とくに子供たちを巻き込む痛ましい事件が多いように思われます。
単に罰則の強化や見回りの強化などだけでは防ぎきれない事態になっているように思えます。
ひとつには もっと根本的な視点で みんなが自分のこととして検討することが必要になってきていると思われるのです。
たとえば容疑者のまわりの精神的な環境です。
家庭や社会のなかでの 絆意識(きずないしき)や対話の機会や やさしさと思いやりの気持ちなどが薄れつつあるという可能性への警告です。
こういった事件事故は 必ず人々への学びの機会を与えるという大切な役割があるようです。ある意味で関係者の人々が自分の生命まで投げ出してそういう役目を果たしているということになります。
ですので みんなが自分のこととして学んでいくことをしない限り 何度でも繰り返される可能性があるということです。
例えば 引きこもりの人に対するいわば無意識の差別意識などもそのひとつです。
引きこもり自体は本来病気ではなく 本人が感じるまわりとの絆意識の欠如感 たとえばまわりから非難されたり相手にされていないと感じるとか 話を聴いてもらえない感じ こころを開けなくて取り残されている感じ 働きたくても社会に受け入れてもらえそうになく感じる などなどが長く続くと そういった事件の引き金を引いてしまうということです。
(それがいわゆる事前に約束されたカルマのためであることは十分あることですが・・・)
それにしても 一人一人の人が そして結果として社会が少しでも成長していけば 全体として問題解決の方向に向かうことは間違いないことであるといえます。集合意識が進歩するのですから当然といえます。
どうかもしご質問などがありましたら私にも勉強になりますのでご遠慮なくお願いします。
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