この2枚の写真の因縁は、2016/12/25のブログに書いた通りですが簡単に説明しますと、左側の写真は、私の実家である勝山の禅寺に私が生まれる前から有った屏風絵です。唐の時代の寒山禅師の句が書かれ、下に一本松の絵が描かれています。そして右側写真は2011年3月11日に起きた東日本大震災による津波で奇跡的に残った一本松です。震災から2週間が過ぎた頃、私のもとにある団体から一本の電話が有りました。その頃はまだ毎日毎日、震災の悲惨な状況が世の中に溢れ、沈痛な空気が日本中を支配していました。その依頼者は、どうか被災地に赴いて、その中から生きる希望が持てる写真を撮って来て欲しいと言うのです。そこで私は、その頃陸前高田に奇跡的に津波に耐えた一本松が有るらしいという情報だけを頼りにそれを目指しました。その背後から昇る朝日を重ねた映像が頭に浮かんだからです。何も情報が無いのに近づける所まで車を走らせ、暗がりの中、広い海岸線のどこに在るかも分からないのにこの松に吸い寄せられるかのように歩き、日の出前にこの松の前に立ち、日の出の瞬間を撮影したのでした。それは奇跡の連続で辿りつけたとしか言いようが有りません。この日に限って海はべた凪、全ての物が止まり、喧噪も鳥のさえずりさえ無く、全てが鎮魂の闇に包まれていました。朝日がこの松の背後から昇る様子は、まさに被災して犠牲になられた方々の多くの魂がこの松に下りて来たかのように感じ、思わず般若心経を唱えていました。そして震災から5年後の祖母の法事の時に見た屏風絵にハッと驚くのです。この屏風絵が私を被災地に行かせ、姿形が酷似した陸前高田の一本松に引き合わせたのだと。今日と言う日にこれからも、何度でもこの日の様子を伝えなければと思います。
露に泣く千般の草 風に吟ず一様の松