東大野球部の優勝を応援する会

東京大学硬式野球部の優勝を願い応援するファンのブログ

敗れても敗れても自己成長の為に応援する東大応援団「東京大学応援部物語」最相葉月著 新潮文庫

2021-04-07 06:24:33 | 日記
現在、大学スポーツは昔に比べて人気が無い。その中でも東京6大学野球は随一の花形種目だろう。その6大学野球も昔日の人気は無いが、それでも毎試合1万人程度の観客は動員する。

6大学野球に欠かせないのが応援団の存在。しかしながら応援団でも吹奏楽部やチアリーダー部は人気があるがリーダー部、いわゆる応援部は練習や人間関係の厳しさからどこも部員難だ。その中で東大応援部を描いたノンフィクション作品が「東京大学応援部物語」だ。

18年ほど前の東大応援部を描いている。文中で立大応援団長は「応援する人間は応援される人間よりも強くなければならない」と言い、明大応援団長は「応援に見返りを求めるな」という。しかし、彼らは母校の勝利という果実を得ることにより報われる。

しかし、東大は勝てない。応援部が、厳しい練習をし、死に物狂いの応援をしても勝てない。何といっても勝率1割のチームだ。それだけに他大学の応援部員以上に「応援とは何か」「自分はなぜ応援するのか」という命題をとことん考えることになる。

その結果、スポーツ応援を通り越し応援を通じて自己を成長させるといったストイックな精神論に向かわざるを得なくなる。自分たちの応援が足りないから勝てないのだという考えの彼らに報いるには、とにかく勝たねばならない。日本一の大学の日本一の応援部に幸あれと祈らざるを得ない気分にさせる、お薦めの1冊だ。

通算17勝を挙げた東大史上最高の投手 岡村甫の半生記「東大野球部と私_神宮での球跡」コムスエンジニアリング1999年3月刊

2021-04-06 06:06:36 | 日記
岡村甫(おかむら・はじめ)氏は東大野球ファンにとってリーグ戦通算17勝を挙げた伝説の大投手。土佐高校出身のアンダースローで17勝35敗、防御率2.82、奪三振120。活躍した時代も立教に長嶋茂雄、杉浦忠などの大選手がいた黄金時代。

さすがに彼の現役時代は知らないが彼の監督時代は知っている。私が東大野球部ファンになって直ぐに彼は事実上2回目の野球部監督になった。戦力不足で最下位脱出は出来なかったが采配の見事さは今でも、はっきり覚えている。

その後、後任の岡田監督になり花開いた。岡村氏が捕手から投手にコンバートした山本隆樹が法政の江川に投げ勝ち江川に6大学初黒星を与えた。私にとって、この試合は東大の試合で最も印象に残る1試合だ。その後、山本氏は三井造船で副社長になったとか。

定価515円を以前、アマゾンで5000円で購入。これで在庫なしになった。申し訳ない。面白く、あっという間に読了した。

特に岡村氏の監督時代の思い出が鮮明に蘇ってきた。現在、美術史研究家の早川聞多氏、東大監督を務めた御手洗健治氏、それに山本氏の投手3本柱が懐かしい。

岡村氏は東大名誉教授で高知工科大理事長を務めた。コンクリート工学の第1人者でご活躍中。出来れば文庫版で再販して欲しい1冊だ。

人気の門田隆将氏が描く東大野球部物語「敗れても敗れてもー東大野球部百年の奮戦」中央公論新社刊

2021-04-05 05:19:12 | 日記
私が、東大野球部ファンになったのは、今から約50年前の高校生時代からだったと思う。従兄に一人、東大卒が居るだけで私自身は、東大に縁もゆかりもない。

ファンになってから神宮球場へ通うようになった。それから15年位、熱心に応援し出来た当時の野球部公認ファンクラブ「東大を優勝させよう会」にも入った。 その後、30代前半から病気を患ったり仕事が忙しくなったりで、神宮へ通う機会は無くなったが新聞や、雑誌、当時、放映していたテレビなどで東大野球部を応援していた。

