昼食を実家でご馳走になり、この日は火曜日だから友達の喫茶店は休みなので、気になる人達に電話してアポを取ろうと思ったのですが、矢張り前日からでないと無理なのかも知れません。
当日の連絡では電話さえ通じないところもありました。
そんな中、私の前の妻が喫茶店を経営していた時建物を借りていた人にアポを入れていました。
この人は事故で身体障害者となった人ですが、お父さんの後を受け継いで、事業を大きくした人でした。
奥さんにアポ取りをお願いしていたのですが、午後も連絡はありませんでした。
他の人達も盆明けのこの日はとても忙しいと見えて、連絡が付きません。
それで、かねてからの予定通り福祉部や教育委員会のある市役所の別棟に行くことにしました。
ここは昔の国立病院で市が跡地を建物ごと買い取り改装して市役所別館として使っているのです。
屋上には太陽光発電ユニットを備えた設備的には一寸洒落た建物なのです。
ここには教育関係では教育総務課、公民館、文化財課等、福祉事務所関係でもいつも行く課が幾つかあります。
課長達もかつての知り合いばかりですから行けば話をして帰ってきます。
今回もあっちこっちで話をしている内に終業の鐘がなり、目的を達成できないまま家に帰ることになったのです。
毎日自転車で走り回っている所為か、実家で食事をした後、ついウトウトと寝てしまいました。
そんな時突然私の携帯が音を立てたのです。
誰かと思って見てみたら、奥さんにお願いしていたかの社長でした。
そこで単刀直入に、資金援助のお願いをしてみました。
すると、
「わし、もう、引退して息子に譲ってん。今は東京と大阪の孫の守や。一昨日大阪の孫見に行ってきたとこや。」
年は私より二桁近く若いはずなのに、孫・まご・マゴの守なんて・・・・・。
しかも彼行きつけの喫茶店のマスターも、
「時々来てくれるけど、忙しい人やろ。建設会社から不動産から色々やってるからなあ。夜も可成り遅いらしいで。最近はあんまり来てないけどなあ。」
と言っていたし、
市役所の課長も、
「夜が遅いさかい朝は大概寝てる。早よから起こしたら機嫌、悪りで。」
と聞いていたものだから、こちらとしては唖然・・・。
開いた口がふさがらない状態でした。
彼は続けて
「もう、不動産だけにして息子に渡したんや。建設会社も何もかも皆畳んだ。気楽なもんよ。わしは孫の守だけするようにしたんや。そう言う訳やさかい事業の話は何も聞かんことにしとる。」
一寸信じられなかったものだから
「一体いつ引退したん。」
と聞いてみた。
「今年の6月かな。まだ二ヶ月やけど。」
私は
「・・・・・。」
でした。
でも引退するには若すぎる。
又何か事業に手を出すだろうけど、まだ二ヶ月では無理だろうな。
仕方ないからそれ以上話はせず、世間話をして手を引きました。
それにしてもねえ、まさか・・・。
可成り強引な手法で事業展開をしていたこともあったんだけど、何か気が変わるとんでもないことがあったのかも知れない。
人生なんて何が何処でどうなるか本当に判らないものだなあと、感心させられた一日でした。
当日の連絡では電話さえ通じないところもありました。
そんな中、私の前の妻が喫茶店を経営していた時建物を借りていた人にアポを入れていました。
この人は事故で身体障害者となった人ですが、お父さんの後を受け継いで、事業を大きくした人でした。
奥さんにアポ取りをお願いしていたのですが、午後も連絡はありませんでした。
他の人達も盆明けのこの日はとても忙しいと見えて、連絡が付きません。
それで、かねてからの予定通り福祉部や教育委員会のある市役所の別棟に行くことにしました。
ここは昔の国立病院で市が跡地を建物ごと買い取り改装して市役所別館として使っているのです。
屋上には太陽光発電ユニットを備えた設備的には一寸洒落た建物なのです。
ここには教育関係では教育総務課、公民館、文化財課等、福祉事務所関係でもいつも行く課が幾つかあります。
課長達もかつての知り合いばかりですから行けば話をして帰ってきます。
今回もあっちこっちで話をしている内に終業の鐘がなり、目的を達成できないまま家に帰ることになったのです。
毎日自転車で走り回っている所為か、実家で食事をした後、ついウトウトと寝てしまいました。
そんな時突然私の携帯が音を立てたのです。
誰かと思って見てみたら、奥さんにお願いしていたかの社長でした。
そこで単刀直入に、資金援助のお願いをしてみました。
すると、
「わし、もう、引退して息子に譲ってん。今は東京と大阪の孫の守や。一昨日大阪の孫見に行ってきたとこや。」
年は私より二桁近く若いはずなのに、孫・まご・マゴの守なんて・・・・・。
しかも彼行きつけの喫茶店のマスターも、
「時々来てくれるけど、忙しい人やろ。建設会社から不動産から色々やってるからなあ。夜も可成り遅いらしいで。最近はあんまり来てないけどなあ。」
と言っていたし、
市役所の課長も、
「夜が遅いさかい朝は大概寝てる。早よから起こしたら機嫌、悪りで。」
と聞いていたものだから、こちらとしては唖然・・・。
開いた口がふさがらない状態でした。
彼は続けて
「もう、不動産だけにして息子に渡したんや。建設会社も何もかも皆畳んだ。気楽なもんよ。わしは孫の守だけするようにしたんや。そう言う訳やさかい事業の話は何も聞かんことにしとる。」
一寸信じられなかったものだから
「一体いつ引退したん。」
と聞いてみた。
「今年の6月かな。まだ二ヶ月やけど。」
私は
「・・・・・。」
でした。
でも引退するには若すぎる。
又何か事業に手を出すだろうけど、まだ二ヶ月では無理だろうな。
仕方ないからそれ以上話はせず、世間話をして手を引きました。
それにしてもねえ、まさか・・・。
可成り強引な手法で事業展開をしていたこともあったんだけど、何か気が変わるとんでもないことがあったのかも知れない。
人生なんて何が何処でどうなるか本当に判らないものだなあと、感心させられた一日でした。