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■義経黄金伝説■第8回
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(C)飛鳥京香・山田博一
http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
第2章2 1186年 鎌倉
西行は、奥州藤原氏のことをしゃべり終わると、急に無口になった。頼朝
は、話題を変えた。歌曲音舞、そして弓道のことなどである。頼朝はこの伊豆
に住みながら、いつも京都のあのきらびやかな文化を、生活を恋い焦がれてい
た。武士という立場にありながら、京の文化を慈しみ愛していた。それゆえ、
その京の文化に取り込まれることを恐れていた。
義経は、京の文化、雰囲気という、得も知れぬものに取り込まれ、兄頼朝に
逆らったのだった。同じように義経より先に都に入った義仲も、京都という毒
に当てられて死んだ口だった。
京都は桓武帝以来、霊的都市であった。藤原道長のときの安倍晴明を始祖と
する土御門家が陰陽師として勢力を張っていた。
京のことを懐かしむ頼朝に、西行は佐藤家に伝わる弓馬の術などを詳しく述
べていた。これを語る西行は、本当に楽しげであった。
鎌倉幕府の史書『吾妻鏡』には西行と頼朝、夜をあかして話し合ったとあ
る』
◎
「これは、これは有り難きご教示、有り難うございました。もう夜も白んで参
りました。 鎌倉の酉が鬨の声を告げていた。二人は一晩中語り合ったのであ
った。
西行はわれにかえっている。まだ鎌倉にいて、頼朝の前なのだ。
「西行殿、この鎌倉にお止まりいただけぬか」
唐突な頼朝の提案であった。
「いや、無論、平泉から帰られた後でよい」
と頼朝は付け加えた。
「それはありがたい提案ですが」
西行は考える。黄金をこの地鎌倉に留め置くつもりか。加えて西行をこの鎌
倉に留めおき、平泉の動き、京都の動きを探ろうとする訳か。
「いやはや、これは無理なお願いごとでございましたな。それではどうぞ、こ
れをお受取ください。これは旅の邪魔になるやもしれませんが…」
頼朝が手にしたのは、黄金の猫である。
「ほほう、これを私めに、それとも奥州藤原家に…」
「いや、西行殿でございます」
「私はまた猫のようにおとなしくなれという意味かと思いました」
「いや、旅の安全を願ってのこと。他意はござらぬ」
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第2章3 1186年(文治2年) 鎌倉
1186年(文治2年)、草深き坂東鎌倉に三人の男が対峙しょうとしている。
東国で武家の天下を草創しようとする男。頼朝。その傍らにて、京都王権にて
は受け入れられず坂東にて「この国の形」を変えようとする土師氏(はじし)
の末裔。大江広元。
対するに、京都王権の交渉家、貴族政治手法である「しきしまみち」敷島道=
歌道の頂点に立つ。西行。ここにひとつの伝説が作られようとしていた。
頼朝にとって、西行は打ち倒すべき京都の象徴であった。京都から忌み嫌われ
る地域で、忌み嫌われる職業、武家。
いたぶるべき京都。京都貴族王権の象徴物・大仏の勧進のために来た男・武士
「武芸道」からはじきでた、貴族の象徴武器である歌道「しきしまみち」に乗
り換えた男。
結縁衆(けちえんしゅう)なる職業の狭間にいる人間とつながりのある男。さ
らには、奥州藤原氏とえにしもある。坂東王国を繰り上げようとした、平将門
を倒した俵俵太の末裔。この坂東にも、そして、義経を育て平泉に送りこんだ
た男。対手である。その男がなぜ、わざわざ敵地に乗りこんだか。その疑問が
心に暗雲を懸ける。
西行にとってこの頼朝との邂逅は、今までの人生の総決算にあたるかも知れ
ぬ。その長き人生において最後の最終作品になるものかも知れなかった。心に
揺らぎが起こっていた。が、その瞬間、重源(ちょうげん)と歩んだ高野山の
荒行の光景が蘇ってきた。山間の厳しい谷間、千尋の谷、一瞬だが、谷を行き
渡る道が浮かぶ。目の前にあるその道をたどる以外にあるまい。
