12月1日 金峯山寺 最後の御開帳でした
毎年は秋の限られた日だけ御開帳でしたが
国宝 仁王門の修復費用を集める為に
御開帳されている様でした
以前から参拝したいと思っていたのですが
一度も行けていませんでした
する事が沢山溜まっていたのですが
思い切って出かけました
次の御開帳には行けないかも・と思って
近鉄電車に乗って[吉野口]??
隣の人に聞くと『終点まで乗りますよ』
昔 子供達がまだ小さい頃 夫は留守で
高野山に行った時に 是で失敗しています
PCもスマホも無い時代 当時は国鉄だったかな?
[高野口]で降りて 寒い中1時間位待ちました
吉野駅を降りるとお店が並んでいて
少し歩くとケーブルの駅がありました
山道を登ります
右手に歯のお地蔵様 心の中でお願いします
「何時までも自分の歯で食べられます様に」
[銅の鳥居]正式名称は[発心門(ほっしんもん)]
修行者達は修行の道を行く覚悟をしたとか・
俗世間と冥土を分ける門で 4つの門が有るそうです
皆が行く方では無いと思ったけれど
標識の方に進むと正面からではなく
横から入ったようで 急な階段を上って
振り返って見た景色です 空気が綺麗 感激😂
参拝券を買って 記念の御朱印を頂き
本堂にお参りしました
深い青色の三体の金剛蔵王大権現は
威風堂々として 頼もしく感じました
険しいお顔と逞しいお姿でした
御開祖の役行者は 毎日見上げている
葛城山の 御所市茅原でお生まれになりました
私の住む近くの神社でも役行者の
高下駄を履いたお姿は よく見かけます
当店も昔はよく売れていた[陀羅尼助]は
役行者がつくられたと聞いています
グルッと奥の方も廊下伝いで拝観出来ました
外に出て前の広場を散策
山脈がとても綺麗で高くに登って来た実感が有ります
修行僧は まだまだ 此処から上に登られるのですね
塔の見える方に行くと石碑が建っていて
南北朝時代[南朝]が在った場所でしょう
後醍醐天皇 室町時代ですね
最初に見えたのはこの塔でした
南朝地蔵菩薩がおられました
最初は大海の皇子が謀反の罪を
掛けられそうになって吉野に籠られた場所
かと思いましたが それはもっと昔で
其れが引き金になり壬申の乱がおこったのですね
1人気儘に歩いて 境内は人が沢山でしたが
ここまで来ると人の姿も疎らでした
首から上の神様[脳天大神]の立て看板発見
明日は此処を下ったブログをupします
2年前にも行きましたが 桜メインで 神社仏閣は
さっと見で 金峯山寺もあまり記憶になく
この記事参考になりました。
https://blog.goo.ne.jp/tsakaegoo/d/20220420
>金峯山寺... への返信
吉野へは知人の所に行っただけで 桜の頃にも行っていません 金剛蔵王大権現の深い青色と憤怒に満ちたお顔 お姿にお会いしたいと何度も思いましたが 日々する事が有って行けませんでした
夫が亡くなって止める人も無く 思い立って出かけてみると 最後の御開帳の日でした 1時の法要には参加できなかったけれど脳天神社の護摩行も迫力が有りました 一人で不安だったけれど案外何とかなるもの 此れからリュック背負って出かけてみようかな? 昨日来たのにって言われて ご免なさいですが たまにはイイかな?