定年後、当時の東大のエース宮台の活躍に触発されて神宮通いを再開、東大球場のオープン戦も観戦するようになった。「東大を優勝させよう会」にも再入会。

その私にとって、この本は読まなければいけない本だと感じた。そして、即、注文、一気に読んだ。面白かった。

東大野球部出身者は、野球界のみならず、政財官界など多方面で活躍している。その中でも、太平洋戦争、敗戦間際、沖縄県知事に任ぜられた野球部OB、島田叡(しまだあきら)氏の事に著者が興味を持ったことが、この作品を書こうと思った、きっかけだそうだ。

今でも、沖縄で英雄として語り継がれている島田氏の事から彼が在籍した東大野球部の歴史に触れてゆく。特に私がリアルタイムで見た、伝説の名投手、岡村甫氏の監督時代から赤門旋風、そして、宮台の登場による紆余曲折の末の昨秋の勝ち点奪取まで、非常に面白かった。

単行本の帯に書かれているキャッチコピーである、4年間80連敗のまま卒部した副将は、そう呻いた。「魂が神宮球場から離れない」。この気持ちは、痛いほどわかる。

全国強豪高校野球選手選抜チームともいうべき他の5大学に本来のアマチュア大学球児が挑むという図式に惹かれて見続けて居るが、今風に言うならば「江川卓世代」の私にとって、生観戦で、江川に6大学初の黒星を付け、初本塁打を放ったのが東大であり、それが東大ファンを辞められなくなった理由の一つ。

その江川世代の記述がないのが、唯一、残念。とはいえ、東大野球部ファンのみならず、「ノブレスオブリージュ」とは、何かということまで考えさせられるお薦めの1冊だ。

岩城正和 東大野球部OB会(一誠会)会長の現役時代の思い出

2021-04-04 05:05:19 | 日記
私が東大野球ファンになったのは、1970年(昭和45年)ごろだったと思う。監督が小柄で白髪の上品な坪井忠郎監督、エースが門松武(湘南)、1学年上に石渡明(日比谷)投手、ベストナイン捕手に選ばれた早川昌保(甲府一)がいたのを覚えている。

どうしても、歴代エース投手で時代、時代を覚えている。野球部公式ホームページでのレジェンドインタビューで門松のインタビューが掲載されていたが、当時は、法政に田淵、山本浩二、富田、山中、江本、早稲田に、谷沢、荒川、明治に星野、慶応に藤原、上岡などがいた時代。

卒業後、プロ入りして直ぐに1軍の主力選手になった選手がたくさん居た時代で、その中、下手投げで4勝挙げた門松は、当時、プロ入りしないかなと思ったぐらいだった。

当時、70年安保の東大紛争で1969年(昭和44年)の東大入試が中止になり、そのため、門松が4年生の1970年(昭和45年)は、東大は、2年生がおらず、春季リーグ戦は、まだ1年生も、居なかったために3年生、4年生しかおらず、選手不足。その為に特例として6月卒業生が出場できた。確か、やはり下手投げの石渡が投げていた記憶がある。

現在、一誠会会長の岩城正和(戸山)は、門松の1学年下の右のスリークウォーターの綺麗なフォームの投手で、最近で言えば2年前に卒業した有坂望(城北)に似たタイプの投手。当然、門松の後のエース。

当時、東大のエースは、卒業までにリーグ戦で最低1勝は、挙げると言われ実際に、そうだった時代。ただ、岩城は3年生まで未勝利。

実は、手元に資料も無く50年近く前の事なので若干、記憶が、曖昧なのだが、岩城が4年生の春季リーグ戦に先発して好投していた時に、急に、タイムが、かかり監督がマウンドに行き、交代してベンチに下がってしまった。当時、内野席で観ていて何が起こったのか分からなかった。
翌日のスポーツ紙で岩城が自然気胸を発症して交代したとの記事が出ていて、ビックリしたし、がっかりした。

