青空ーすべてはバランス

5 ベートーヴェンについて調べています

(9)宮廷記録から知る家計の状況


多くの人が研究を行っているが、アレクサンダー・ウィーロック・セイヤーという人が伝記「ベートーヴェンの生涯」で当時の宮廷記録を紹介している。
宮廷では、枢密院というところがあって、宮廷の人事権を持っていた。また、採用や昇任や給与に関しては領主である大司教兼選帝侯殿下に直接「請願書」を差し出し、お慈悲を乞う形式をとっていたそうだ。そして、採用後は勤務評定されていたようです。


1783年の勤務評定
J(ヨーハン)・ヴァン・ベートーヴェン、44歳、出生地ボンで結婚、その妻32歳、選帝侯領内に居住する三男あり、各13歳、10歳、8歳、いずれも音楽を修業中。勤続28年、俸給315フローリン。ひどく衰えた声、長年勤務、かなり貧困なれど、振る舞いはまずまずで既婚。


 ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン
13歳、出生地ボン、勤続2年、無給。第8号記載のベートーヴェン家の息子、無給ながら宮廷楽長ルッケーシの不在中オルガン演奏を担当、まだ若いが有能で、行い正しく落ち着いた振る舞いながら貧困。


この頃は、ヨーハン(父)のアルコール依存症もまだひどくなかったようですね。仕事中にまで影響は出なかったのかな?「振る舞いはまずまず」だから。でも、年だから声は衰えるだろうけど、酒の影響はあったでしょうね。親に対して、ルイは高い評価を得ていますね。こんな2人が宮廷音楽家の正装をして宮殿に出かける姿が目撃されているそうだ。感慨深いね。
翌年、枢密院メンバーの一人が、ルイ(ルートヴィッヒ)の増給を申請してくれている。


1784年6月 宮廷からの給与
テノール歌手ベートーヴェン200ターラー、少年ベートーヴェン100ターラー。


となった。無給から給与を得るようになった。当時のドイツ都市部の中流階級の収入は200~400ターラーだったそうだ。まずまずじゃないの?と思うところだが、ヨーハンは、飲み歩いて使ってしまうからね。ルイが頼りなのだ。ルイは出張ピアノ教師を10歳頃からしていて、このアルバイト収入で家計を助けていたのです。ヨーハンが酔いつぶれて警察に連行されそうになったとき、父親を捜しに来たルイが警官から父親を助けようとしているところをブロイニング家のシュテファンが目撃しているそうだ。・・・ルイは父親をどのように見ていたのだろう。
*1ターラー=銀22.3g 1フローリン銀17.3g だから、ヨーハンの給与は減っているが、2人合わせると増えている。

続く


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