TaizanのWhite Mountain

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日野山(越前市)795㍍

2020-05-05 | 越前の山々

過去の写真とレポートで綴る「越前の山々」シリーズ第4弾


越前市と南越前町に裾野を広げる日野山は、その美しい山容から万葉の昔より越前富士と形容されてきました。その秀麗な姿は、紫式部や松尾芭蕉にも歌われています。日野山を境に北には広大な福井平野が広がり、京から越前へ日野川沿いに下って来る旅人にとっては、旅の目印とされてきた事でしょう。また、越前市側から望む姿は美しく、登山道は中平吹、西谷、荒谷、宮谷、萱谷の山麓の各集落から拓かれていて、周辺地域のこの山に対する信仰心の篤い事がうかがえます。中でも、日野川と日野山裾野に挟まれた地域にある中平吹町は、日野神社を拠点として、多くの登山者で賑わっています。

そもそも、日野という地名は、古来から鉄の産地とされてきた呼び名で、全国の他の地域でも鉄鋼に関わるが産業が発展してきています。麓の集落には、平吹、鋳物師など鍛冶に関連した地名があり、越前打刃物の歴史を物語っています。また、五分市町では丈夫で長持ちすると評判の五分市釜が大変有名で、その鋳造技術は梵鐘などにも生かされてきたようです。この地域の鉄に関わる産業の始まりは継体天皇の時代に遡り、約700年前には京都から来た刀職人によって越前打刃物が成立し今日に至っています。

 

さて、中平吹町の日野神社からの登山道は最も人気のコースとなっていて、広い駐車場や案内看板も充実しています。登山道は、日野神社の左側から延びていてしばらくは沢沿いに進みます。登山道脇にはガクアジサイが一面に広がっています。現在の登山道から枝分かれするように、落ち葉に覆われた古道があります。どちらを辿っても距離はさほど変わらないようです。「焼餅岩」や「弁慶の三枚切り」と名付けられた奇岩を見ながら進むと、五合目にあたる標高450㍍の室堂に着きます。ここから登りは、だんだんきつくなり、「比丘尼ころがし」とよばれる岩の急坂が続きます。案内看板がには、この山が女人禁制であった時代に、この掟を破り山に踏み入った尼僧が、神の怒りに触れて転がり落ちたといった伝説が記されています。岩肌が露出した急坂は濡れていると滑りやすく、注意しなければなりません。山岳修験の対象となった山は、女人禁制とされてきた歴史がありますが、この掟を守るため、さまざまな伝説が残されています。例えば、白山の美濃禅定道では、泰澄大師の後を追って山に入った母親でさえ、石にされたという伝説が残る母御石があります。また加賀禅定道にも白山でお酒を売ろうと瓶を持ち込んだ老婆が瓶を割ってしまったといわ
れる「瓶割り坂」があります。いずれも、急坂難所にこれらの呼び名が付けられているので、注意して進まなければいけません。頂上からの展望は大変良く、北東方向には白山、南西方向には若狭湾の向こうに青葉山が望めます。驚く事に地図上で調べると、白山、日野山、青葉山は直線上に位置し、その他白山信仰の拠点であった大長山、法恩寺山も同じ直線上に鎮座しています。日野山は白山と青葉山のほぼ中央に位置する事が分かります。福井県全域をほぼ見渡せる大変眺望の優れた山で、鉄の産地として尊ばれて来た福井を代表する山の一つだといえます。

◆データ  日野神社駐車場(35分)焼餅岩(25分)室堂(30分)大比丘尼ころばし(30分)山頂(20分)大比丘尼ころばし(20分)室堂(20分)焼餅岩(25分)日野神社駐車場

◆越前打刃物 1337年京都栗田口刀工師、千代鶴国安が武生にやって来て刀剣の製作を始めた。やがて農機具(鎌)の製作を地元の伝授していったのがはじまり。


火燈山(803㍍)と小倉谷山(911㍍)

