ブログを始めてから、過去のことを色々思い出すようになりました。
誰にも言えず閉じ込めてきた感情、こんな風に吐き出せる場があることを
不思議に感じながら、誰に宛てるでもなく書いています。
今だから分かることができる過去の自分と今の自分とのつながり。
今日は私の3年間のOL時代のことについて書きます。
タイトル通り、屈辱の3年間でした。
初めての就職
事故から約4年後、20歳の時でした。
無事面接試験に合格し、障害者採用で中途入社した企業は
大手の電機メーカーでした。
今はもう支店に合併されてありませんが、当時車で約20分のところに小さな営業所があったのです。
16歳から事故の後遺症とだけ戦って来たような私は
あまりにも無知でした。
社会のしくみや大企業で働くということを、ここで一つ一つ学んで行くことになりました。
それは、初めて口にする、苦い苦い薬ばかりでした。
(その苦い薬が今の私を作ってくれています)
喜んで入社したのも束の間、周りはエリートだらけでした。
有名私立大学や国公立卒業の営業マンたちと働くことになったのです。
私は教育熱心な家庭に育ったわけでもなく、そういう大学の名前を言われてもピンときませんでした。
(今思うと本当に恐れ多いです)
営業事務として仕事をスタートした私ですが、直属の上司Aさんは某国立大卒の人でした。
天は二物を与えずと言いますが、その人は二物も三物も備えたような人で、
イケメンで背も高く、頭もよく仕事も出来、目立った存在でした。
その上の上司は某有名私立大卒で神奈川県出身のBさんでした。
関西出身の私にとっては異国の人に思えました
お坊ちゃま育ちの雰囲気を醸し出し、仕事は出来るタイプではないものの
プライドは超高い感じでした。
あからさまに自分のレベルの低さを突きつけられました
全国の支社や支店、そして得意先の企業も有名メーカーばかりなのでエリートだらけ。
そんな中に何も知らずに飛び込んだのでした。
私より半年前に入社していたもう一人の事務の女性は(彼女は短大卒)
そんな環境にも馴染み周りの人たちとも上手くやっているように見えました。
障害者で何のバックグラウンドもないどころか、当時の私は日曜日に
通信制の高校に通っていました。
「交通事故したのか。可哀想に・・・
なんて言ってくれる人は一人もいなく、当たり前ですがみんな競争社会の実力主義で必死。
出来ない者はいらないのです。
私はのけ者にされているように感じました。
今まで大事に大事に保護されて来たことにも気付き、社会の厳しさを初めて知りました。
身体の自由も利かず、あまりにも自分とはかけ離れた世界にも対応できず、
こんなはずじゃなかった・・・と、自分の運命を恨み苦しみました。
それでも負けたくなかったし、3年は頑張ろうと辛抱しました。
あるとき、会社のBBQに誘われました。
某国立大卒のAさんです。
自分に相当引け目を感じていたので当然気が向かなかったのですが、
幸い、用事がありました。
「今、私日曜日高校に通っているので行けません。」
と返事したとき、Aさんはぷっ!と笑いました。
しまった恥さらしなこと言うんじゃなかったと後悔しました。
同じチームにちょっと変わったCさんがいました。
その人は毎日毎日、隅から隅まで日経新聞を読み、隣に座っていた私に、「3年後にはこうなるんやで」
とか経済界の動きや新製品の開発状況など、色々話してきました。
そして、毎日夜中まで誰よりも遅く会社に残り、エクセルで色々データを作り研究したりしていました。
また私を一人前に育てようと、色々世話を焼き口うるさく忠告もしてくれる人でした。
(当時の私はその優しさに気付けず、ありがた迷惑にさえ思ってました)
そのCさんがある日、私の交通事故について聞いてきたことがありました。
詳しくは思い出せませんが、その時私が通信制の高校に通っていることを「偉いな」
と言ってくれたことは忘れられません。
会社の中でそんな事を言ってくれた、たった一人の人でした。
そして、今になって気付くことがあります。
Cさんは工業高校を卒業し18歳で入社しています。
大企業に入社し、学歴のないことから給与や昇進などの待遇で悔しい思いを
いっぱいしていたのではないか?
だからこそ、何を聞かれても答えられるように誰よりも情報収集をし
夜中までパソコンのスキルを磨いていたのではないか?
その甲斐あって実際、AさんもBさんもよくCさんを頼って助言を求めている光景を
目にしました。
今になって思います。
自分が悔しい思いを経験しているからこそ、私のことも受け入れてくれたんだなと。
思い返せば悔しい思いのかたまりの人生でした。
でも今やっといくつかの「自信」と言う収穫も得られたように思います。
今日出会った素敵な言葉を一つ
" I can and I will.
Today is going to be a great day."
私は出来るし、やる!
