縄文人の志葉楽さんのブログ

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●日本人の美意識

2021年01月04日 07時23分50秒 | ●日本人の特質
●日本人の美意識
●大阪万博辺りから日本人の意識が可笑しくなったと言われている。歩きながら人前でモノ食ったりうんち座りでコンビニ前や該当で話し込んだりモノ食ったり。
◆日本の「美意識」や「美の概念」 - 太鼓日和 - 和太鼓集団 鼓蓮
https://magazine.wadaiko-kohasu.com/traditional/461/#outline__1
日本人の自然観と神道
まず初めに、日本人の美意識の根本にある概念として「自然」があります。
「花鳥風月」や「雪月花」という言葉から日本人は太古の時代より「自然」に対して「美」を見出してきました。自然を愛する日本人の美意識の特徴として「移り変わり」という時間の流れによる経年変化が挙げられます。
例えば日本庭園は自然をあるがままに作り出すことに重きを置いています。西洋の庭園に見られる調和の取れた景観とは異なり、自然的で混沌としている特徴があります。これは日本人が「自然のままに変化する景観を楽しむ」特徴があった事が挙げられます。
 
◆日本人の美意識*
https://www.kagura.co.jp/blog/culture/5682/
目次
1
2 美意識とは
3 日本人の美意識
4 日本人の美意識種別 -余白の美- (不足の美・未完成の美)
5 日本人の美意識種別 -偶然の美-
いわゆる「きれいなもの」を表現する際に、皆さんはどんな表現を使いますか?
よく使われる言葉としては「美しいですね」「綺麗ですね」「素敵ですね」「魅力的ですね」といったところでしょうか。
最近は若い世代を中心に「かわいい」がこうした表現となっていることもあり、海外でも有名な日本語のひとつとなってきています。
ではなぜそう感じるのか、またはそう感じさせるのか。
そこは個人の感覚もあり、ある意味で曖昧ですが、ここ日本には特有の「美意識」があり、その根幹に根付いたものがインテリアコーディネートの肝となることもままあります。
今回はそんな「日本人の美意識」についてお話しましょう。
 
◆日本人の美意識
https://www.matcha.co.jp/mailnews/184/
こんにちは、時計草です。
先日、英語の講師をされている方のお話を聞く機会がありました。
テーマは「日本人が英語が苦手な訳」。
要約してしまうと、日本人は言語脳(理論的)である左脳ではなく、英語を音楽脳(感覚的)である右脳でとらえているからではないか?との説がある。というお話。
日本人は動物や風の音、三味線や笛などの伝統的楽器を左脳を使って理論的にそれらを美しいものとして理解している。
なぜならそれらの音は日本語の母音(あいうえお)に似ているから。
それに対し英語は子音がメインの言語のため言語として認識できず右脳で感覚的にとらえているから理解する事が難しい。
一方、西洋人は動物や自然が奏でる音を右脳でとらえているので意味を感じられなかったり雑音にしか聞こえなかったりするそうです。
そう考えると日本人が感じる風情だったり趣、懐かしいという感覚は日本人の左脳が選び抜いた洗練された独特の美意識だと思えますよね。
お茶のさっぱりした感じを物足りないと感じることなく、潔い、奥深いと思う。
そんな感覚にも繋がっていると思いませんか?
 
◆『日本人の美意識』|感想・レビュー - 読書メーター (中公文庫)
https://bookmeter.com/books/464504
ドナルド キーン『日本人の美意識』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約24件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。
hitsuji023
外国人が日本文学を論じるというところにある種の特別な感情を抱いてしまうのはしょうがない。なぜなら日本人だから。源氏物語も原文で読み通すこともできないから。外国人ということで注目度も違うだろうし、おそらく似たようなテーマで書いている日本人の学者もいるだろうが、文章も内容もとても分かりやすいので、我々日本人にある感覚、感性などを再度理解する上で最適な本だと思う。時間をおいて、再読したい。
ナイス★2
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2020/12/31
Noa Live
メモ 日本人の美意識(1章より) ・暗示または余情 → 禅、余白 ・いびつさ、不規則性 →不完全の美意識、兼好法師 物事がきちんとしていないほうが良い。茶碗 ・簡潔 →良い意味で質素、渋い 銀閣寺 千利休はさびを追求。錆、寂れるにも通じる 簡素さと天然自然を強調→物の質を見分ける目利きの力(寿司、薄味) ・ほろび易さ →はかないものへの美意識(桜と梅、金継
ナイス
コメント(0)
2020/09/15
スリルショー
日本人の美意識を中国の影響を受けながらも、その違い、欧州との決定的な違いを文学、演劇、建築などの例から、わかりやすく解説している。なかでも、自分にとって謎の人物、一休や源氏物語の英訳者アーサー・ウエーリのことが、わかり興味深い。日本人でもあまり興味を持たない日清戦争と日本文化については、よく調べられていて画期的。
ナイス★1
コメント(0)
2020/08/02
magichour
いびつさ ないし不規則性は、創造へ私たちの参加を許し 感動をさせる。
 
