原発事故発生から3年が経過したが、依然として収束が見えない福島第一原発。
放射能を撒き散らした原発事故の原因究明も終わっていない。現在も核分裂を
抑制し、冷やすために水をかけているだけで、冷却水は汚染水となり増え続けて
いる。アンダーコントロールとは程遠い不適切な管理で海洋汚染が益々進んでいる。
事故発生前は、圧力容器や格納容器など5重の安全壁で原発は守られていると
言われていたが、短時間の冷却水供給停止で4つの原子炉はあっと言う間に
全部崩壊し、まるでブリキで出来たような原子力建屋は水素爆発でいとも簡単に
吹き飛んで広範囲にわたる放射能汚染を引き起こした。3つの原子炉はいずれも
メルトダウンした。事故を起こした原発から20KM圏内は今に至るも誰も住めない。
これからも廃炉作業を進める上で使用済み核燃料棒プールや原子炉容器の事故
発生がないとは言えない。3・11と同様の事故が再度起こっても放射能の拡散が
全く無いように、4つの原子炉と使用済み核燃料棒プールをコンクリートや鉛等で
造られた分厚い壁の強固な構造物で完全に覆うことを直ちにやるべきだ。水素
爆発が起こっても原子炉建屋から1μSv/hも放射能漏れが無い建造物での防御や
仕組みを構築すべきである。この建造物の中で廃炉作業を実施することが望ましい。
外に放射能が漏れない頑丈に造られた建造物の中で、万が一、水素爆発が起こったら、
衝撃で圧力容器も格納容器も全て破壊されるかもしれない。この建造物内部は
放射能が充満するだろう。この場合作業員が内部に入ることは出来ないので、
チェルノブイリと同様の石棺として利用する。放射能漏れがないのでこの石棺の上に
サッカー場を作って利用することも出来る。コンクリートの寿命は100~200年と
言われているので、それ以上の年月でも劣化に耐えて使えるよう定期的にメンテナンスを
行なう。
原発外部への放射能の拡散を絶対に起こしてはならない。同じ過ちを二度起こしては
ならない。
自民党、経団連や一部の企業経営者が原発を推進する理由に、原発停止による日本
企業の競争力の低下の危惧を揚げている。原発稼働停止によって電力料金が上がり、
企業競争力の低下を恐れる企業は工場を国外に移転し国内産業が空洞化する、
と言う全く馬鹿げた主張をしている。下記は経産省の工業統計調査で公表されている
平成21年度の生産額に占める購入電力使用額の割合である。
一般機械 0.94%
電気機械 0.80%
輸送用機械 0.78%
石油・石炭製品 0.39%
食料品 1.28%
化学 1.67%
繊維 2.46%
紙・パルプ 2.05%
窯業・土石 3.71%
鉄鋼 3.51%
非鉄 2.58%
(亜鉛) 16.35%
製造業計 1.44%
これで見るとおり、電力料金の生産額にしめる割合は、製造業全体で1.44%にしかならない。
電力料金が二倍になっても2.88%である。相当以前から言われている日本企業のホワイト
カラーの生産性の低さの改善や無駄の排除によって、仮に電気料金が上昇してもそれは
間違いなく吸収可能である。
又、原発による発電コストが他の発電方式と比べ低いというのは誤りである。原発の廃炉費用、
安全に対する投資、事故の際の賠償費用、使用済み核燃料の処分費用、原発への政府
負担金等を含めると原発の発電コストが一番高くなる、と言うことは専門家が以前より指摘して
いる。
それでは何故、自民党、経団連や一部の学者が原発の稼働を主張しているのか。これはやはり
原子力ムラの住人が原発稼働によって様々な利益を享受しているからに他ならないと思われる。
ここの住人は自分の利益以外に関心は無く他者への配慮など微塵もないのかもしれない。
日本の国力強化や経済の持続的発展に対する思慮が欠落している。日本の将来への思いやりが
足りない。もしあるのであれば以前から発送電分離や電力自由化をやっていた筈である。
2009年の売電価格の国際比較では、日本は産業用ではイタリアに次いで高いがドイツやイギリスと
比べ大幅に高くはない。アメリカ、韓国と比較するとかなり高い。家庭用ではイタリア、ドイツより安く、
