「ピース!ピース!」
子供の頃、カメラを向けられると決まってこう叫び、Vサインを振った。
恐らくは、ほぼ日本中の子供がそうだったのではないだろうか。
カメラに向かってVサインをするのは、きっと日本人だけだろう。
自分の乏しい経験のなかでは、海外で外人(=現地人)が「ピース!」をしている姿を見た記憶がない。
敢えて挙げるなら、スポーツの試合で待望の得点を入れた選手が、相手チームが消沈するなかでこれ見よがしに掲げて走り回るケースがあったかなという程度で、欧米文化の文脈では、日常使うと挑発や侮蔑の意味になるのかもしれない。
そもそもこれは「Vサイン」で、流行らせたのは第二次世界大戦を戦った英国首相チャーチルで、意味するところは対独戦に必ず勝利するという決意の符丁だったのだから…。

ずいぶん前だが、韓国の済州市を歩いていた時だった。
旧済州中心部の史跡の前で、「ピース!」で記念撮影をする女子旅3人組がいた。

「日本人はどこへ行っても変わらないなあ…。」
安堵と諦めの混ざったような気分で、楽しそうに記念撮影をする姿を取り敢えず1枚撮って、街を見ようと歩き始めた。
しばらく歩いて、そろそろバスに乗ろうと思い、バス停でバスを待つことにした。
バス停にはあまり人がおらず、自分の他には、買い物帰りの主婦が一人と、学校帰りなのだろうか、高校生ぐらいの年恰好の制服姿が二人だけ。
韓国の女性にはカメラを向けられることを快く思わない人が多く、風景の中に自分が写り込むような程度であっても、時には遠くから辺り憚らぬ大音声で容赦なく罵声を浴びせられる。
無用のトラブルを避けたい心理も働いて、カメラのレンズを件の高校生二人組に向けた。
二人は若者らしい屈託のなさで、じゃれ合いながらポーズをとってくれ、私は彼らのリアクションに以心伝心の嬉しさと多少の羨ましさとを覚えながら、ゆっくりと一枚撮らせてもらった。

ファインダーを覗いている時にはあまりに自然で気付かなかったが、出来上がった写真を見ると、日本人の専売特許である筈の「カメラの前でVサイン」=「ピース!」であった。
しばらく歩くと、橋に出た。
橋のたもとのベンチでは、ちょっと所在なさげな初老のおじさんがコップ酒をひっかけていた。
聞くところによると韓国の退職年齢は一般的に日本よりも早く、街を歩くと、家で時間を持て余した退職者達が、空気を変えに、仲間を求めに、公園や公共の空間で過ごしているところに出会う。
おじさんは、これまた一見するとプー太郎のようないでたちの若者と話していた。
若者は、まだ肌寒いのでニット帽を被り、ウインドブレーカーも着ているのに、下は膝下を無造作に鋏で切ったジャージのようなものを履き、自転車も拾った車体にあれこれパーツを組み合わせて大切に整備したような、手作り感/これでいいのだ感に溢れている。
時間を返された退職者と、時間を返された(あるいは受け取ってもらえない)若者。
決して豊かには見えない二人だが、悲壮感はなく、むしろゲゼルシャフトから自由である分、ゲマインシャフト本来の、人と人との紐帯があるように見える…。
想像力を逞しくすると、何の変哲もないながら何だか今日の社会を象徴するような風景にも思え、今度はちょっと遠慮がちにカメラを構え、また一枚、撮らせてもらった。

やっぱり、「ピース!」なのである。
高校生にも、自転車の若者にも、どちらにも「ピース!」と言われた記憶はないが、「カメラの前でVサイン」は、日本人だけではなかったのだという新鮮な発見。
心の中で、チャーチルのVサインがが何でカメラのポーズで「ピース」なの?という素朴な疑問を抱きつつ、カメラを向けられるとやはり反射的に「ピース!」とやりながらこの二世紀を生きてきたちょっとした後ろめたさ(?)が消え、彼らから貰った「これでいいのだ感」が、私の心にも広がっていった。
@Jeju, Korea
New York Times : #1
Leitz Elmar f=5cm 1:3,5 (1939), Leica IIIa (1936) : #2, #3, #4