TaizanのWhite Mountain

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山の法話8 吟風一様松

2020-03-11 | 山の法話

この2枚の写真の因縁は、2016/12/25のブログに書いた通りですが簡単に説明しますと、左側の写真は、私の実家である勝山の禅寺に私が生まれる前から有った屏風絵です。唐の時代の寒山禅師の句が書かれ、下に一本松の絵が描かれています。そして右側写真は2011年3月11日に起きた東日本大震災による津波で奇跡的に残った一本松です。震災から2週間が過ぎた頃、私のもとにある団体から一本の電話が有りました。その頃はまだ毎日毎日、震災の悲惨な状況が世の中に溢れ、沈痛な空気が日本中を支配していました。その依頼者は、どうか被災地に赴いて、その中から生きる希望が持てる写真を撮って来て欲しいと言うのです。そこで私は、その頃陸前高田に奇跡的に津波に耐えた一本松が有るらしいという情報だけを頼りにそれを目指しました。その背後から昇る朝日を重ねた映像が頭に浮かんだからです。何も情報が無いのに近づける所まで車を走らせ、暗がりの中、広い海岸線のどこに在るかも分からないのにこの松に吸い寄せられるかのように歩き、日の出前にこの松の前に立ち、日の出の瞬間を撮影したのでした。それは奇跡の連続で辿りつけたとしか言いようが有りません。この日に限って海はべた凪、全ての物が止まり、喧噪も鳥のさえずりさえ無く、全てが鎮魂の闇に包まれていました。朝日がこの松の背後から昇る様子は、まさに被災して犠牲になられた方々の多くの魂がこの松に下りて来たかのように感じ、思わず般若心経を唱えていました。そして震災から5年後の祖母の法事の時に見た屏風絵にハッと驚くのです。この屏風絵が私を被災地に行かせ、姿形が酷似した陸前高田の一本松に引き合わせたのだと。今日と言う日にこれからも、何度でもこの日の様子を伝えなければと思います。

露に泣く千般の草 風に吟ず一様の松


山の法話7 山祭り

2019-12-09 | 山の法話

今日は冬の山祭りの日。この日は大概荒れる事が多いが今日は穏やかな一日であった。この日に山に入ると怪我をすると信じられているので、林業に携わる者は仕事を休み、道具の手入れをして山の神に感謝を捧げる。またヤマネは林業関係者の間では古くから山の守り神として崇められてきたと言う。写真のヤマネは以前ゴマ平避難小屋に泊まっていた時、枕元に現れた神様。今でもちょいちょい夜中に壁の向こうでゴソゴソと物音を立てていらっしゃるのを聞く。小桜平の避難小屋でも頻繁に壁の向こうにお出ましになられる。ここで提案であるが、山祭りの日には林業関係者だけでなく、登山者であるならば、我が身を守ってくれる登山道具の手入れをして、今シーズンの感謝と次シーズンの安全を盛大に祈願する日としてはいかがだろう。因みに春の山祭りは3月9日である。


山の法話6 温泉

2019-09-27 | 山の法話

かつて医療の無い時代、温泉は様々な病気やけがを治したり予防してくれる施設として人々の信仰を集めていました。それは電気や燃料に頼らずとも、大地からコンコンと湧き出る自然の奇跡であり、人々は畏敬の念を持ってそのお湯を求めて辿り着いたのです。江戸時代など関所の通行手形を得るのに、その目的が湯治や参拝であれば奉行所は比較的容易に手形を発行したそうです。仏説温室洗浴衆僧経にはお釈迦様が弟子たちに入浴を勧め、未病に役立てた事が詠まれています。同時にお寺は一般民衆へ入浴の施しをした場所でもありました。近年高度成長期を迎えると慰安や娯楽的要素が強くなり、温泉場という言い方が広がりますが、本来は温泉地というべきです。深く白山の懐に抱かれた不便な立地に在る中宮温泉は、古来より俗世から離れて人々の心と体を癒やして来ました。「一呼吸三千大千世界」湯船に浸かった時に思わす漏れる「あーっ」と言うため息には、この世で溜まった全ての毒を吐き出すデトックス効果が有るのでしょう。自然湧出、天然かけ流し、沸かし直し無し、空冷式温度調整法。胃腸の調子を整える飲泉可能な温泉は、多くの方々がお湯を持ち帰り、家庭で利用していることからも、その効能が伺えます。秋も深まって参ります。ポカポカと心と体に染み入る温泉は、まさに白山の恵みと言えるでしょう。

http://spa-kuroyuri.jp/

 


山の法話5 知足

2019-07-22 | 山の法話

ラップランドの山野を旅する時は背中に背負った荷物だけで2~3週間過ごす事となる。必要な物だけを持ち、不要な物は置いて行くという取捨選択が旅の大きなポイントとなる。仏遺教経には「知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なり、不知足の者は、天堂に処すと言えども亦意にかなわず。不知足の者は、富めりと言えども而も貧し。」足るを知る人は、地面に寝るような生活であっても幸せを感じるが、足るを知らない者は、宮殿の様な所に住んでいても納得していない。足るを知らない者は、裕福であってもまだまだ貧しい。と説かれている。