◆えびふらい
とても面白かった。多くの日本人が信じている歴史の見方とアメリカ人日本語研究者からの視点は大分違う。特に、日清戦争時代の市井の人々の雰囲気についての考察はとても面白かった!もっと日本について読もう、と思うと同時に、他の国のことも知らないと、自分の国を違う視点から客観的には見れないなーとも思った。皆さん、この本はオススメですよ。
 
◆すけよし
はっきりと言葉にせずに仄めかしたり、自然をそのまま活かすことを理想としたり、あらゆる飾りを排除して単純さを極めることなど、筆者の見た日本人の美意識は、現代に生きる私にも理解することはできる。しかし自分自身を振り返ると、これらが生活に息づいているとは言えないことが寂しい。インターネットの発展により、世界全体が標準化されていく中で、日本の文化の中で長く育まれてきた美意識を、私も大切にして、後世の人に対して伝えていけるようになりたいと思った。
 
◆i-miya
1990.03、アメリカ知識人、デューラーの素描、Or ホルバイン、一休論、中国人に対する古い蔑称、渋い、トイレの壁に花籠、日本料理の視覚的効果、美に沈没して生きる、筆跡、天皇から下級役人に至るまで、どこそこで八分咲き、どこそこで七分咲きとの会話に余念がない、藤原公任(きんとう)996-1041、歌、九等分け、モノクローム、単色、禅、幽玄という言葉のもつ不思議な魅力、藤原定家(1162-1241)見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮/吉田兼好『徒然草』、茶の湯、千利休 
 
◆i-miya
「休息」「止まって待つ」の意1420 26歳、悟り、羅漢の境地、しかし作家(さっけ)はまだだよ。作家はいらない。なら、まことの作家だ。印可を受け取らず、捨てた一休、尊敬していないのではない、偽善の他の僧への宛てつけ<花子>1907.10.08、M34. 33歳、岐阜の町で芸人、コペンハーゲンでショー、興行師、アメリカのダンサー、ロイ・ケラーに見出される、貞奴支援したことある、花子、本名太田ひさ(お久)コペンハーゲンで大成功、ヨーロッパ9ヶ月、ロダン、ヌードのスケッチ申し出、学生、玩具の形而上学、森鴎外短編
 
◆第一章 日本人の美の倫理 | 善悪を美醜で判断する日本人
https://utsukushii-nihon.themedia.jp/pages/715175/page_201611041511
日本で長く暮らす外国人、あるいは日本で暮らしたことのある外国人の多くが、日本人は「何が良いことか」、「何が悪いことか」を、「それが美しいかどうか」で判断するといって、日本人のユニークさを指摘している。
 明治時代に来日し、以後四十年にわたって日本と日本人を観察して、名著『日本文化史』を遺したイギリス人ジョージ・サンソムは、日本の道徳(モラル)の基準は、「何々すべし、すべからず」といった論理的命題ではなく、ただまことに鋭い「美醜の感覚」によって維持されてきたと言う。そして、この点に日本の「大いなるユニークさ」と「存立の源」があることを論じている(文献1、p.60)。
 