「西行どのこちらへ。」
大江広本が頼朝屋敷の裏庭に案内される。矢懸場が設けられている。
武家の棟梁頼朝は、毎日犬追物をたしなんでいる。的と砂道が矢来をさえぎられ続
いている。
「さっさ、こちらへ」
促されるまま、西行は裏庭物見小屋へいざなわれる。
遠くに見える人馬が、的を次々と射ぬきながら、こちらへ走ってきた、頼朝で
ある。
「いざ、西行殿の弓矢の極意を昨晩お伺いし、腕前の程をお見せしたかったのです」
「大殿は、毎日武芸にたしなみを、」
「西行殿は、我が坂東の武芸の祭りをご存知でしょうな」
坂東のしきたりが、京都の弓矢道と結びついているのが、西行には理解でき
た。京都人でありながら、武芸は坂東と、頼朝は言っているのだ。
馬をもといた場所にとって返し、再び、馬を駆けさせ、用意された的をすべ
て、射抜いている。
我が坂東の武芸の祭りとは、坂東足利(あしかが)の庄にある御矢山(みさやま)
で行われる八幡神を祭る坂東最大の祭事である。いわば武家のオリンピっクである
「西行殿、奥州平泉からお帰りにこの祭りに参加いただきたいのです」
馬上から、息をつきつつ、頼朝が叫んでいる。返事は無用という訳だ。答えよ
うとする西行の前から姿を消し、再び馬首を元の方へ。
西行は義経を助けなければ。が、藤原氏の黄金が、果たして役に立つのか。秋風の吹きは
じめた鎌倉で、西行は冷や汗がでてきている。
三度、的をすべて打ち矢って、頼朝は馬上から叫ぶ。
「さらに、西行殿、義経のおもいもの、静の生まれし子供の事聞きたいのでは
ござろうぞ。和子は男子がゆえに不敏だが、稲村ヶ崎に投げ捨てましたぞ」
と言い捨てている。後ろ姿に笑いが感じられる。
頼朝は、西行の策を、封じようとした。
西行は動揺を表情に出さず。が、考えている。かたわらにいる大江広元を見
た。
(広元殿、政子殿がいるなかば、わづかばかりの希望あろう。また、そうか、あ
るいは、静の母磯の禅師糸を引いているかも知れぬ。希望の光はある。極楽浄
土曼陀羅、あの平泉におあわす方が。早く合いたい、さすれば、この身、西行法
師の体は、まだ滅ぼすわけにはいかない、平泉を陰都となし、この世の極楽を、
さらには、しきしま道にて日本を守れねばならぬ)
頼朝は四度目もすべて撃ち終え、今度はゆっくりと馬を歩ませてきた。
「西行殿、御家、佐藤家は、紀州にその領地ありと聞きます。弟君の、佐藤仲清殿。高野山
と争い絶えずときく。誠でしょうか」
馬上の頼朝は、しばし、西行の回答を待っていた。
「その御領地を、この頼朝の元に預けられぬか。さすれば、高野山との争いは解決して見せ
ようぞ」
佐藤家は、高野山山領地、荒川荘の領地におしいっている。西行のなりわいはこの弟の家
からでている。いわば佐藤家の家作からから活動資金がでている。紀伊の国、那賀郡、田仲
庄は
紀ノ川北岸にあり、摂関家徳大寺の知行である。佐藤家はこの徳大寺の家人である。今では
平家の
威光を背景にしてきたのだ。
その根っこを、頼朝は押さえよとしているのだ。
「どうでありましょうな、西行殿、この申し出は」
(絡め手か。やはり、頼朝殿は、この西行と義経殿の関係を気づいているか。京都でもその
とこし
るは、わずかだが、、)
大江広元が、秀才顔でしらぢらと西行をにらんでいる。
大江は、水を得た魚。京都から呼びだされ、この鎌倉に根付いた時、歴史は変
わった。日本最優秀頭脳集団・大江家。元は韓国(からくに)から来た血筋。
この関東坂東で同じ韓国(からくに)の史筋武家の平家と結びついた。
「すべてのご返事は、平泉からの帰途におこないましょうぞ」
西行は、頼朝の前から去ろうとした。
「まて、西行殿」
大江が呼びとめようとするが、「勝負は、後じゃ」
頼朝が止めた。
「はっつ」
頼朝が打ち据えた的が割れていた。的の裏側には、平泉を意味する曼荼羅が描
かれているのだ。打ち破るべき国だ。
そして、西行は、まだ、最大のライバル文覚とは、対峙していない。
続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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