ダイアナ」(Diana) は、1957年にポール・アンカが作詞作曲し、自ら歌って有名にした楽曲で、1957年5月にニューヨークのドン・コスタ(英語版)のスタジオで録音された。その後、RCAレコードと契約した後、アンカは「ダイアナ」など数多くのヒット曲を1963年に再録音した。これらのバージョンは、イタリアでも、特別なLPとして発売された。
この曲は、アンカの高校時代の同級生であったダイナ・アユーブ (Diana Ayoub) からヒントを得たともいわれている、2005年にナショナル・パブリック・ラジオ (NPR) のテリー・グロス(英語版)が行ったインタビューの中で、アンカは、教会で出会った、ほとんど知らない少女から示唆を受けたと述べている。録音に参加したスタジオ・ミュージシャンの中には、ギターのバッキー・ピザレリ(英語版)、ピアノのアーヴィング・ウェックスラー (Irving Wexler)、ベースのジェリー・ブルーノ (Jerry Bruno)、ドラムスのパナマ・フランシス(英語版)らがいた。録音は、1957年5月にRCAのスタジオで行われた。バッキング・ボーカルのひとりは、アーティー・リップ(英語版)(後のレコード会社重役)であった。
ポール・アンカ自身による1957年のオリジナル盤は『ビルボード』誌の総合チャートであるトップ100では最高2位にとどまったが、「ベスト・セラーズ・イン・ストアズ (Best Sellers In Stores)」チャートで首位となり、のべ900万枚を売り上げたといわれている。「ダイアナ」はR&B・ベスト・セラーのチャートでも首位に立った[5]。また、この曲は全英シングルチャートでも首位となり、イギリスでも125万枚を売り上げた。
この曲には、数多くのカバーが存在している。1958年には、アンカ自身がイタリア語のバージョン(題名は英語と同じ「Diana」)を歌ったが、この歌詞を書いたのはマリオ・パンツェリ(イタリア語版)であった。
フランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズも、この曲をカバーしている。1965年、ボビー・ライデルがこの曲をカバーしてシングルとして出し、Billboard Hot 100の98位、『ビルボード』誌の「ミドル・ロード・シングルズ (Middle Road Singles)」のチャートで23位まで上昇した。
リッキー・マーティンは、(スペイン語の歌詞で歌われた1996年の)アンカのアルバム『Amigos』で、この曲をアンカとデュエットした。2006年には、イタリアの著名な歌手、エンターテイナーであるアドリアーノ・チェレンターノとアンカのデュエットが、モゴル(イタリア語版)ことジュリオ・ラペッティ (Giulio Rapetti]) とチェレンターノの共作で新たに書かれたイタリア語の歌詞による「Oh Diana」として発表された。
ブルガリアのバンド、ウィケダ(英語版)は、バルカン半島民謡の要素を盛り込んで、この曲をカバーしており、またホラー・パンクのバンドであるミスフィッツは、アルバム『Project 1950』にこの曲を収録している。
この曲は、インドのヒンディー語映画の映画音楽でも2回カバーされており、いずれも1959年の映画であった。そのひとつは、映画『Dil Deke Dekho』で「Kaun yeh aaya mehfil me」として歌われたもので、音楽担当はウシャ・カンナ(英語版)であった。もうひとつは、映画『Baap Bete』[11]で「Bol bol bol my little dove」として歌われたもので、音楽担当はマダン・マホン(英語版)であった。いずれの曲も、歌ったのはモハメド・ラフィであっ
「ダイアナ」は、いわゆる「ロカビリー」のブームが起こっていた日本でもヒットし、日本語詞を盛り込んだカバー・バージョンが、いろいろ制作された。渡舟人の日本語詞で山下敬二郎が歌った「ダイアナ」は山下の代表曲とされる[13]。「ダイアナ」は、山下敬二郎の1958年4月のデビュー・シングル「バルコニーに坐って」のB面曲であったが、平尾昌章(のち昌晃)は音羽たかし名義の日本語詞でシングル「ダイアナ」を出し、B面に「バルコニーにすわって」を収録した。ロックンロール・ミュージック/ヒデキ 1977年に発売された西城秀樹 のカバー・アルバム(LP)に収録。