第110話で 人生の目的は 自分に起きてくる問題を批判せずにただ体験するだけで生きている目的は大半が達成されることをお話ししました。受け入れることによって成長するからです。
なぜそうなのか。そして問題は解決しようとするとかえって良くないようで それはなぜなのかということもお話ししたつもりです。
なぜ解決しようとすると良くないのか・・・
解決しようとすると問題と同じ波動レベルに更に留まることになるからです。
どんな問題も波動を持っています。問題も思考ですからエネルギーであり振動しています。ある体験を受け取ってそれを逆らわず「無批判」に体験したら 自我意識の振動レベルは上がります。
魂も感謝していることでしょう。
波動は上がっただけ「成長する」ことになっています。問題が持つ振動レベルよりも高くなったということです。
それでその問題の役目は終わりです。それなのに 更に解決しようとすると 引き続き問題と同じ振動レベルに引き留まることになります。一旦受け取ったら問題はその後自動的に消滅するのです。
魂がやっているように 問題を嫌がらずに批判せずに受け入れることがポイントです。 そして体験したら レリゴー(手放す。放っておくという意味。Let it go)することにより 問題を解決しようとしなくても自然に消滅するということです。
無批判に受け入れるとか 体験する理由は・・・ あちらの魂の実家ではすべてが完全で 完全なる愛の世界 幸せの世界だから そうでない世界ってどんな世界だろうっと体験して なるほど自分たち魂の世界は こうなんだと実感しに来ているからです。
ですので 自我意識が問題をいちいち判断して こんな体験は良くないと拒否したり逃げたり・・・しないということです。
ここで一つの疑問が生じます。
問題によってはレリゴーすることにより解決すると言っても そんなに簡単に問題を受け入れられないときは どうするのか という疑問です。
こちらで体験することは本来すべてが一過性です。苦しいことだけが 解決しなければいつまでも続くかのように見えるのは 自我意識が自分が問題だと思うものに執着するからです。
確かに 難病や障害その他 難しい問題はたくさんあるように見えます。その人の現在の成長レベルに応じて 問題のむつかしさは変わります。
しかしこの世では問題は解決されるために起きるのではなくて 体験して受け取り許すために起きるのです。自分はそれでいい とかそれが自分だなどという風に受け入れてしまうのです。
一見 諦めるのが正解のように見えます。
しかし本当はあきらめるのでなく 執着がなくなるのです。
より広い視野を得るのです。
ただ天に任せて(魂に任せて)前に進んで新しい体験に進むというのが正解なのです。
確かに自分の死ぬ時期 死に方も含めて すべては魂にゆだねられています。自分がなんでこんな人生を歩むのか 魂しか知っていないのです。しかし死んだら自分が魂そのものだということも含めてすべては明らかになるのです。
今の自我意識である自分には その魂を信頼して生きて行くしかないのです。しかし今わかっていることは 裏切られることは決してないということです。決して。
ですので今どう生きるのかという問いかけには 今は魂の計画に沿って生きるということであり それが喜びを大切に生きるということなのです。 喜びは魂のシグナルですから・・・。
また どうしてもこちらの世界では 魂の実家(タオの世界。絶対性の世界)にはない体験 すなわち苦しいものが多いのです。
しかしこちらの世界も 相対性の世界ですから苦だけではないのです。
自分が癒されることやモノ・・・小さくても愛や喜び 感謝や親切信頼や思いやり 認めることや尊敬 などなどいっぱいあります。
今まで見逃していたものを 少しづつでも日頃の生活を通して気づいていくのです。
私はそういうものにほとんど気が付かなかったし 身に付けていこうともしなかったのです。もっと会社の仕事や用事などの方が大事だと思って 目が向かなかったのでした。ですから何度も何度も幸せになる機会を自分から逃していたのです。価値観が成長していなかったのです。それが人間であることの意味です。
(続く)
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