◆国語の授業の作り方 - 日本人の美意識 - livedoor Blog
http://blog.livedoor.jp/kokugojugyou-kokugojugyou/tag/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%BE%8E%E6%84%8F%E8%AD%98
今日の授業(「日本人の美意識」その5).
第3段は「きよし」と言う言葉に代表される日本人の美意識のことである。「わび」「さび」の世界とよくいわれる
が、華やかさと対極にあるものである。「貧しさの美学」とフランス人などが称しているようだが、筆者は「否定の美学」という。「汚れのない状態、悪いもの、うとましいものがない」状態である。豊かさを美と考える西欧人から見ると、「貧しさの美学」「否定の美学」は神からの啓示のような驚きの美意識である。そして、そのような日本人の美意識は「死の美化」につながる。なぜなら、「死」はあらゆるものの否定だからである。滅びゆくもの、つかの間のものに美しさを感じる日本人の美意識。この美意識は「うつくし」のように小さいものに対する美意識とともに日本人の美意識を現すものである。... 2011/09/13
 
◆日本人の美意識 - いにしえの他人を敬う文化
http://yorio-salon.sakura.ne.jp/newpage27.htm
末木剛博氏 抜粋 日本人の美意識
一般に「あはれ」といわれ『見るもの聞くこと、なす業に触れて、情の深く感じることをいうなり』と定義されている。またあわれは芸術全般の源であり、日本人の感情的、ものの考え方、美しく感じようとすることであり、日本の独特で特徴的なものである。平安時代には「あはれ」は多く哀の意味に使われ,哀感が美意識の主位をしめていた。
この哀感に余情が加わると「幽玄」という宗教的な深い沈潜の情となり、ここに芸術の理想を見出そうとしてきた。一切の無駄や贅沢を排除した冷たく寂びた状態のなかに無限を感じるのである。「さび」は繊細な感覚でもののあはれを知ると同時に、事実への執着を離れて心を軽くしする。寂びは哀感の一つの淋しさからから生じる美意識で、淋しさを通して無限を感じ無限感で淋しさを癒す、そうした解放された軽さを楽しむ状態である。
 
◆日本人の美意識を測る『ものさし』 | 和柄・和風デザイン・伝統模様
https://ameblo.jp/jj9999/entry-12335481321.html   2017/12/10
『暗黒色、憲法黒茶、藍黒茶、黒檀、濡羽色、鉄黒、烏羽色、黒、蝋色、漆黒、黒紅、紫黒・・・・』
これらは『黒色』の和名です。
これはほんの一例ですが、日本には黒い色を表す和名がこんなにあり、しかも、その微妙な違いを見分ける繊細な『ものさし』を古来より、日本人には能力として備わっていたのです。
色に限らず、五感の全てに表す繊細な美意識の「ものさし」の目盛りの細かさは、他の国と比較しても突出していると思います。
そんな日本人の美意識は、様々な素晴らしい物や文化を生み出し、世界に影響を与えてきました。
衣食住は言うに及ばず、芸術やデザイン、最先端テクノロジーに至るまで・・・・。
 
◆日本人の美意識-間-書は余白の芸術  2019.05.17墨娯游帖
https://bit.ly/3obcNPT
空間 余白のことであり、日本の芸術や文化の美意識です。
西洋の芸術、たとえば、油絵は色を重ね塗りしていく、プラスの芸術です。
それに対して、たとえば、日本の書の世界は、余白という空間を重んじ、
一瞬の線のみの、マイナスの芸術です。
書に限らず、日本の伝統的な芸術や文化は、
総じて「間」という「みえない領域」を大切にします。
みえない領域、空間の中に、「美」を感じる。
わたしたちは、一見、なにもない空間に、心の安らぎを感じます。
主張のない、観る者それぞれに価値観を委ねた「間」が、
その余韻や開放的意識により、心の癒しとなるのかもしれません。
 
◆何もないからこそ美しい。日本人独特の美意識「余白」を身近なものにも心にも
https://bit.ly/3hECuWD
何も記されていない白い部分「余白」。
書道においては「余白の美」とも言われ、
黒で書かれている部分と同じくらい白い部分は大事と言われています。
普段私たちが目にする中にも、
この「余白」によって印象が変わるものが多々あります。
黒い部分だけを頑張るのではなく、
同じくらい心を込めて白い部分を作り出すことでより
美しくなる、そんな目線を持って周りを見渡してみましょう。
もっと「余白」を意識したくなる身近なものをまとめました。
2017年12月28日作成
 
