最近は、「カバーソング」が流行っている。そろそろ、お腹一杯という感が否めないものの、CDが売れなくなっている現状において、オリジナルを出すよりも、誰もが知っている昔の名曲をカバーして出す方が、売れ行きがいい…から、オリジナルを出すよりもカバーソングを、各レーベルも出したがるのだろう。(歌い手が、元歌の歌手やミュージシャンを敬愛して、率先してカバーを出したいという場合を除けば、おそらく。)
そんな中で、中田裕二というソロの歌い手が、大橋純子の名曲「シルエット・ロマンス」をカバーしているのだが、これが見事に自分の歌にしているところがお見事で、原曲よりも、彼が歌うと、「色気と妖しさ」で何とも別世界のシルエット・ロマンスとなっている。いい意味での、裏切りと言っても言い過ぎではないと思う。(中田裕二…元、椿屋四重奏のボーカル。チャゲアスをこよなく愛することでも、チャゲアスファンには知られた存在である。)
そして、カバーを耳にした後には、必ずと言っていいほど、「原曲」(元歌)を聴きたくなってしまう。懐かしさという意味で。
YouTubeで、久しぶりに大橋純子の歌声を耳にした。御年64歳(平成26年)というから、月日の流れを感じてしまうのだが、YouTubeで聴いた歌声は62歳当時のもの。62歳でここまで歌えるというのは、色々なコメントがあれども、私は素晴らしいと思う。
大橋純子に対してだけではない、デビュー当時や若かりし頃の歌声を知っている世代としては、ついつい文句のひとつも言いたくなってしまうのだろう…。
● 昔の方が声に張りがあったが、今は…。
● 当時と歌い方、変わったな。昔の方が良かった…。
● 声量が衰えたな。
等々、素人だからこその 言いたい放題。
YouTubeに寄せられる、時に無責任なコメントを見るたび、「何を言っとるんじゃ、うりゃぁ!」と拳を突き出したくなる自分がいる。
例えば、小柳ゆき の場合も、デビュー当時とは発生の仕方も改良していると思われ、高音の伸びも良くなっているのだけど、当時の歌い方の方が良かったとか、今のはどうたらこうたら…。「プロ」であるからこそ、歌声に、より一層磨きをかけるのは、当然の作業であると思われる。
どんなに可愛い人も、どんなにカッコいい人も、どんなに美しい人も、どんなにシャレた人も、
ある年齢になれば、心身のどこかに必ずと言っていいほど、何等かの「ガタ」がくる。人間だもの…ね。
不老不死鳥じゃない、いつまでも10代のまま、20代のまま というわけにはいかないのだ。
大なり小なり、誰でも「老い」と嫌でも向き合わなければならない時がやってくる。
そんな時に、喉を傷めて声を出せなくなるケースもあるだろう…。
更年期等により、声が低くなってしまうケースもあるだろう…。
高音が出しづらくなってしまうケースもあるだろう…。
ベテラン歌手などにはよくあるのだが、同じ歌なのに、年々「アレンジ」を加えているのは、飽きさせないということもあるだろうが、いかに「老い」ている歌声と上手に向き合うかの試行錯誤も含まれているからだと思われる。
今は、幸か不幸か「動画サイト」というものがあるから、いつでも当時へ「タイムスリップ」が出来る。歌い手にとってはある意味、残酷な「時代」なのかも知れない…。
必ずやってくる「老い」と、どう向き合ってどう対処していくのか…。
生き残っていってる歌い手やミュージシャンの中で、かつ、「感動」を与えられる土俵にいる人間というのは、「老い」と上手に向き合っていってる人なんじゃないかと、最近つくづく感じるのだ。そこに、自らの「プロ意識」を徹底的にぶつけていける人。
「当時」の歌声も勿論素晴らしい。しかしながら、年を重ねてくる道すがら、幾多の辛さや悲しさ、怒りや喜び等、人知れず感情の温度を上げたり下げたりしているはずで、それらが、「深み」や「円熟味」となって、より一層歌声に、味わい深さを加えてくれているものだと思う。
そんな歌声を聴かせてくれる人こそ、「プロ」だなと私は感じると同時に、私自身も「老い」ていく時間の中で、「この人たちも、色んな景色を見て試行錯誤を重ねてきたんだな…。」と思うと、その歌声から、「生きる力」パワーを感じることが出来るのだ。
「当時」も素晴らしいが、「今」という時代を冷静に捉えながら、変わりゆく様々な「己の景色」の中で、その変化を楽しみながら挑戦し続けている人を、心から尊敬してやまない。
中田裕二 / シルエット・ロマンス(from Album 『SONG COMPOSITE』)
大橋純子 「たそがれマイ・ラブ」
2012年のもの。62歳。
音楽(全般) ブログランキングへ ←いつもありがとうございます(^_-)-☆