坂戸市公益活動団体『北坂戸フォークソング倶楽部』(山木ジョージの桜梅桃李)

 
1960年代~現在の歌を中心に皆さんと一緒に、ギター1本で合唱を楽しむサークルです。

野火止用水

2015年10月22日 | 旅行


地球の平和を守る仕事が多忙
な為、遅くなりましたが

タイトルも変更して

ハイキングの史跡めぐりの一つ『野火止用水』
ウキペからchoice

野火止用水(のびどめようすい、のびとめようすい)は 、東京都立川市の玉川上水(小平監視所)から埼玉県新座市を通り新河岸川(志木市)に続く用水路である [1]。 別名を伊豆殿堀(いずどのぼり)という。 かつてはいろは樋をとおって、旧宗岡村にも水を送った。

要するに、関東ローム層の武蔵野地域は乾燥大地の為
作物と育たない。人が住めない地域だった。

またまた、ウキペからchoice

承応2年(1653年)、幕府老中で上水道工事を取り仕切っていた川越藩主松平信綱は、多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通す玉川上水を開削した。その後、玉川上水から領内の野火止(新座市)への分水が許され、承応4年(1655年)に家臣の安松金右衛門と小畠助左衛門に補佐を命じ、野火止用水を作らせた。工期は40日、費用は3000両だった。玉川上水7、野火止用水3の割合で分水した[2]。主に飲料水や生活用水として利用され、後に田用水としても利用されるようになった。

開削に前後して川越藩では農民や家臣を多数入植させ、大規模な新田開発を行った。野火止用水の開削によって人々の生活が豊かになったことを信綱に感謝し、野火止用水を信綱の官途名乗りである「伊豆守」にあやかって伊豆殿堀と呼ぶようになった。新座市立野寺小学校の校歌には「めぐみの水よ 伊豆堀よ」という歌詞があるほか、他市立小学校でも「智慧伊豆の流れを汲んで」と、信綱(と安松らの功労者たち)の人柄や向学心を歌詞とした校歌が歌われている。

ちなみに、坂戸市も川越藩だったとさ。