山田の案山子

日々是吉日

どんな人生にも 其れを見抜く眼さえあれば 偉大である

2013年06月22日 | 社会
「得」をしよう等と思う事は 精神の貧しさである
「得」をすると云うのは 労せずして得ようと云う乞食の発想である
そして乞食の姿勢でいる限り 人間は 此の地上に生まれて
生きている事に意義が有り 自分の存在を他人が喜んでくれ
しかも自分は他人の役に立っている 自分は他人に与えているのだ
と云う 人間として最も光栄ある 充足感を一度も味あわずに
挫折感に満ちたまま 生涯を終わる事になる

無心は 放心と違う 或る瞬間 小賢しい計算も忘れ 自分も忘れて
自然にある人間の為に存在すると云う表現が本物なのである
「自分」は失うまいとしても失い 失おうとしても失えるものではない

人間は知っていると思い 知っていると言ってしまった事に対しては
取り返しがつかない しかし 知らないと云う事に関しては
後から 訂正がきく

人間は 自分の事については何でも知っている様に見えながら
実は 生死の理由も知らない

人間関係に於いて あまりに誠実で 完全を望み過ぎではないか
人間は 他を完全に支配する事も 律する事も出来ないのである

私達は与えられている限り 不満だらけである
与える歓び 損の出来る強さを持つ事で 人間としての尊厳を取り戻す

私達にとって危険なのは 愛に裏切られた事ではない
愛を過信して 其の結果に絶望する脆い精神である

自分の能力に絶望しているのは 貴方一人ではない
多かれ少なかれ 誰もが 自分の弱さを道連れにしている

正直なところ 一生はどんな生き方でも良いのである
しかし 其処に 其の人の生涯を賭けて選び取った
「一人の人への対し方」への筋が通っていなければ為らない

  『失敗と云う人生はない』 曾野綾子著 海竜社刊