着替え、食料、テント(衣食住)僅か20数キロに3週間生きるために必要な全てが詰まっている。

元ウルグアイ大統領 ホセ・ムシカ氏は大統領時代に次のように語っている。貧乏とは少ししか持っていない事では無く、限りなく多くを必要としもっともっと欲しがることである。幸せな人生を送るには重荷を背負ってはならない。長旅を始める時と同じだ。長い旅に出る時に50キロのリックを背負っていたら例え色んな物が入っていても歩く事は出来ない。

日本の事を良く知る彼もまた、禅の求道者なり。


山の法話4 無垢清浄光

2019-05-24 | 山の法話

無垢清浄光(むくしょうじょうこう) 観音経の一節で、汚れの無い清らかな光があらゆる闇を破り、あらゆる災害を無くして あまねく一切の者達を平等に照らす。と説かれています。 白山で拝むご来光は、まさにその経典の世界を体験できます。 (4月13日に加賀禅定道、美女岩からのご来光です。この後の様子は過去のブログを参照下さい。)


山の法話3 山呼万歳声(やまはよぶばんぜいのこえ)

2019-04-01 | 山の法話

記念行事など宴席の最後を締めくくる時、万歳三唱を行うのが習わしです。これは前漢の時代(紀元前110年)元日に君主武帝が大勢の家臣と共に中国五岳の一つ嵩山(すうざん)に登り、天下泰平を祈念。見守っていた家臣たちの歓喜の声が五岳の山々にこだまして、「万歳、万歳、万々歳」と聞こえたとの故事に由来すると言われています。本日次世代の元号が「令和」と発表され、いよいよ来月5月1日は令和元旦です。全国の山々では、正にこの故事にあるように、その頂で万歳のこだまが響きわたる事でしょう。そしてまた山々も私たちに呼応するかのように、その輝きを放つでしょう。山の息吹を感じ、山の喜びを享受する良い機会とし、新たな時代への第一歩としたいところです。

 


山の法話2 天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)

2019-02-08 | 山の法話

 

この度2月3(日)に北部白山地域で発生した遭難事故に於いて、2月5(火)朝に無事救出されたことは最悪の事態を脱がれてとても安心しました。厳冬期の白山での遭難は、日常文明の利器に囲まれた環境とは異なり、人間の限界、我が命の瀬戸際を目の当たりにされた事でしょう。一緒に行動していたメンバーも遭難者と逸れてしまってから探しに戻る一方で迫りくる悪天候、奪われる体温の中で断腸の思いで行動していたことが、彼らのレポートからうかがえます。七倉辻での別れがこの世の別れと成らなかったことは、本当に良かったと感じています。

 

唯我独尊を辞典で調べると「自分一人がすぐれていてうぬぼれること」と解説されています。しかし、仏説的にはそうでは有りません。天上天下、つまり足元の地球から宇宙の全ての中で、唯一の我々独り一人は尊い者である。と説いています。自分自身の尊さに気付くからこそ、他人の尊さをも知るという事で、決してうぬぼれることでは有りません。

 

社会的な地位、名誉、財産など全く無用の厳冬期の白山で展開された事案に学び、気付き、唯我独尊の本当の意味を噛みしめたいと思います。


山の法話1 日々是好日

2019-01-22 | 山の法話


山に登る中で経験したことは、かなり実社会で教訓となる事が多いと感じています。新しく山の法話というカテゴリーを設けて禅語と共に感じたことを書いて行きます。第一回は三浦雄一郎さんのアコンカグア撤退に思う事です。


日々是好日(にちにちこれこうにち)


2019年1月21日 南米最高峰アコンカグア登頂を目指していた三浦雄一郎さんはドクターストップにより登頂を断念し下山しました。今回のチャレンジで三浦さんは肉体には年齢による限界が有ることを我々に教えてくれました。人生80年と仮定すると、若いうちはまだ長い時間が有りまだまだ人生折り返し点だと思うかも知れません。しかし桜の花をあと40回しか見られないのだ。と思うとその1回1回は非常に貴重なもの感慨深いものに感じる事でしょう。何かを始めるのに今日は悪い日だから明日にしようとか、言い訳を考えたりします。一日24時間の繰り返しの中でモチベーションの上がる日も下がる日も有るでしょう。しかしそれを理由に自分に嘘をついたのは、自分にしか分からない事です。本来悪い日と言うものはなく、毎日が貴重な時間の繰り返しです。つまりすべて好日なのです。いつまでも夢を持ち行動を続ける三浦さんの姿を見て、ボヤボヤしていられないという気持ちになります。