それ以降は、誰が投げていたのか、はっきり覚えていないが岩城より2学年下の小柄な下手投げの早川聞多(京都教育大付属)が投げていたのかもしれない。早川も最終的にはリーグ戦通算3勝を挙げるのだが当時は、まだ力不足だった。

又、早川の1学年下に後に通算4勝を挙げる御手洗健治元監督(戸山)と通算3勝で法政にいた「昭和の怪物」江川卓に3対2で完投勝ちして6大学初黒星をつける、通算3勝の山本隆樹(木更津)がいた。

それはともかく、当然、その後、岩城は、リーグ戦には出てこなくなった。症状の程度や、回復具合などは分からないまま、岩城が最後の4年生秋季シーズンに出てきた時は、嬉しかった。

そして、遂に1勝を挙げた。この試合も観戦しているのだが、相手や内容などは、覚えていない。ただ、病気で倒れてカムバックできるかどうかも分からず長期離脱した岩城がカムバックして最後のシーズンに念願の初勝利を挙げたのが嬉しかった。こういうことがあるので東大野球ファンを辞められない。

一昨年、東大駒場博物館で行われた「東大野球部の歴史展」で岩城が卒業後、社会人野球、新日鉄名古屋に進み1974年都市対抗野球にも出場したのを初めて知った。岩城正和は、私にとって記憶に残る投手である。(敬称略)

第48回東京6大学・社会人対抗戦「東大、東芝に最終回逆転惜敗」神宮球場

2021-04-03 13:30:09 | 日記
昨日から神宮球場で3日間、恒例の「第48回東京6大学・社会人対抗戦」が始まった。年1回この時期に行われる。第1試合は、JFE東日本が早大に3対1で勝利。

第2試合、東大対東芝戦は、東大は9回ツーアウトまで勝っていたが逆転され2対3で惜敗。無観客試合なので神宮球場に隣接する神宮球場の試合が見える日本青年館ホテルからツイッターで逐一、試合状況を送ってくださる東大ファンの方のツイッターを見て想像しながら応援したが、あと一歩足りなかった。

東大が、この定期戦で勝ったのは4年前に宮台(現ヤクルト)が明治安田生命に2対0で完封勝ちした1勝のみ。昨年もNTT東日本に9回表までリードしていたが9回裏に追いつかれ引き分け。

昨日の試合は東大が7安打5四球2得点1エラー、東芝が7安打10四球3得点0エラー。安打数は同じだが結局、東大投手陣の相変わらずの制球難からの10与四球が勝敗を分けた。

東大投手陣は、井澤、小宗、柳川、岸野で合計170球。東芝投手陣は5投手で合計125球。45球の差が東大投手陣の制球難の証明。それでも、柳川以外の投手陣は悪く無かった。

野手も心配された内野陣の守備も、まずまず。外野陣の守備は良かった。捕手の松岡泰も2回盗塁を刺殺。1盗塁に抑えた。打線も、まずまずだったが追加点チャンスの6回裏一死2、3塁からスクイズ失敗併殺無得点が痛かった。

東大は今季、緊急事態宣言で東大球場を使っての全体練習が開始されたのが3月中旬から。他の5大学は既にオープン戦をやっていたので、だいぶ出遅れた。

今季、オープン戦も東大は15、6試合発表されていたが無観客で全て相手球場。理由は分からないが、今季はオープン戦の結果などホームページには一切無掲載なので、よく分からない。それでも昨日のような試合を何とか勝ちきれれば、56連敗も何とかストップ出来るのではないかと期待している。

東芝 000 000 003 = 3
東大 000 200 000 = 2

東芝投手:善、松山、北山、○山本、近藤ー中村、柴原
東大投手:井澤、小宗、●柳川、岸野-松岡泰

参照 
スポニチ2021年4月3日