【怪しい】 けしからず
あるきまわる 【歩き回る】 ありく
あわてる 【慌てる】 まどふ
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★ふつつか【不束】
《名ノナ》能力・しつけ等が足りず、行き届かないこと。
「不束な娘ですがよろしく」。不届き。
「この不束者め」
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★現代文を古文にするスクリプト
http://catincat.jp/javascript/kogo.html
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
翻訳
吾輩は猫なり。名前は未だ無し。
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★間違えやすい古語 混同しやすい古語
http://www.bonjin-ultra.com/kogo.htm
混同しやすい古語
あいなし かわいげがない。つまらない。
あへなし(敢へ無し) どうしようもない。張り合いがない。
あやなし(文無し) すじが通らない。むなしく意味がない。
あた(仇・賊・敵) 敵。かたき。
あだ(徒) むだ。不誠実。かりそめ。
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★現代語
1 現代、用いられている言語。
2 日本語では、明治以降現に用いられている言語。または、第二次大戦後の言語。
特に、東京語を中心とする共通語をいう。
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★中古日本語(ちゅうこにほんご)https://ja.wikipedia.org/wiki/中古日本語
上代日本語と中世日本語の間に位置する、日本語の発展における一段階である。平安時代中期に用いられた。日本語の文語体の基礎となる言葉遣いである。
平安時代の初期(10世紀)に日本語を記したものは漢文・変体漢文と訓点資料(漢文訓読を記号・文字で記した資料)・古辞書を除いて残存資料に乏しく、実態ははっきりしない。一方平安時代末期(11世紀末ころ~12世紀)には中期とは異なる現象が現れ始め、「院政期」と呼ばれる。院政期は後の鎌倉時代と似た特徴を持ち、「院政鎌倉時代」と一括して考えることがある。従って「中古日本語」という時は平安時代の中期を中心に、初期も含めるが、院政期を除いて考えるのが一般的である。そして院政期は「中古」に対して「中世前期」と呼ばれる。
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★古語拾遺一巻(加序)原文 並びに読み下し文 従五位下 斎部宿禰廣成撰
http://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji/e/0d31875acc31a1e74fb292644c64d84e
はじめに
本資料は万葉集を鑑賞するにおいて、その時代を勉強するために藤原氏系ではない歴史資料の一つとして個人的に読み下しを行ったものです。従いまして、市販の書籍のままの引用ではありませんので、学問的な裏付けのないものとして扱って下さい。
構成は最初に原文を紹介し、その後に読み下し文を付けています。
聞くところによると、上古の世は文字が無く、貴賎老少問わず口から口へ伝えていたが、 その言った事、行った事や出来事を忘れはしないかと書き記して以来、古を語る事を好まなくなり、 浮ついた華やかさを競い興じて還って旧老をあざ笑い、遂に世代を重ねて古代を忘れ、 代を重ねる後とに古法をを失った。顧みて故実を問う時その根源を知らない。
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★古語における「む」と「ん」について:歴史的仮名遣い教室 補講202教室
http://www5a.biglobe.ne.jp/accent/kana/nigou202.htm
特別授業:古語における「む」と「ん」について
「む」と「ん」については次の事情を知つておきませう。
推量、意志などの助動詞「む」は概ね鎌倉時代以降、「ん」と「う」の表記に取つて代はられました。
行かむ・・・・行かん、行かう
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★古語辞典
https://ja.wikipedia.org/wiki/古語辞典
古語辞典(こごじてん)とは、国語辞典の一種。上代から近世末期までの語・慣用句について、意味・語誌・用法などを説明し、用例を添えたもの。
現在は、用例全文に現代語訳を施した、全訳古語辞典が発売され、特色を競っている。また、電子辞書やインターネット辞書も、近年利用者を増やしている。
古語辞典の説明をする前に、「古語(こご)」について考えていきたいと思います。
古語とは、“古い語”という漢字からも連想できるように現代では使用されなくなっている過去の時代の言葉です。
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★古文辞書 - Weblio古語辞典
http://kobun.weblio.jp/
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★
★うつく・し 【愛し・美し】の意味。
形容詞シク活用
活用{(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}
①
いとしい。
出典万葉集 八〇〇
「父母(ちちはは)を見れば尊し妻子(めこ)見ればめぐしうつくし」
[訳] 父と母を見ると尊い、妻と子を見ると切ないほどかわいくいとしい。
②
かわいい。愛らしい。
出典枕草子 うつくしきもの
「うつくしきもの。瓜(うり)にかきたるちごの顔」