2020-04-26 | 越前の山々

過去の写真とレポートで綴る「越前の山々」シリーズ第3弾


坂井市からあわら市を通って、三国港付近で九頭竜川と合流する竹田川の源流部には、連なる県境の山々があります。中でもこの二つの山は、歴史的にも古くから拓かれていました。麓の丸岡町吉谷(竹田の奥)には吉谷寺跡が残り、不動滝と観音堂を中心に、白山信仰の修験場「吉谷一千坊」として栄えていました。また竹田から西方に榎峠を越えた丸岡町豊原には「豊原寺三千坊」があり、この一帯は勝山市の「平泉寺六千坊」に並んで白山信仰の大宗教都市だったと考えられています。

豊原寺や吉谷寺は、常に平泉寺の対抗勢力として鎬をけずって対立していたとも伝えられています。その証拠には、平泉寺から白山への越前禅定道は道中に十二宿ありますが、豊原禅定道では、これよりもはるかに長い道のりを僅か八宿で刻んでいます。

その第1宿が吉谷寺で、豊原には、より厳しい修行を極めようとする修験者が溢れていたのでしょう。竹田川の流れと広い農耕地があるこの一帯は平野部と隔絶された特別な地域だったのでしょう。さて、このような背景をもつ火燈山には、たいまつを掲げて登ったとか、豊原の修験者が山頂で護摩を焚いたなど、由来は諸説色々ありますが白山信仰に深く関わっていることには変わりないようです。

現在火燈山への登山口はこの吉谷寺の近くを通る林道を行きます。杉林に差し掛かるところに数台分のスペースがありここから歩く事にします。杉林の中を進むと登山口の標識が出てきます。九十九折れの山道を行くと、所々に往時を偲ぶ古道の雰囲気が漂っています。杉林の薄暗い中を程なくすると視界が開け、ヤマツツジの群生する通称「一本松」という見晴らしの良い場所に出ます。ここからもう一登りで日本海側の眺望の良い山頂に到着です。ここから更に奥の小倉谷山を目指します。一旦下って登り返しますが、この辺りは野鳥が近くへ寄って来てはさえずる、活気に満ちたブナの森が広がっています。

竹田ではこの小倉谷山のことを「伏拝」と呼んでいて、火燈山よりもはるかに眺望が開けています。豊原の修験者は、ここまで来て白山を遥拝したに違いありません。火燈山と小倉谷山の関係は、ちょうど越前禅定道の法恩寺山とその奥にある伏拝の関係とそっくりで面白いと感じました。

◆データ
駐車場(10分)登山口(50分)一本松(30分)火燈山(30分)小倉谷山
小倉谷山(25分)火燈山(15分)一本松(30分)登山口(10分)駐車場


平泉寺参道と法恩寺山

2020-04-15 | 越前の山々

過去に撮影した写真とレポートで綴る「越前の山々」シリーズ第2弾

山にも春が訪れ、長い冬から解き放たれた草木が生きいきと芽吹き始めました。今回は平泉寺から始まる越前禅定道の法恩寺山までを紹介します。先ず目に入ってくるのは大きな杉に囲まれた菩提林です。樹齢何百年かという杉の大木が道の両側に続く様子は歴史の深さを感じさせます。ここから平泉寺までの参道は、延々と敷き詰められた石畳が続きます。この石は、平泉寺全盛期当時六千坊と言われた僧兵たちが、九頭竜川から運んで敷いたものだと言われています。

そんな杉並木を見上げながら石畳道を歩くとタイムスリップした感覚になります。菩提林から続く杉並木は、更に境内にも広がっていて昼でも太陽を遮りしっとりとしています。一面に絨毯を引き詰めたような青苔は有名です。途中の参道脇には、白山の開祖泰澄大師が白山の神様からお告げを受けたとされている御手洗池(平泉)が有ります。奥州藤原氏は白山に対する信仰が篤く、多くの寄進をここ平泉寺に寄せて居ますが、奥州平泉の地名の元に成ったのがこの泉と言われています。

