グッドバイ ジミー グッドバイ
Goodby Jimmy Goodbyという歌のメロディーと歌声が
自分のどこかにしみ込んでいる
それは恐らくラジオの音の記憶なのだ
占領統治下の日本で
占領軍のために放送されていたラジオの音の記憶なのだ
Occupied Japan で自分は生まれ
赤子である私の耳は 日本人である父と母の声と
占領軍のラジオ放送を聞いていたのだ
赤子である私の目は
角のまるい木製ボディと 横長の窓に横にずれ動く赤い針
チューナーと音量の二つの茶色の溝を刻んだダイヤル
スピーカーの開口部に貼ってあった裂地の質感をさえ覚えている
私は 占領下の日本で
2460グラムの未熟児で生まれ
占領軍の為に流れるラジオ放送の時代に
栄養不良の子供として育ってきたのだ
テレビの時代になって
流れてきたアメリカのホームドラマの家族は とても豊かだった
犬が駆け回る広い庭付きの白い家
奥に見える曲がった二階への階段
豪華なソファーの前には大きなブラウン管テレビ
ハンサムなパパは いつもスーツを着ていて
美人のママは 膨らんだスカートの裾を翻していた
兄弟たちは健康で明るく
兄は成績優秀で 弟は野球チームの一員だった
…と思う
白黒テレビの時代だったから
白い家は 白かったし 庭をかける犬も白かった
パパのスーツも白っぽかったし
ママのスカートも 白地に花柄だった
…ような気がする
老人の歳の今になって私は気づく
Jimmy たちが帰っていったアメリカは
ホームドラマのような豊かなアメリカではなかった
風が吹き 雨が降り
長くて寂しい列車の汽笛が 遠く聞こえる野道を
古いトラックのホイールを軋ませながら
帰らなければならない場所だったのだ
大阪大空襲の翌朝
焼き尽くされた街をあとに
あてどなく大阪平野を東に歩くお父さんに
何度も機銃掃射をあびせかけたグラマンの
白い笑い顔のまるで子供のような操縦士の帰って行ったアメリカは
きっと ホームドラマのような健全なアメリカではなかった
何の理由もなく お父さんを殴りつけた
酔っ払いの黒人兵の帰っていったアメリカには
きっと 帰る家も
I'll see you again と言ってくれる人もいなかった
占領統治の任を終え
彼らは 陸と海を旅して 何処に帰って行ったろう
Goodbye, Jimmy, goodbye
Goodbye, Jimmy, goodbye
I'll see you again but I don't know when
Goodbye, Jimmy, goodbye
Occupied Japan で 日本人の自分は生まれた
Jimmyはどんな顔をしていたろうか
肌の色は 白かったろうか 黒かったろうか
Jimmyは 自分のはじめての友だちだったのかも知れない
I'll see you again but I don't know when
Goodbye, Jimmy, goodbye