2008年8月
2024年7月
Sarek国立公園Skierfeから望むSarek奥地の氷河を見比べると明らかにこの16年で氷河の後退が見られる。標高の低い所でその変化が顕著だ。
しかも全体的に水が浮き出ているような印象も受ける。
2008年8月
2024年7月
Sarek国立公園Skierfeから望むSarek奥地の氷河を見比べると明らかにこの16年で氷河の後退が見られる。標高の低い所でその変化が顕著だ。
しかも全体的に水が浮き出ているような印象も受ける。
今年の夏至は6/21(火)だった。この梅雨時に、山頂からのご来光を拝めるチャンスは少ないが、一年で最も日が長いこの日は、太陽からのエネルギーを最大に受ける事が出来るお目出たい日でも有る。この頃北極圏では沈まない太陽が頭の上をぐるぐる回っていて、真夜中に北から日差しを受ける。テントで寝ていると暑くて息苦しい。スウェーデンでは夏至祭が今週末各地で開かれ、家族や仲の良い友人たちと週末の休みを過ごす。Glad midsommar!(グラードミッドソンマ)又はTrevli midsommar!(トレーブリミッドソンマ)と声を掛け合い太陽を満喫する。その北極圏のラップランドに暮らすサーメのパーレから今朝写真が届いた。スウェーデン中核部の国立公園であるサーレクでは、今日は雪交じりの予報だという。残雪を残す遠くの山は、しぐれているように見える。
ラップランドでトナカイ遊牧の生活をし、その伝統文化を継承している友人パーレのインスタを紹介する。(それまでの経緯については2021/3/26の記事参照)大先輩である武生ナイフビレッジ巨匠加茂氏にお願いをして製作していただいた2本のブレードはこの夏、ラップランドで彼らの生活の一部として活躍した。その様子はパーレのインスタでも度々目にした。冬に入り鞘の製作をしている様子がアップされたのでここで紹介する。
ブレードには、はっきりと「越前 加茂作」の刻印が読み取れる。武生ナイフは世界中の一流シェフに愛用されていることで高い評価を受けているが、伝統700年の技術が海を越え遠くラップランドの地でも生活の道具として活躍している事がとてもうれしく思う。
北欧先住民サーメの友人であるパーレは冬の間ナイフの鞘やカップ(ククサ)やソーイングセットに伝統のデザインを彫刻したりしてよくインスタにアップしている。
実際これらの道具は生活必需品であり、特にナイフはトナカイ遊牧生活には欠かせない。小さなこどもでもナイフを腰に下げていてその重要性が伺える。
そこで以前からずっと気になっていた事をパーレに聞いてみた。「ナイフブレードはどうしているんだ?」すると「買っているけど気に入っていない。」と言う。そこで武生打刃物の大先輩にこれらの写真を見て貰って相談した。そして2枚のブレードをプレゼントしようという事になった。
相談から1ヵ月、伝統技術の詰まった見事な波紋の入った2枚のブレードが完成して、画像をパーレに送信した。彼はこのブレードを「SAMURAI BLADE」と評し絶賛した。この度無事にラップランドに暮らす彼に届き、彼ら伝統の技法で柄や鞘が作られるだろ。コロナ禍で今は現地に行く事は出来ないが、コミュニティーの誰もが羨む、日本の伝統技術とサーメの伝統文化の融合した完成品を早く見たいものだ。
タケフナイフビレッジ | Takefu Knife Village | 越前市
タケフナイフビレッジ協同組合は、700年の歴史を誇る越前打刃物の製造、販売を行う。直売店では、各種包丁・刃物、キッチン用品などを取り扱ってい...