[訳] かわいいもの。瓜に描いたこどもの顔。
③
美しい。きれいだ。
出典平家物語 六・紅葉
「はじ・かへでの色うつくしうもみぢたるを植ゑさせて」
[訳] はじやかえでの葉の色が美しく紅葉したのを植えさせて。
◇「うつくしう」はウ音便。
④
見事だ。りっぱだ。申し分ない。
出典源氏物語 少女
「大学の君、その日の文うつくしう作り給(たま)ひて」
[訳] 夕霧の君はその日の試験の詩文を見事にお作りになって。
◇「うつくしう」はウ音便。
⑤
〔近世以降連用形を副詞的に用いて〕手際よく円満に。きれいさっぱりと。
出典西鶴織留 浮世・西鶴
「うつくしう出替はりまで使うて暇(いとま)出さるるは」
[訳] 手際よく円満に交代期まで使って暇を出されるのは。
◇「うつくしう」はウ音便。
★
★あや・しの意味。
形容詞シク活用
活用{(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}
(一)
【怪し・奇し】
①
不思議だ。神秘的だ。
出典源氏物語 桐壺
「げに御かたち・有り様、あやしきまでぞ覚え給(たま)へる」
[訳] なるほど、お顔だち・お姿が、不思議なほど(亡き更衣に)似ていらっしゃる。
②
おかしい。変だ。
出典枕草子 清涼殿の丑寅のすみの
「女御、例ならずあやしとおぼしけるに」
[訳] 女御は、いつもとは違い、(ようすが)おかしいとお思いになったところ。
③
みなれない。もの珍しい。
出典徒然草 一二一
「珍しき鳥、あやしき獣(けもの)、国に養はず」
[訳] 珍しい鳥、みなれない獣は、国内では飼わない。
④
異常だ。程度が甚だしい。
出典徒然草 序
「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ、ものぐるほしけれ」
[訳] 心に浮かんでは消えてゆくたわいもないことを、とりとめもなく書きつけていると、(思わず熱中して)異常なほど、狂おしい気持ちになるものだ。◇「あやしう」はウ音便。
⑤
きわめてけしからぬ。不都合だ。
出典源氏物語 桐壺
「打ち橋・渡殿(わたどの)のここかしこの道にあやしき業(わざ)をしつつ」
[訳] 打ち橋や渡殿のあちこちの通り道にきわめてけしからぬことをしては。
⑥
不安だ。気がかりだ。
出典奥の細道 那須
「うひうひしき旅人の、道ふみたがへん、あやしう侍(はべ)れば」
[訳] (その地に)まだ物慣れていない旅人が、道を間違えるようなのも、不安でありますから。◇「あやしう」はウ音便。
(二)
【賤し】
①
身分が低い。卑しい。
出典発心集 六
「あやしの身には得がたき物にて」
[訳] 身分が低い者の身には、手にいれにくい物で。
②
みすぼらしい。みっともない。見苦しい。
出典枕草子 虫は
「親の、あやしき衣ひき着せて」
[訳] 親が、みすぼらしい着物を着せて。
参考
貴族には当時の庶民の生活は不思議で理解できないところから、(二)の意味が生じた。(一)(二)の別系統の意味があることに注意すること。
★
★いみじくも
《副》まことによく。適切に。巧みに。
「―言い表している」
★
★学研全訳古語辞典 学研教育出版学研教育出版
いみ・じ
形容詞シク活用
活用{(じく)・じから/じく・じかり/じ/じき・じかる/じけれ/じかれ}
①
はなはだしい。並々でない。
出典徒然草 二三六
「御前なる獅子(しし)・狛犬(こまいぬ)そむきて、後ろさまに立ちたりければ、上人いみじく感じて」
[訳] 社殿の前の獅子と狛犬とが(たがいに)背中を向けて、後ろ向きに立っていたので、上人は並々でなく感激して。
②
よい。すばらしい。
出典徒然草 七
「世は定めなきこそ、いみじけれ」
[訳] この世は無常であるからこそ、すばらしいのだ。
③
ひどい。恐ろしい。
出典枕草子 うへにさぶらふ御猫は
「あないみじ。犬を蔵人(くらうど)二人してうち給(たま)ふ。死ぬべし」
[訳] ああひどい。犬を蔵人(くろうど)が二人でお打ちになっている。死ぬにちがいない。
⑤
きわめてけしからぬ。不都合だ。
出典源氏物語 桐壺
「打ち橋・渡殿(わたどの)のここかしこの道にあやしき業(わざ)をしつつ」
[訳] 打ち橋や渡殿のあちこちの通り道にきわめてけしからぬことをしては。
⑥
不安だ。気がかりだ。
出典奥の細道 那須
「うひうひしき旅人の、道ふみたがへん、あやしう侍(はべ)れば」
[訳] (その地に)まだ物慣れていない旅人が、道を間違えるようなのも、不安でありますから。◇「あやしう」はウ音便。
(二)
【賤し】
①
身分が低い。卑しい。
出典発心集 六
「あやしの身には得がたき物にて」
[訳] 身分が低い者の身には、手にいれにくい物で。
②
みすぼらしい。みっともない。見苦しい。
出典枕草子 虫は
「親の、あやしき衣ひき着せて」
[訳] 親が、みすぼらしい着物を着せて。
参考
貴族には当時の庶民の生活は不思議で理解できないところから、(二)の意味が生じた。(一)(二)の別系統の意味があることに注意すること。
★
★いみじくも
《副》まことによく。適切に。巧みに。
「―言い表している」
★
★学研全訳古語辞典 学研教育出版学研教育出版
いみ・じ
形容詞シク活用
活用{(じく)・じから/じく・じかり/じ/じき・じかる/じけれ/じかれ}
①
はなはだしい。並々でない。
出典徒然草 二三六
「御前なる獅子(しし)・狛犬(こまいぬ)そむきて、後ろさまに立ちたりければ、上人いみじく感じて」
[訳] 社殿の前の獅子と狛犬とが(たがいに)背中を向けて、後ろ向きに立っていたので、上人は並々でなく感激して。
②
よい。すばらしい。
出典徒然草 七
「世は定めなきこそ、いみじけれ」
[訳] この世は無常であるからこそ、すばらしいのだ。
③
ひどい。恐ろしい。
出典枕草子 うへにさぶらふ御猫は
「あないみじ。犬を蔵人(くらうど)二人してうち給(たま)ふ。死ぬべし」
[訳] ああひどい。犬を蔵人(くろうど)が二人でお打ちになっている。死ぬにちがいない。
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