人生で起きることは自分の望むことや期待とは反対で いつも被害者のような気分になる。 このような形で生きるのはもうやめたい。そう思いませんか。
もし思い通りに望みが叶うなら人生はもっともっと楽しいことだろうに・・・。
実は 本来私たちは自分の人生を好きなように生きれる能力を持っています。ただ 気が付いてないだけです。
ただ ゲームをちょっと難しくする工夫がしてあるだけです。そのカラクリをもっと知ろうではありませんか。
難しくしてあることとは この世では自分が本来何者なのかを思い出せないような仕組みが採用してあるからです。
この仕組みがないと ゲームの途中で自分を簡単に思い出してしまうからです。何をどのようにすればよいか わかってしまうからです。だからゲームと呼ぶのです。ゲームには障害がつきものだからです。わたしが毎日こんなに真剣に生きているのにゲームだなんてふざけるんじゃないよと思われるでしょうか。そう思うから必要以上に疲れるのです。楽しめないのです。
実際人生は一種のゲームなのです。もっと肩の力を抜いて生きれるようにしませんか。辛いときは思い切って笑い飛ばして気分転換できるように・・・。
般若心経が解説してくれているように この世は現実ではなくて幻想ですよと。 それを知ればあなたは救われますよ と言っているように・・・。だからあちらの世界の知恵とつながりなさい そうすれば成長が出来ますよ 悟りに達することが出来ますよ・・・と。まさしくあちらの世界の知恵とは自分の魂のことです。
個人個人の本当の自分とは魂です。私たちは本当は魂なのです。
魂がこのゲームをやっているのです。もちろんゲームをやっている間は「自分」が魂であることは気づきにくくしてあるのです。
(人間は魂ー精神ー肉体という三位一体の構造ですが 成長していくのは精神であるというややこしい仕組みになっています。つまり魂が精神の成長を助ける仕組みです。)
人世とは本来もっとシンプルにできていいはずなのに 技術的制約もあってちょっと複雑にしてあるわけです。そのために苦しみあり涙ありの物語になります。しかし人間が成長していく喜びもまたひとしおなのだと思います。
意のままにならぬ人生の体験を積んで成長し 心に深い愛のある存在に戻った時 何事も本当にわかった成長した人間(魂と精神のコンビ)が誕生する。(あるいはもっと経験豊富になった魂の自分としてタオの世界に帰るとも言えますが)という仕組みです。
また 自分が本来何者であるかを思い出せない仕組みのほかにも まだ大事な秘密があります。 次回はそれについて述べます。
(続く)
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