幻滅
幻滅と言うものを始めて体験したのは
万華鏡を壊した子供の時だった
小さな筒の中に広がる無限の空間の不思議さに
買ってもらったその日のうちに
私は その万華鏡を分解した
中は三枚の鏡と刻んだ千代紙の数片だけで
いかにも即物的な正体とともに
無限の空間の不思議な幻と謎は 消えてしまった
アラビアの魔法使いの仕掛けた特別な秘密や呪文は
いくら探しても見つからなかった
そして壊した万華鏡は 元には戻らなかった
私は本を読むようになった
スティーブンソンの「宝島」に夢中になった
長い物語の途中から 私は
挿絵に描かれた宝箱に取り憑かれた
鋲で打たれた鉄枠の古びて汚れた木箱
屋根型の頑丈な蓋に 錆を含んだ大きな錠が架けられ
その箱の中身を匿している
私は その箱に憧れた
私は その箱に恋をした
私の求めるものが その中にある
私の願いが その中にある
私の夢が その中にある
私の望みが その中にある
古びて汚れて 決して美しくはない頑丈に鎖された匣
それが私の恋人になった
そしてついに私は 終わりに近づいた物語の挿絵に
洞窟に隠された宝箱が開かれるのを見た
無数の金貨や宝石指輪首飾りがあふれこぼれ 散らかっているのを見た
私は醒めた
宝箱のいかにも即物的な中身に 私は冷めた
物語のぞくぞくするような冒険のときめきと共に
恋い憧れていた私の恋人は 褪めてしまった
宝箱を探し求め やっと発見し錠を解いて ついに蓋を開けたとき
私は恋人を失ったのだ
私の恋人は幻だった
歳老いた今
思い出は 万華鏡に似てると思う
思い出は 玉手匣と言う宝箱に似てると思う
行き過ぎる制服の女学生がまとう透明の風を想うとき
私は思い出という万華鏡の幻を覗いているのかも知れない
思い出の詰まった玉手匣を 開こうとしてはならない
その数々の美しい刻の幻を 確かめようとしてはならない
玉手匣を開けたら きっと
制服の女学生は 刻の煙に曝されて たちまち白髪の老婆に変わる
詰襟の少年は 刻の煙に曝されて たちまち白髪の老爺に変わる
思い出の中の初恋の娘の今は
決して死にみやげにはならない
思い出の中の初恋の少年の今は
決して貴女の死にみやげにはならない
思い出という玉手匣は 開けてはならない宝箱
そのままそっと 塚に埋めよう