◆「余白」を楽しむという感覚は日本人独特のものとされています。びっしりと描かれる西洋絵画と、余白にこそ重きをおく水墨画や日本画を比べてみると「余白」に対する感覚の違いがよくわかります。
普段から目にしている「余白」
「余白」といっても書道や絵画、庭園などに限ったことではありません。心で想像して完成させるための「余白」は、普段目にするところにも多く存在します。
 
◆【日本人とさくら】②あなたが桜を愛でるのは『日本の美意識』を今も受け継いでいるから☆
https://chiyohikarun0810.com/2020/03/27/japanesecherryblossoms2-biishiki/
 
◆【日本人とさくら】③桜と『日本の価値観』の関係は武士道からつながる☆
https://chiyohikarun0810.com/2020/05/31/japanesecherryblossoms3-kachikan/
 『武士道』の著者、新渡戸稲造は当時(120年前)武士道の未来をこう予言したそうです。
「武士道の影響力が地上から消え去ることはなく、その象徴たる桜の花と同じように、風に吹き散ってしまった後も、その香りは残って人びとの暮らしを豊かにするはずだ」と。
◆【日本人とさくら】①日本の代表的な三種類の桜を知って、お花見をより楽しむ
https://chiyohikarun0810.com/2020/03/14/japanesecherryblossoms1-2/
 
◆日本人の美意識 - 昔の作文/作文の丘から 小学生、中学生、高校生
https://www.mori7.com/okap/index.php?p=575194
 日本人の美意識   あまぐり
 欧米のリンゴは大衆的な果物の中で育ったが、日本は「高級化の道を歩いてきた。リンゴの「袋かけ」は、幼虫が果実に深く穴を開けて致命的な害うを与えるシンクイ類の被害防止が目的だった。しかし、科学農薬が発達し、別の防除技術が確立された現在でも、袋かけは根強く残っている。その理由として、袋をはずした後の果実を鮮やかに着色させるためだ。中身よりも外見を優先する日本人の微意時期には、いささかの軌道修正の必要があることだ。(要約)
 日本人は中身より外見を優先する人が多い。例えば、デパートで物を買ったとき、物を包んで、リボンをかけてシールを貼って…のようにとても丁寧に包装してくれる。包装してくれるのは日本人として嬉しいのだが、なにもそこまでしなくても……と思う時がある。そのようなことを「過剰な包装」という。僕もそのような経験がある。前にデパートで遊戯王というカードを買った。五枚入っているパックのことだ。僕はパックの種類を店員に告げ、買うことができた。だが、そのパックにはそのデパートの包み紙にきちっと包まれていた。僕はその場で開けようと思っていたため、包装紙を丁寧にはがし、開けた。僕はその包装紙を家に帰ってから捨てた。また、それは過剰な包装である。そのような過剰な包装をするとゴミが大量に出る。ただでさえ日本はゴミが多く困っているのにもっと増やすことになってしまう。その過剰な包装は日本人の美意識から生まれる。だが、それは相手に対する思いやりや気遣いとも言えるのではないか。見た目を優先する日本人にはもらって嬉しいやり方を試行錯誤してこのような結果になったのだろうか。見た目の美しさを重要視する日本人はもっと違う方法で気遣いをして欲しい。
 他にも日本人の美意識で困ったことがある。それもデパートなどでよくあること。食料品売り場にある不ぞろいコーナー。お菓子や果物などで形が崩れてしまった物や少しかけてしまった物などを通常よりも安く売られている。味や新鮮さは、同じなのに形がそろってないだけで選ばれない。南アフリカの方には物を食べたくとも食べられない人たちがたくさんいるのに、日本人はわがままである。日本人の美意識は困ったものである。
 日本人の本当の美意識は、はででない、質素な美しさもあったはずである。飾り気の無い茶室に一輪の花を飾ったり、一幅の掛け軸を飾ったりしたり、物を包む時にもふろしきで何でも綺麗に包める技術があったはずである。少ないものを効率よく、うまく利用することがおしゃれ、という日本人の美意識を取り戻すことが必要なのである。

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