昨日は節分
”岡寺へ行こう”と 出かけて行きました
昨年は3日が節分でした
夜「豆撒きしてくるね」と
夫に言うと『うん』と言ったので
3階から豆撒きして階段を降りて
店と夫の寝ていた回りも豆撒しました
恵方巻は食べたか?覚えがないです
夜中2時頃目を覚ますと
夫の足がベットから降りていました
「トイレ行きたいの」と聞くと『ううん・』
「ベットから落ちたら大変だから足乗せるね」
と 足を乗せて
「何か飲む?」と 聞くと『イイや』
横になっても寝られないので
「お風呂で頭洗って来るわね」『うん・』
外に出ると雪がちらついていました
お風呂から戻ると4時過ぎていて
横になったけれど眠れませんでした
5時過ぎて「お父さん・何か飲む」
と 聞いても返事が無いので
起き上がって呼び掛けても返事がなく
オデコを触ると冷たかったので
看護師さんに電話しました
『胸は』と聞かれて触ると
「熱が有るみたいに熱いです」
『すぐ行きます』と 言われて
私のお布団を片付け終えた頃
本当に直に来て頂き
目を診た後お医者様に電話をされ
『エンゼルケアをしますか』
と 聞かれて
「松下さんの事信頼してたから喜ぶわ」
と お願いしました
お医者様が来られて
『6時5分です』涙も出なかった様な??
看護師さんが
『眠っている間に逝かれたんですね
良い死に方をされたわ』と 仰って・・
お風呂から「戻ったよ」と 言った時は
返事が無くて 寝ているのだと思って
毎朝5時過ぎに飲み物を欲しがったので
何か飲むか尋ねたのでした
胸が熱かったのは
蝋燭の灯が消える前の一瞬
ポッと灯が強くなるのと一緒と
聞いたことが有ります 其れだったのですね
[病院がそんなに厭なら]と
お医者様が近所のお医者様と介護協会を
紹介してくださいました
1月18日に男性のケアマネージャーさん
が 担当になったと来て頂いて
頼りにしていましたが
『入院は絶対いや・』と 駄々っ子の様で
点滴が入らなくなった時
お医者様が[病院を手配したから]
と 迎えに来て頂いたけれど
『行かない・イヤ』を 通しました
『お葬式は長男にまかせておけばいい
お前は何もしなくてイイから』
『家は弟にやってくれ』
『お墓には入らない・海にまいてくれ』
と 言っていましたが 其れも何だか・・
と 言うと
長男が《岡寺》を選んでくれて
お葬式の後 娘と岡寺を参拝して
永代供養をお願いして
49日の法要の後 納骨しました
娘と来たのは2月8日だったような?
蝋梅が綺麗に咲いて 暖かな日でした
ケアマネージャーさん 看護師さん
介護の方も無くなった後弔問に来て頂いて
皆さん[良い死に方をされたね]
と 仰っていました
『漢方を飲んでたお陰か シンドイ事も
痛いことも 怠いことも何もないんや』と
言っていました 自分で永くないと思ったのか
病院に行ってからは漢方薬も飲まなくなりました
2日は厄除け祈願をしないと
本堂に上がれない様でした
「厄年では無いですけれど」と 伝えて
紙に住所氏名年齢を書くと
木のお札 お供物 門に貼るお札と
説明書を頂いて本堂に上がりました
座っている人達は
木のお札を両手に挟んで合掌していたので
そのようにして聞いていると
前厄 本厄 後厄の年齢で
私の様な年齢の人は居られませんでした
”タクシーでそんなに掛からないし”
と 思ったけれど 節約・節約・
私は未だ歩けるし・・
電車とバスを乗り継いで遠足です
帰りは バスで飛鳥駅に行って
[あすか夢販売]で野菜や果物・古代米
あすかルビー 柿羊羹などと
恵方巻が有ったので買って帰りました
エコバッグに入れたら重くて
リュックを背負って来て良かったです
押入れの整理 税金の申告
シナケレバいけないことがイッパイ有るのに
遠足してる場合じゃないけれど
メッタニ引かないおみくじ
猫みくじが有ったので
目をつぶって1個取ると
猫が赤い魚を抱いています 鯛😄
学問 困難 そうなんです
シナケレバいけないことが沢山有って
手が付かなくて 資料はたまる一方です
自分も母がなくなり1年ですが
旦那様は去年の今頃亡くなられたんですね~
大変な1年だったんですね~
自分は母の場合はある程度覚悟ができてましたが
父の時がなんという言葉を使えばいいのかわかりませんが喪失感と言うのが一番近い感覚でした。
日と共に悲しみは薄くなりましたが
やはり寂しくはありますね。