山田の案山子

日々是吉日

成長していないなら死にかけているんだ!

2013年07月28日 | 時事・ニュース
野党の惨状ー与党を喜ばせるな!
 自分達の立場を分かっているのだろうか。参院選に敗れた野党各党のごたごたを見ると、そんな疑問が拭えない。

 民主党では、海江田代表の続投に異論が出る一方、東京選挙区の公認をめぐる菅元首相への処分問題で、執行部の中で意見が割れた。一昨日の両院議員総会で海江田氏の続投と処分問題にひとまず決着はついたが、党内に不満はくすぶる。

 みんなの党では、党運営や野党再編への考えの違いから、渡辺代表と江田幹事長がお互いを批判している。江田氏と民主党の細野前幹事長は、日本維新の会も交えた再編に前向きだ。これに渡辺氏がブレーキをかける構図になっている。

 一方、参院選で1議席しか取れなかった社民党は、福島党首が辞任し、まさに存亡の淵に追い込まれた。

 自民、公明の巨大与党に対抗するどころではない。野党がこんな体たらくでは、議会制民主主義そのものが機能不全に陥りかねない。

 幹部間の確執や、上滑り気味の再編話にうつつを抜かしている時ではない。野党各党は敗因を虚心に分析し、党再生に向けた道筋を探らねばならない。

 参院選では、民主党が惨敗した。みんなの党や日本維新の会も含め、比較的新しい勢力に不振が目立った。

 振り返れば、93年に自民党が分裂して以来、政党の離合集散が繰り返されてきた。国会に議席を持った政党は、実に30を超える。

 確固たる基盤を持たない新党が生きながらえるのが、如何に難しいか。20年、政界に影響力を誇った小沢一郎氏の生活の党が、今回は議席を獲得出来なかったのは象徴的だ。

 とは云え、長い歴史を持つ政党も、もはや旧来の支持基盤に胡座をかいて居られる時代ではない。

 実際、旧態依然とした自民党への有権者の失望が民主党の躍進を支え、一時は政権にまで押し上げたのではなかったか。

 民主党政権の自壊から、ここ2回の選挙では一転して自民1強体制を生み出した。だからと云って、変革を求める民意の流れは変わらない筈だ。

 「多弱」となってしまった野党が、其れに如何応えるか。理念や政策が異なる中、答えを直ぐに見付けるのは難しい。だからこそ先ずはそれぞれの党の立て直しが大切になる。

 其れ抜きに党内の主導権争いを演じていては、民意は離れる一方だ。与党ばかりを喜ばせては為らない。



  国が貴方の為に何が出来るかでは無く、貴方が国の為に何が出来るか、問い掛けて下さい。
 Ask not what your country can do for you,
 but what you can do for your country.
  ジョン・F・ケネディ

 駐日大使に決まった元アメリカ大統領ケネディ氏の血を継ぐ彼女にオバマ氏は何を託したのだろう?
 ケネディ暗殺の瞬間を初の衛星中継で見たのは50年前の事だったと思う。
 其の時、私は静岡少年鑑別所の独房に居た。独房の窓の隙間からテレビを見る事が許された。初の衛星中継だったからなのかも知れない。

 与党にも野党にも言いたい。
 未熟なうちは成長する! 成熟すれば、後は衰える丈だ!





火罰・水罰・木罰・金罰・食罰・紙罰・・・?

2013年07月28日 | 時事・ニュース
「もったいない」と「断捨離」と・・・
 日替わりの絵が楽しい「しつもん!ドラえもん」は今、環境編が続いている。先日は、水道を1分流しっ放しにすると約12リットルの水が無駄になると教えられた。蛇口をひねれば水がほとばしる便利さは、無駄と表裏一体だ。

先の小欄で「みずばち」について書いたら、幾つも便りを頂いた。「水を雑に使うと水罰があたって水に不自由する」と云う戒めである。或る女性は、水だけでなく「火罰(ひばち)」や「紙罰(かみばち)」があたるから粗末にするなと、親から教えられたそうだ。

農民作家の和田伝(つとう)が戦前に書いた随筆を送って下さった方もいた。随筆には、女中さんの性格は井戸端で水を使わせれば分かる、とある。締まりなく使う者は一事が万事で、味噌でも醤油でも同じだと云う。現代人にも当てはまりそうな、鋭い観察である。

「湯水のように使う」と云う表現に、和田は異を唱えている。田舎の人は惜しげもなく水を使う事はなかった。時は流れて今、日本人は1人1日平均で約300リットルの生活用水を使うようになった。

水から目を転じれば、まだ食べられるのに捨てられる食品が、国内で年に500万~800万トンにのぼると云う。食料の過半を海外に頼りながら、こうも粗末にする国は、いまに「食罰」があたりそうで怖い。

何にしても、物が有限である事への謙虚な畏れを失いたくはないものだ。地球には今70億の人間がひしめく。「もったいない」に通じる「罰」の感覚は、古いがモダンだ。埃を払って磨きたい。


  フィリピンの或る地方では、トイレットペーパーが無いそうだ。と言うよりも貴重品として使われて居ると何処かで誰かに聞いた事が在る。

 トイレの後は川や水道水で洗い流すそうだ。
 トイレットペーパーを高級ブランドバッグから出し、空港やレストランで口元を拭いたり汗を拭く事が帰国後の楽しみでもあるそうだが・・・土産には此のトイレットペーパーを沢山持って帰るのだそうだ。

 水道を捻れば水が出る筈が、集中豪雨と土砂災害で飲料水の確保に間に合わず断水中の地方が在る事を今朝のニュースでも報じて居った。
 逆に猛暑と干ばつで農作物の不作を訴える地方も在る。

 少年時代、天秤棒を担いで水汲みに行った事を想い出す。トイレは新聞紙だった。裏山に小枝や薪になる木を切りに行き、鉈で薪割りをした事も懐かしい想い出でもある。
 家が理髪店であった事から髭剃り用に新聞紙を綺麗に切る事も日課の様なものだった。其のうちゴム製の髭剃り皿が出来た。

 風呂や炊飯は薪だった。石炭や練炭から石油やガスに・・・そして電気へと変わった。
 40年前のオイルショックの時にはトイレットペーパーの買い占めが報じられたが、当時ロール式だったのかは思い出せない。

 「もったいない」分かっちゃ居ても・・・衣食については無駄は無いと思うのだが、金については無駄が多過ぎた。此処で云う湯水の如くに金を使って来た。宵越しの銭は持たねぇのが江戸っ子だと粋がって来た事も今となっては愚痴になる!