Takefu Knife Village
日本では経験の無い長雨による水害が発生しているが北欧ラップランドに暮らすサーメの知人に今年の様子を聞いてみた。送られて来た写真から見ると、今年はとても雪が多く残っているようだ。
この時期は例年トナカイ遊牧にとって最も重要な作業であるマーキングの季節だ。サーメは自分の所有権を示す方法として,今年産まれたトナカイの耳に自分のパターンを刻んで自分の所有頭数を管理している。今年産まれたトナカイは母親の後を追って走るので、親の耳に自分のパターンが刻まれていれば、子トナカイは自分のものという判別する。トナカイは半径何十キロという広大な原野から、トナカイ追いがあちっの谷、こっちの谷と春から追い始め、合流させ大きな群れを作りながら7月のこの時期に毎年同じ場所に集めて来て、野球場ぐらいの広さのフェンスを張り巡らせた囲いの中に追い込んで来てマーキングを行う。フェンスを張ったサークルは4~5つぐらいは設けて有るだろうか。この期間何千頭ものトナカイがここに集められる。私は2010年に地図にも示されないこの土地に、トナカイマーキングを見学に行った事がある。ラップランドでは各地でこの時期マーキングが行われているが、一体何箇所ぐらい有るかは知人も分からないという。私が歩いた事のあるラップランドは総延長900キロだから、ゆうに中部日本ぐらいの広さは有るだろうか?他の土地の事が分からないのは当たり前である。
コロナが治まったらまたラップランドを歩きたいと思う。次回はオーロラを見ながらスキーでクロスしてみたいものだ。
ストックホルム大学の研究機関タルファラリサーチステーションは遂にFacebookで氷河に覆われたケブネカイセの現在の標高を公表した。それは岩崚の北峰(2096.8m)の方が高くなり、最高峰の座を明け渡した事を意味する。
ケブネカイセ山麓に建つケブネカイセマウンテンステーションの壁に掛けられた約100年前の地図にはケブネカイセは2123m、北峰は2081mと記されている。
一方最近タルファラリサーチステーションが最近公開した北峰の標高は2096.8mとしている。岩崚の北峰は100年前の地図より15.8m高くなっている。これはどうしてか?この100年間でスカンジナビア半島の山々を覆う氷河は相当量が融けて軽くなり、100年間で約16m隆起しているからだ。これを計算に入れると、ケブネカイセ山の氷河はこの100年間で43mも融けたことになる。顕著な温暖化の影響と言えよう。
グレタさんの興した「気候変動に対するストライキ」は今や世界中の若者に広がり、大人たち、有識者にまで支持する行動が広まっている。グレタさんはストックホルムのスウェーデン人だが、この行動については110年も前にスウェーデン作家によって書かれた「NILS HOLGERSSONS UNDERBARA RESA GENOM SVERIGE」(ニルスのふしぎな旅)の39章に描かれている。女性初で、スウェーデン人初のノーベル受賞者セルマ・ラーゲルレーヴは、教師を努めスウェーデンの子供たちに自国の風土を理解してもらおうとこの作品を描いた。悪ガキニルスは妖精の怒りを買って魔法を掛けられ小人にされてしまう。ニルスはガチョウの背中に乗ってスウェーデン中を旅しながら成長して行くお話。ニルスがスウェーデン各地で出会うその土地の問題は、現代起こっている環境問題と同じテーマのお話がいくつも出てくる。例えば製鉄所が出来て森を追われた「クマと製鉄所」、一夜だけかつての繁栄の町が海から出現する「まぼろしの町」、そして39章「イェストリークランド地方をこえて」の中の「森の日」では、山火事が有った学校の裏山に小学生たちがせっせと植林活動を始める。大人たちは最初、どうせ子どものやる事だから直ぐに飽きるに違いないと思う。しかしあまりにも子どもたちが一生懸命やる姿に、次第に村人たちもその活動に参加しはじめ、遂に森を取り返す。というお話だ。この作品が描かれた当時は、産業革命で産業がどんどん栄えて行った時代。著者の目には産業による環境汚染などの弊害も当時の子どもたちに伝えたかったのだろうと感じる。それが現代、人類の排出した温室効果ガスの増加に伴い、地球規模の災害を各地で引き起こす事になっている。グレタさんはパリ協定(2015/12月)遵守し、具体的な行動を取るよう政府に求めストライキを始めた。それから丁度1年が経過し、グレタさんの活動はニルスのお話の通り拡大の一途をたどっている。グレタさんはニルスのこの話を読んだことが有るのだろうか聞いてみたい。
(関連記事2019/3/23参照)
(写真は2010年のトナカイマーキング パーレに案内されて行ったパジェランタとサーレクに挟まれたスコーラバルダにて:地図にはルートは記載されていない)
フォーブスの記事では下記のように、スヴァールバル諸島でのトナカイの餓死を伝えている。
これは、私がラップランドへ行くきっかけとなった2007年の新聞記事と同じ気象現象だ。
ラップランドの場合、数千頭が餓死したとされ、今回の規模とは桁違いの被害が出た。北極圏の出来事は遠い世界の事ではないと感じて貰いたい。
https://forbesjapan.com/author/detail/1505
ラップランドでトナカイ遊牧をするサーミ達にとって最も重要なトナカイマーキングのシーズンがやって来た。そこで現地の様子を尋ねてみたら、今年の夏は寒くてまだ雪が融けておらず大地はまだ茶色いままであるとの返事が2日前の写真とともに返ってきた。しかし今週の火曜日にはトナカイ追いがここにトナカイを集め始めるので、フェンスを急ピッチで設営しているという。トナカイマーキングが始まったらまた現地の様子を知らせてくれるそうだ。
今年の冬は北欧でも同様に暖冬であった。この事はトナカイ遊牧民のサーミの生活や伝統を変えつつる事が海外メディア(NBC)でも報じられていたので紹介する。
また関連記事でスウェーデン最高峰の氷河の記録的な融解についても報じられている。きっと今年こそスウェーデン最高峰は隣の岩山のピーク、ケブネカイセ北峰と交代するだろう。下の写真は私が2008年同時期に登頂した際の同じ角度の山頂からの風景。その時は未だ山頂部全体が氷河に覆われていた。
スウェーデン最高峰ケブネカイセ山に登頂したのは10年前の2008年8月。この頃からずっと心配されて来た事が間違いなく今年起きるだろう。氷河で覆われた山頂は温暖化と共に毎年融けてその標高が隣りの北峰より低くなるだろう。その事をAFP通信は伝えている。10年前の写真と、AFP記事の写真を比べても一目瞭然、山頂付近の氷河は僅かしか残っていない事が分かる。計測はストックホルム大学の現地タルファラリサーチステーションが毎年8月下旬にGPSを使って計測している。日本も酷暑に見舞われているが、ヨーロッパもそれを上回る熱波で、スウェーデン国内でも多数の森林火災が起きているという。地球の温暖化暴走のトリガーは落ちてしまったのか?