更に階段を登り詰めると拝殿が見えてきますが、一向一揆で焼失する前は、幅四十五間(約82㍍)有ったとされ当時としては日本でも破格の木造建造物だったとされています。その礎石が今も苔に覆われて残っています。また、周囲の石垣は、大阪城にしか見られないような大きな鏡岩が用いられていて、強大な勢力を誇った当時の威容が偲ばれます。参道は本殿の右脇から更に上の三ノ宮に続きます。ここからいよいよ登山コースです。ここからが、白山山頂へ続く「越前禅定道」の入口です。この登拝道は717年に泰澄大師が拓いたとされています。古道といわれる山道は、うねりながらも、とい状にしっかりと道形がついていて、階段が無い道が続きます。自分の歩幅で歩くことが出来て、落ち葉のクッションも良くちても気持ちよいです。千三百年の歴史を踏みしめ登ってゆくと間も無く、剣ノ宮に着きます。ここは第一の「宿」とされていています。白山山頂までにこの「宿」が十二箇所あり、礼拝や禊ぎの場所であったようです。登山道はさらに三頭山(778㍍)を経由して続きます。少し平坦な見通しの良い所に出てくると、ここが第二の宿「釈迦の原」と言われている所で、中ノ平避難小屋があります。山頂まではもう一登りです。荒島岳や六呂師高原、大野市から勝山市へと流れる九頭竜川の蛇行が雄大です。

最後の登りに取り掛かると山頂手前の小さな平地に祠があります。ここが第三の宿「法音教寺」です。法恩寺山の名はここから由来しています。山頂からは、白山連峰を正面に、加越国境の山々東側には、経ヶ岳を見ることが出来て、実に歴史の深さを感じる登山道です。

  • DATA
  • 平泉寺(1時間30分)三頭山(1時間)中の平(1時間10分)法恩寺山頂(1時間30分)三頭山(1時間))平泉寺

道元禅師の足跡を訪ねる 大佛寺山

2020-03-27 | 越前の山々

コロナ自粛で閉じこもりがちですが、こんな時は誰にも会わない地元のマイナーな山歩きを見直してみたいと思い、新しく「越前の山々」というカテゴリーを設け地元の山々の歴史を交えて紹介していきます。初回は我が家の正面に連なる上志比三山を縦走する「祖跡コース」です。

上志比周辺は白山信仰との関わりも深く、えちぜん鉄道小舟渡駅脇には白山権現伏拝という石柱が有り白山の遥拝所でした。一駅隣の越前竹原から山中に入ると吉峰寺が有り大本山永平寺まで11.1㎞「祖跡コース」の出発点です。

1248年越前にやって来た道元禅師はここに1年滞在し、禅の教えを説いた「正法眼蔵」の1/3を書き上げたそうです。その翌年には大佛寺山に傘松峰大佛寺を開きます。登山道は吉峰寺脇から尾根伝いに祝山(705m)に登ります。そこからは割と平坦になりアップダウンを繰り返しながら仙尾山(826m)~大佛寺山(807m)へと続きます。この間九頭竜川の流れと白山が圧倒的な存在感で眺望出来ます。

白山と縁起の深い道元禅師もまた、ここから白山を遥拝していた事でしょう。反対側には、九頭竜川流域と三国港方面の開放的な眺望を楽しむ事が出来ます。大佛寺山入口までは、森林基幹道大仏線が登山道と並走しているので、体力に自信の無い方は、ここまで車で来ることが出来ます。

大佛寺山山頂から約200m下ると僅かな平坦地が有り、石積や石仏が残されています。その直ぐ下には「御開山硯石水」がコンコンと湧き出ています。道元禅師はここに籠って残りの「正法眼蔵」を書き上げたそうです。その後にここを「吉祥山永平寺」と山号を改め第三世義介禅師の時に現在の場所にお寺を移したと推定されることが案内看板に記されています。

ここに、現在の永平寺の礎が築かれ修行の場と成った理由の一つは、白山の遥拝所として素晴らしい立地条件と何より生活に必要な湧き水が豊富だったからでしょう。この湧き水はざっくり800年前から湧き続けているのかと考えると壮大な時の流れを感じます。ここから山を下ること4キロで祖跡コースの終点大本山永平寺です。もう直ぐ若葉に包まれる季節です。体力に自信のある方は越前竹原駅からスタートして大本山永平寺までの縦走にチャレンジしてはいかがでしょう。林道も並走しているので上志比三山の山頂部だけ楽しむ方法も有ります。

【参考コースタイム】

山門入口(20分)吉峰寺(120分)祝山(45分)仙尾山(45分)大佛寺山(10分)大佛寺跡(40分)ダム湖畔口(80分)大本山永平寺