あべっちの思いをこめた雑記帳

川柳を詠むということ

 オリンピックの開催が東京に決まったことがきっかけで、川柳を詠みはじめてちょうどこの秋で16年になる。
 学生時代から俳句や詩で遊んでいたが、短歌はずっと後から。ましてや川柳はまだまだ初心者の域でもがいているんだなと、これを書きながらつくづく思う。

 数えてみたらその間15000句ほど詠んではいるが、ほとんどは駄作で納得できないものばかり。
 過去のノートをパラパラめくって流し読みをしても、自分で良いなあと思う句にまず当たったためしがない。まだ未発表の約400句も、あるいはこのまま迷宮入りになってしまうのだろうか。

 人間の心を詠むが、おかしさや面白さだけでは川柳ではないなと思っている。わかっているが、作句となるとそれがなかなかむずかしいのだ。
 意図的なものや、何かを訴える力。そうかといって標語とは違う。そういうことが川柳の大切な部分なんだろうと思う。

自然にふれる、人にふれる。
力強さにふれる、やさしさにふれる。
歩くということ、人と交わるということも川柳を詠むうえで大事な基本の要素。
そうすることによって自分の心の健康も維持したい。維持できたらうれしいとつねづね思っている。

                「つれづれ(120) 川柳を詠むということ」

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