英国より1割高い程度である。日本の電力会社は総括原価方式と市場独占で保護されている。
この状況では企業経営の中でのコストダウンや無駄の排除は出来ない。電力自由化によって電力
料金は間違いなく下がる。日本の中小企業並に死に物狂いの企業努力をして発電コストを下げれば
欧米の電力会社並の電力料金かそれ以下となる。日本企業の底力から考えれば出来ないことは
ない。
原発がなくても日本企業の競争力は損なわれない。産業の空洞化も起こらない。政府や企業は
原発再稼働に精力をつぎ込む代わりに、安価で安全な新エネルギーの開発に凡ゆる努力を傾注
すべきである。
1931年の米軍事予算はもう少しで日本の三倍を超えるところまできていた。満州事変に関する
公式報告が正しければ、この年日本は1億2千2百万ドルに満たない軍事予算で世界征服を開始し、
一方、私たちは国内の軍隊を満足させるだけで6億6千7百万ドルを必要としていた。
1941年までに、日本の年間軍事予算費は13億3千4百万ドルに達しているが、アメリカの「国防」
支出は60億ドルにまでふくらみつつあった。
日米関係が戦争に向かって急速に悪化していた1941年11月中旬、両国政府はそれぞれの議会に
軍事予算の増額を求めている。ルーズベルト大統領は70億ドルの増額を、日本政府は9億8千万ドルの
増額を要請した。
1937年7月の「日華事変」からパールハーバーまでの4年3ヶ月の間に、日本は中国と満州の
軍事・防衛活動に62億5千万ドルを使った。1940年7月から1941年3月までに、アメリカは
1、610億ドルをつかっている。満州事変から降伏まで、14年間の日本の総軍事予算は480億ドルを
下回っている。戦争の全期間を通じて私たちが支出した軍事費は3、300億ドルにのぼっているのだ。
鉄鋼生産だけとってみても、十分状況がわかる。1939年、アメリカは5,250万トンの鉄を生産していた。
生産はさらに増大し、1942年には8、800万トンに達した。日本の生産量は1934年333万4、000トン
である。
「アメリカの鏡・日本」に太平洋戦争当時の日本とアメリカの軍事費の比較や国力の違いが詳しく書かれている。
この本での日米双方の軍事費の総額と年度にいくつかの疑問はあるが、何れにせよこの両国の国力の大きな
違いがよくわかる。上記のように工業、軍事国家としての日本はドイツやアメリカにくらべてピグミー程度のもの
(著者の表現)であるにも拘らず、何故日本は戦争を始めたのか? この本の著者もこの疑問を解明する
ためにこの「アメリカの鏡・日本」を著した。
「アメリカの鏡・日本」(角川書店発行)の著者、ヘレン・ミアーズ(Helen Mears)(1900~1989)は
この本を太平洋戦争終戦の3年後の1948年に著した。彼女は1920年代から日米が開戦する直前まで
二度にわたって中国と日本を訪れ、東洋学を研究、1946年に連合国最高司令官総司令部の顧問機関
「労働諮問委員会」のメンバーとして来日した。
この本が発行された年に日本での翻訳・出版をするため翻訳家はGHQに嘆願書を添えて出版の許可を
求めたが却下された。この本では太平洋戦争における連合国側の責任も記述している。1946年から
1948年に行われた極東国際軍事裁判との関係からGHQとしては到底許可することは出来なかったものと
思われる。
現在の日本の中国・韓国との対立を考える上で、この著作は非常に示唆に富んだ内容となっている。
どのようにして国と国とが戦争に至るのか。著者は欧米列強のアフリカ・アジア・南アメリカでの植民地
政策と日本の満州進出にいかほどの相違があるのか疑問を投げかけている。欧米列強は植民地政策を
通じて支配、搾取を行って来たが、日本は現地政府の独立支援(欧米列強は傀儡政権と非難したが
植民地政策を続けた国々が言える話ではない)や治外法権の返上を行っていることを考えると、
連合国側に日本を裁く権利はないのではないかと指摘している。とは言え、勿論、日本軍がアジアや
中国で行った残虐行為について許しているものではない。
これまで日華事変から太平洋戦争開戦に至るまでの状況に多くの疑問があったがこの著作はその多くに
回答を与えている。