玉川上水(たまがわじょうすい)、
簡単に言うと、「玉川上水」は江戸の人口急増に対し飲料水を確保するために、三代将軍徳川家光の時代から計画され、承応2年(1653)4月4日着工する。
248日間の工事の後、同年11月15日、「多摩川羽村取入口から四谷大木戸」まで高低差92メートル、全長約43キロを完成させた上水路である。
当ブログでは、ただただ「橋」を巡るだけ、解説等は一切しない。
(個人的な資料は別に残すけれど・・・)
≪「代々幡橋~四谷大木戸」編≫
今日は良い天気だけれど風が強い。
明日と明後日は用事があるから続きは今日実施する。
寒いし、また風もあり早く帰りたいので、8時前に出発します。
青梅街道~環七を通って、9時丁度に「代田橋駅」に着く。
前回は「相生橋」までとしたが、実際には「伊東小橋」まで行っている。
見落とした「橋」をチェックしながら「代田橋駅」よりスタートします。
あれっ、Hさんの資料を忘れた。
でも昨日、頭に入れたから大丈夫かな?
あった!「二号橋」 と「第三号橋」
の間に「南ドンドン橋」
発見です。
後は大丈夫の様だ。
前回、写真は撮ったけれど、「北沢橋」「四條橋」
「五條橋」
「六條橋」
さて、此処からが続きとなる。
「代右衛門橋」「改正橋」
「伊東小橋」
Hさんの言う通り、鳩が寄って来る。
「三字橋」
ここで突き当り、
道路を越えると「玉川上水緑道」
「天神橋跡」
「勿来橋跡」
「文化女子大」
前には「玉川上水モニュメント」
がある。
(この流れの水源には新宿御苑トンネル共同溝内に湧出した水)
10時35分にゴールです。
ゆっくりします。
「水道碑記(すいどうのいしぶみのき)」
江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した水番所のあったところ。それを記念して、明治28年(1895年)に石碑が建てられました。高さ 4.6m、幅2.3m あり、碑文は漢文です。玉川上水建設の理由や、請け負った「玉川兄弟」の事績をたたえた内容が記されています。
「四谷大木戸跡」
「四谷大木戸」
元和22年(1616年)、江戸幕府により四谷の地に、甲州街道における江戸への出入り口として大木戸が設けられた。地面には石畳を敷き、木戸の両側には石垣を設けていた。初めは夜になると木戸を閉めていたが、寛政4年(1792年)以降は木戸が撤去されている(木戸がなくなった後も四谷大木戸の名は変わらなかった)。文政12年(1829年)成立の「江戸名所図会」には、木戸撤去後の、人馬や籠などの行き交う様子が描かれている。大木戸近くには承応2年(1653年)に完成した玉川上水の四谷水番所が設けられ、ここから江戸市中へ配水していた。また、元禄12年(1699年)には大木戸の西に甲州街道最初の宿場となる内藤新宿が開設されている。明治維新後、石畳や石垣は交通の障害となったため、明治9年(1876年)に撤去されてしまい、現在では何も残っていない。ただし、現在の交差点上が「四谷大木戸跡」として東京都指定旧跡となっている。なお、新宿御苑の出入り口のひとつである大木戸門の名前は、四谷大木戸に因むものである。(ウィキペディア)
11時を回りました。
では新宿には用事が無いから直行で帰ります。
と言うか、風が嫌なので早く帰る!!
北風(向かい風)だ!
ペダルを回しても進まない中、「四谷四丁目交差点」~「靖国通り」~「青梅街道」を通って12時半前に自宅着。
今日はゆっくり巡ったけれど呆気なかった。
感想
玉川上水は、水路となっているのは、「羽村取水堰から中央高速合流地点」まで、その先は暗渠となっている。
従って、散策やポタにはここまでが良い。
下流の一部分は流れがあるが、多くは緑道や公園として整備されている。
確かに「橋」も残されているが、魅力を感じない状態であった。
無理だろうが、下流についても、清流を復活して欲しいと思った。
走ったコース