過去の写真とレポートで綴る「越前の山々」シリーズ第4弾
越前市と南越前町に裾野を広げる日野山は、その美しい山容から万葉の昔より越前富士と形容されてきました。その秀麗な姿は、紫式部や松尾芭蕉にも歌われています。日野山を境に北には広大な福井平野が広がり、京から越前へ日野川沿いに下って来る旅人にとっては、旅の目印とされてきた事でしょう。また、越前市側から望む姿は美しく、登山道は中平吹、西谷、荒谷、宮谷、萱谷の山麓の各集落から拓かれていて、周辺地域のこの山に対する信仰心の篤い事がうかがえます。中でも、日野川と日野山裾野に挟まれた地域にある中平吹町は、日野神社を拠点として、多くの登山者で賑わっています。
そもそも、日野という地名は、古来から鉄の産地とされてきた呼び名で、全国の他の地域でも鉄鋼に関わるが産業が発展してきています。麓の集落には、平吹、鋳物師など鍛冶に関連した地名があり、越前打刃物の歴史を物語っています。また、五分市町では丈夫で長持ちすると評判の五分市釜が大変有名で、その鋳造技術は梵鐘などにも生かされてきたようです。この地域の鉄に関わる産業の始まりは継体天皇の時代に遡り、約700年前には京都から来た刀職人によって越前打刃物が成立し今日に至っています。
さて、中平吹町の日野神社からの登山道は最も人気のコースとなっていて、広い駐車場や案内看板も充実しています。登山道は、日野神社の左側から延びていてしばらくは沢沿いに進みます。登山道脇にはガクアジサイが一面に広がっています。現在の登山道から枝分かれするように、落ち葉に覆われた古道があります。どちらを辿っても距離はさほど変わらないようです。「焼餅岩」や「弁慶の三枚切り」と名付けられた奇岩を見ながら進むと、五合目にあたる標高450㍍の室堂に着きます。ここから登りは、だんだんきつくなり、「比丘尼ころがし」とよばれる岩の急坂が続きます。案内看板がには、この山が女人禁制であった時代に、この掟を破り山に踏み入った尼僧が、神の怒りに触れて転がり落ちたといった伝説が記されています。岩肌が露出した急坂は濡れていると滑りやすく、注意しなければなりません。山岳修験の対象となった山は、女人禁制とされてきた歴史がありますが、この掟を守るため、さまざまな伝説が残されています。例えば、白山の美濃禅定道では、泰澄大師の後を追って山に入った母親でさえ、石にされたという伝説が残る母御石があります。また加賀禅定道にも白山でお酒を売ろうと瓶を持ち込んだ老婆が瓶を割ってしまったといわ
れる「瓶割り坂」があります。いずれも、急坂難所にこれらの呼び名が付けられているので、注意して進まなければいけません。頂上からの展望は大変良く、北東方向には白山、南西方向には若狭湾の向こうに青葉山が望めます。驚く事に地図上で調べると、白山、日野山、青葉山は直線上に位置し、その他白山信仰の拠点であった大長山、法恩寺山も同じ直線上に鎮座しています。日野山は白山と青葉山のほぼ中央に位置する事が分かります。福井県全域をほぼ見渡せる大変眺望の優れた山で、鉄の産地として尊ばれて来た福井を代表する山の一つだといえます。
◆データ 日野神社駐車場(35分)焼餅岩(25分)室堂(30分)大比丘尼ころばし(30分)山頂(20分)大比丘尼ころばし(20分)室堂(20分)焼餅岩(25分)日野神社駐車場
◆越前打刃物 1337年京都栗田口刀工師、千代鶴国安が武生にやって来て刀剣の製作を始めた。やがて農機具(鎌)の製作を地元の伝授していったのがはじまり。