これからもそんな自分でありたいです
誰にも言えず閉じ込めてきた感情、こんな風に吐き出せる場があることを
不思議に感じながら、誰に宛てるでもなく書いています。
今だから分かることができる過去の自分と今の自分とのつながり。
今日は私の3年間のOL時代のことについて書きます。
タイトル通り、屈辱の3年間でした。
初めての就職
事故から約4年後、20歳の時でした。
無事面接試験に合格し、障害者採用で中途入社した企業は
大手の電機メーカーでした。
今はもう支店に合併されてありませんが、当時車で約20分のところに小さな営業所があったのです。
16歳から事故の後遺症とだけ戦って来たような私は
あまりにも無知でした。
社会のしくみや大企業で働くということを、ここで一つ一つ学んで行くことになりました。
それは、初めて口にする、苦い苦い薬ばかりでした。
(その苦い薬が今の私を作ってくれています)
喜んで入社したのも束の間、周りはエリートだらけでした。
有名私立大学や国公立卒業の営業マンたちと働くことになったのです。
私は教育熱心な家庭に育ったわけでもなく、そういう大学の名前を言われてもピンときませんでした。
(今思うと本当に恐れ多いです)
営業事務として仕事をスタートした私ですが、直属の上司Aさんは某国立大卒の人でした。
天は二物を与えずと言いますが、その人は二物も三物も備えたような人で、
イケメンで背も高く、頭もよく仕事も出来、目立った存在でした。
その上の上司は某有名私立大卒で神奈川県出身のBさんでした。
関西出身の私にとっては異国の人に思えました
お坊ちゃま育ちの雰囲気を醸し出し、仕事は出来るタイプではないものの
プライドは超高い感じでした。
あからさまに自分のレベルの低さを突きつけられました
全国の支社や支店、そして得意先の企業も有名メーカーばかりなのでエリートだらけ。
そんな中に何も知らずに飛び込んだのでした。
私より半年前に入社していたもう一人の事務の女性は(彼女は短大卒)
そんな環境にも馴染み周りの人たちとも上手くやっているように見えました。
障害者で何のバックグラウンドもないどころか、当時の私は日曜日に
通信制の高校に通っていました。
「交通事故したのか。可哀想に・・・
なんて言ってくれる人は一人もいなく、当たり前ですがみんな競争社会の実力主義で必死。
出来ない者はいらないのです。
私はのけ者にされているように感じました。
今まで大事に大事に保護されて来たことにも気付き、社会の厳しさを初めて知りました。
身体の自由も利かず、あまりにも自分とはかけ離れた世界にも対応できず、
こんなはずじゃなかった・・・と、自分の運命を恨み苦しみました。
それでも負けたくなかったし、3年は頑張ろうと辛抱しました。
あるとき、会社のBBQに誘われました。
某国立大卒のAさんです。
自分に相当引け目を感じていたので当然気が向かなかったのですが、
幸い、用事がありました。
「今、私日曜日高校に通っているので行けません。」
と返事したとき、Aさんはぷっ!と笑いました。
しまった恥さらしなこと言うんじゃなかったと後悔しました。
同じチームにちょっと変わったCさんがいました。
その人は毎日毎日、隅から隅まで日経新聞を読み、隣に座っていた私に、「3年後にはこうなるんやで」
とか経済界の動きや新製品の開発状況など、色々話してきました。
そして、毎日夜中まで誰よりも遅く会社に残り、エクセルで色々データを作り研究したりしていました。
また私を一人前に育てようと、色々世話を焼き口うるさく忠告もしてくれる人でした。
(当時の私はその優しさに気付けず、ありがた迷惑にさえ思ってました)
そのCさんがある日、私の交通事故について聞いてきたことがありました。
詳しくは思い出せませんが、その時私が通信制の高校に通っていることを「偉いな」
と言ってくれたことは忘れられません。
会社の中でそんな事を言ってくれた、たった一人の人でした。
そして、今になって気付くことがあります。
Cさんは工業高校を卒業し18歳で入社しています。
大企業に入社し、学歴のないことから給与や昇進などの待遇で悔しい思いを
いっぱいしていたのではないか?
だからこそ、何を聞かれても答えられるように誰よりも情報収集をし
夜中までパソコンのスキルを磨いていたのではないか?
その甲斐あって実際、AさんもBさんもよくCさんを頼って助言を求めている光景を
目にしました。
今になって思います。
自分が悔しい思いを経験しているからこそ、私のことも受け入れてくれたんだなと。
思い返せば悔しい思いのかたまりの人生でした。
でも今やっといくつかの「自信」と言う収穫も得られたように思います。
今日出会った素敵な言葉を一つ
" I can and I will.
Today is going to be a great day."
私は出来るし、やる!
これからもそんな自分でありたいです
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