アラブの国を旅していると、実に心根の優しい男達に会うことが多い。
自分を大きく見せようと横柄に振舞う者も多いけれど、そのような者たちを含めてもなお、市井の多くの男達は、弱き者、恵まれない者に優しく、困っている者があると、それが見知らぬ者であってもなかなか放っておくということがない。
タハリール広場の外縁でお茶を売るこの男性も、底抜けに柔和な人柄だった。
お茶を買おうとして気づいたが、彼は聾唖者で、私とは手振りでしか会話ができない。
アラビア語も手話も解さぬ私が彼にお茶を頼もうとすると、歩道を歩く人々がたちまち二人三人と立ち止まって、私の英語をゆっくりとしたアラビア語に直して彼に読唇させようとしたり、彼の「屋台」にあるものを指差し、私が何を欲しているかを彼に伝えようとしたりと、競うように世話を焼き始めた。
お茶屋の彼も皆に応えて、「これ?」「こっち?」と身振りで示しつつ、終始にこやかに対応している。
お茶が入り、彼は微笑みながら私に椅子を勧め、身振り手振りで話しかけてきた。
私も身振り手振りで返してはみるが、抽象語彙など伝えるべくもないのはもちろんのこと、簡単な事実の伝達でも、お互い伝えたいことの10%も伝わらない。
断片的な身振りの会話も一段落し、彼と私は、柔らかな光の中でお互いに微笑を浮かべながら、ただ流れ行く時間を共有する時を過ごした。
お茶もなくなり、「そろそろ博物館に行くよ」と身振りで示すと、「え、もう?」と彼は大変寂しそうな表情を浮かべ、自らの胸に手を当てて目を閉じ、「ありがとう、楽しかった」と微笑んだ。
イスラムの教えは不勉強にして知らないが、出会いと分かち合いを大切にせよ…と、どのような形かでもきっと教えている文化なのだろうと思う。
@Tahrir Square, Cairo, Egypt
Mamiya G 1:4 f=50mmL (1989), New Mamiya 6 MF
(おまけ)
ちょっと尊大に振舞っちゃったおじさんの例。
お茶売りの男性も、ちょっとだけ困ったような表情をしながら微笑むしかなかったけれど、このタクシーの運ちゃんも物腰だけで、きっと根は優しいおっさんなんだろうと思う。