私がラップランドに行くようになったのは2007年のニュースがきっかけだった。その年は2月に北極圏で雨が降り、その後大地が凍ってトナカイが餌となるコケを食べられず数千頭が餓死するというものだった。今年も現地の報道を見ていると、雪の下の大地が凍っていて餌を食べらせないトナカイの被害が増えて、23地区のサーメビレッジから災害保険の申請が出されているというものだ。知り合いのトナカイ組合のボスに連絡した所、彼の地域は大丈夫という事だった。しかし昨年は夏から秋までとにかく雨が多かったそうだ。晩秋まで降り続いた雨で大地に水が浮いた状態で冬になったので雪の下が凍りついてしまったのかも知れない。いずれにしても気象変動の影響であろう。温暖化にまつわる気象変動は地球上のどこでも起こり、先ず極地で生きる生命が危機にさらされる。そして何千年もトナカイと暮らしてきたサーメの生活スタイルも変えてしまう。
http://nsd.se/nyheter/beteskris-for-renarna-i-norrbotten-nm4738188.aspx
2012年7月、ラップランドトレッキングに入る準備のため私はノルウェーの北極圏の都市Narvik(ナルビック)に2~3日滞在した。小さな町のバスターミナルや市庁舎広場にはかつて日本に投下された原爆のレプリカや広島から運ばれた石などが置かれ平和を訴えていた事が衝撃だった。2012年のブログでこの事に触れる事は無かったが、今日ようやくこの事を紹介する日がやって来た。今年のノーベル平和賞は国際NGOのICANが受賞した。オスロで行われた被爆者によるスピーチ。Narvik(ナルビック)は学校でも習ったように北極圏に有りながら冬でも凍らない港(不凍港)を持ち、良質の鉄鉱石を産出するスウェーデンのKiruna(キルナ)とは100㎞あまりの鉄道でつながり、第二次世界大戦時には多くの鉄鉱石がこの港より運ばれた。不凍港は軍事的には重要な拠点でもある。市内のあちらこちらに置かれた平和へのメッセージは核兵器廃絶への強い願いで有ると感じた。今日はニュースで被爆者のスピーチを聞きながら、この北の小さな町で出会ったこれらのモニュメントを前に、唯一の被爆国である日本人として恥ずかしい思いを抱いたことを思い出した。
スウェーデン最高峰の山頂部は氷河で覆われているが、毎年その標高が低くなっている。ちょうど10年前のお盆過ぎに初めてケブネカイセの頂上を目指した。その時は吹雪に阻まれ、翌年念願の登頂を果たした。その頃から年々低くなっている山頂の氷河はずいぶん痩せたイメージを受ける。ストックホルム大学では研究チームが2010年から8月下旬にGPSによる標高の計測を行っている。昨年は僅か30センチの差でその座をキープしたが、今年の計測はどうだったのか?今年は夏が涼しく昨年よりも1.4m高くなっていたらしい。でもいつか山頂の氷河は後退してしまうのだろう。
http://fokus.dn.se/kebnekaise/
ここ最近の標高の推移
2010: 2.102 m ö h
2011: 2.100 m ö h
2012: 2.102 m ö h
2013: 2.099 m ö h
2014: 2.097,5 m ö h
2015: 2.097,8 m ö h
2016: 2.097,1 m ö h
2017: 2.098,5 m ö h