まーくんブログ「人生って何?」私自身の体験をお話しします。お役に立てれば嬉しいです。

何のために生きてるのか? 人生に目的はあるのか? 死んだらどうなるのか? 悩みを解決するにはどうしたらいいのか?  

第186話 悪人はいない。

2022年02月04日 | 人生研究
子供時代に家庭でも学校でも頻繁に使われた言葉。
それは自分がなにか悪いことをしたとき 「お前はまだ自分が悪いということがわかってないんか」
「反省が足りん」
という言葉だった。

以来「自分は決して良い人間ではないのだ」と思いながら生きていた人は少なくないと思います。
子供時代に心に焼き付いたくやしい思いは潜在意識の中に残って大人になっても消えないどころか 同じような経験を積むことで発達していくことは知られています。その子が大人になっていく過程で 何度も何度も人から非難される経験を積んでいきますと 自分は悪い子だから罰しなければいけないという思いと 他人への恨みが積み重なっていきます。

自分という存在そのものが悪いのだと解釈してしまうのです。
そしていつか決定的な出来事が起こるとついにその思いを実行することになります。
これ以上このまま生きることに耐えられなくなるのです。 
他人に仕返しをしなくてもひどいウツになって自殺する人もいます。

京都アニメの放火事件では
容疑者は怒りを持って自分も死ぬ気で他人を殺害したといわれています。自分が不当な被害者と思っていた可能性がありそうです。
大阪クリニック放火事件はどうでしょうか。容疑者が亡くなってしまったので真相は闇の中ですが やはり自分が死ぬ気で他人を巻き添えにしようとした可能性も指摘されているようです。そのほかにも最近 電車の中で火を放ったり他人を巻き添えに死のうとした事件がいくつか起こっています。あるいは家族の死に絶望してお世話になった医療関係者までを巻き添えにして死のうとした事件も最近ありました。

これらがみな個人責任として片づけられるとしますとあまりにも残念です。
巻き添えになられた人々は実はみんなに学んでもらうために自らの命を投げ出した尊いボランティアの人たちなのです。また容疑者の人たちも同様 自ら犯罪者の汚名を切ることを覚悟の上でいわゆるカルマを返済するために行動した「いわんや悪人においてをや」と言われるべき人たちなのです。
本当は悪人はいないということです。

私たちが望んでいるのはこのような悲劇が二度と起こらないようにしたいということです。そのためには直接の関係者だけでない もっと広い意味のすべての人々を含む連帯責任という意識を持つことが望ましいと私には思えます。
全ての関係者とは自分は関係ないと思っている私たち周りの社会あるいは国レベルの広い範囲の責任という意味です。あるいは人類全体という意味です。

つまり広い範囲に居る人々がこういう事件からしっかり学ぶべきだということになります。人間がこのような事件を起こさないでも済むように だれもがもっと癒される社会 誰もが手を差し伸べるような社会 をみんなで育てるようにしようという意味です。真実を申しますと本当は他人というものはなく すべてが自分という一個の生き物しか存在せず ただ多様性を体験するために便宜上80億の他人を創っているだけのことなのですから。
全宇宙の魂による連帯意識連帯責任により運営されていることなのです。
もとより個人責任というものは存在しないのです。

昔その子の可愛い小さな自己表現というイタズラだったかもしれないことを 親があまりにも厳しく叱ったことに始まり 子供のしたことでなくその子の存在そのものまで否定したことや 小さな子供に大人に言うような強い否定の言葉を与えたことなど 全員が静かに胸に手を当てて「反省する」べきなのです。そして相談する相手がいない行き詰まった子供や大人を目ざとく見つけて温かく気さくに相談に乗る周りの人たちの優しさを社会全体で発達させることが連帯責任として大切だと思われるのです。 
(186話終わり)

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