わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(12)

2014-10-26 07:54:02 | 癒し
         (前日からの続き)
 ですから、あのセレモニーは、皆さん、宇宙子科学
メンバーなどは、生命は要りませんということを宣言
させられていますけれども、本来生命なんてものは
全く無始無終ですからね、その生命が無くなるか
どうかは、本来考える必要のない存在なんだけれども、
要するに、自分の中でケジメをつけてね、肉体の
生命がなくなるかも知れないけれども、その生命が
無くなった時に初めて光が出て来るというぐらいの
覚悟でやっていただくと、本当に、ある一瞬に、
皆さんの肉体は死んだのだと思います。死ぬという
ことは、その時に、私という私心が全く存在しない
瞬間を持ったからこそ、あそこで光が降りたんで
あって、その時に皆んな一瞬死んでるわけですね。
 死んでいるけれども、守護霊守護神によって、他の
霊人天使達によって、皆さんの中にサーッと深い深い
霊波動、光が入って来たから、肉体死に至らないで
済んでいる。
             (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(11)

2014-10-25 07:09:53 | 癒し
        (前日からの続き)
 そういうことを何十年何百年とやって来て、
親鸞さんとか法然さんとかキリストなど先覚者の
人達が出て来て、皆さんを引っ張って来たわけ
です。しかしもう時期的に言って、末世の末世の、
光が生まれて来る直前の苦の状態に覆(おお)わ
れた今の時に、皆の祈りの光によってその闇を
破ってゆくこの時期に皆さんが出会ったわけ
ですね。出会った皆んなが、それぞれの持って
いる光、それぞれの持っている世界の中で、この
平和の祈り言にかえて、心を一つにして祈って
ゆく時に、守護霊守護神や宇宙天使の働きかけ
により、この間、四次元の光が降りて来たわけ
ですね。
             (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(10)

2014-10-24 08:09:10 | 癒し
         (前日からの続き)
 しかし、肉体の区切りとして、死があったり
生があったり、生まれ変わりがあったり
しますけれども、それは我々自身が死んだり
生きたりする訳ではないんですね。つまり、霊が
生きたり死んだりする訳ないですから、霊には
男性も女性もなんにもない訳ですね。霊
というのは、ただ神様の光を映している。神様の
光を受けてそこに生きている。生き生きと生きて
いる。そういうものなんです。だから、あなた方は
幽界にも霊界にも生き生きと生きているのね。
 そうして、この現世(うつしよ)に向かって
光を投げかけているもう一人の存在がそれぞれいる
訳ですよ。ここに存在して一生懸命働いている肉体
持った自分自身に、本来の自分から、直霊の自分
から、神様に近い自分から光が来て、その光に
よって生かされている。それによって三位一体と
なって、ああ私はここにも居るけれども、あそこ
にもいる。霊界にもいる。本当に一つにつながって
いるということを、瞬間でも思えた時にね、その
人は覚者になる訳です。これはもう、肉体人間の
思いとか煩いとかいうものを超えたものになる訳
ですね。
             (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(9)

2014-10-23 06:03:29 | 癒し
       (前日からの続き)
 それに、四次元のことですが、五次元六次元
七次元八次元…もう高次元の世界というのは、
無数にあるわけで、ここからここ迄が三次元で、
ここからが四次元、五次元だという、そういう
ものではないわけですね。もし、目に見える
かたちで、ここからここまでが有資格者なんて
いうと、どうにもならなくなる。やはり、
その人なりの経験とか、この地上に生きる人達
には、どの位傷ついて来たのか、どんな思いを
経て来たのか、不幸な人も幸福な人も色々
あるけれども、この世の中の経験や過去世
からの経験によって、苦であるとかないとか、
そういう所を一切超えた、乗り超えた久遠の光
というものが皆の中に種として入っている。
 その光と天界の光と全部が一体になって
やってゆくことによってね、本当の意味で、
人類の我々一人一人の気持ちの中に、平和の
光を呼び覚ますということが、世界平和を実現
してゆくことになっていくんですね。
 ですから、我々の生命というのは無始無終
なんですね。始めもなければ終わりもない。
 死ぬということも本来無いわけですね。
 本当はずーっとあるもの、過去からあるもの、
今もあるもの、未来もあるものなんですね。
              (翌日に続く)

(一)富士聖地野外特別統一会で 四次元の光を受けた意義について(8)

2014-10-22 08:30:52 | 癒し
       (前日からの続き)
 例えば、百人で祈って、百人の祈りがそれで
終わりかというと、そうではなくて、その祈りが
ずーっと上にあがっていって、天界や霊界の
すみずみまでに感応して、諸霊の方から光を
返してきて、そして又交差してと、そういう
遠大なセレモニーになっているわけですね。
 セレモニーというよりは祈(の)り言(ごと)
になってゆくわけですね。その祈りの光の交差
というものが、宇宙の中でのこの地球の存在
そのものを光の方へ変えてゆく。そして
そのことが、宇宙の星々、我々の兄弟星や
先輩星の、霊的に優れた意識の高い人達に
我々が響かせてゆく。我々の心がひびいて
共鳴してゆくということになるわけです。

 結局は、私がいつも申しますように、人間
というものは全部波動なんだ、生命は波動
なんだとね。そういう霊妙な高い響きを
我々自身が持っている。持って生まれて
来ている。その恵みによって肉体の生命も
精神も全部生かされている。そういうことを
思うとですね、何を基盤にしなければ
ならないかということは、おのずから判って
くると思います。
        (翌日に続く)