「天動説」は「地球を中心に宇宙が動いている。」と云う説で、「科学らしきモノ」が発達する以前は、「説」としてでは無く「自然」として受け入れられたと思います。どう考えても「地球の周りを天が回っている」としか見えないからです。
6世紀頃になると「太陽を中心とした地動説」がインドで考えられましたが、西洋では11世紀頃から宗教的要請もあって「天動説」が主流になりました。
16~17世紀になると科学的に「地動説」が証明されましたが、宗教の力の方が強く「科学的地動説」は否定され、今でも「宗教的天動説」を信じている人もいます。
現在は「科学的地動説」が主流で、「天動説」を信じている人は殆どいなくなりましたが、現実の宇宙は「総ての物質」と「総ての場」が動いていて「中心は無い」と思われるので「全天動説」と言うべきだと思います。
将来は、「統一場理論」が証明(解明)され、宇宙空間の任意の一点を「中心点」にする事が可能になり、宇宙全体の「統一状態式」により「総ての点」が動く「点動説」が定説になると思います。その時には「地動説」も「天動説」も間違いではなく、「一般点動説」に内包される「特殊点動説」の一説である事が証明されると思います。
勿論、「点」には大きさは無く、と言うよりも「半径0mの素粒子」と言うべきかもしれませんが、「場」や「物質」は大きさの無い「素粒子の集合体」なので、宇宙の本源的成分は「波動(場の歪み、或いは弦)」であり、「時間」が無ければ「波動」は存在せず、最終的には「時動説」に行き着くと思います。
現世は「モノの世界」、来世は「ヒカリの世界」、浄土は「トキの世界」と、「悟り」を証明することが「科学」の役割とも言えます。
『神と不死がなかったら、文明もありません』。つまり、「文明が、神と不死を必要としている。」と云う事ですね。
中国は、神を不要としているので取り敢えずは「文明国」では無い事が証明されていますが、秦の始皇帝は「不老不死の薬」を探し、中国共産党は「臓器移植」の先進国?で不老不死の最先端を走っています。
若しかしたら、中国は「臓器移植」で「不死を必要とする文明国」の仲間入りを狙っているのかも知れません
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』にはこんな問答が出てきます。酔いどれのフョードル親父が息子イワンに問いかけるのです。
フョードル『神があるかないか、不死があるかないか、イワン答えよ』
イワン『神も不死もありません』
フョードル『ないとしたら、どうしてそのような虚偽が存在するのか』
イワン『神と不死がなかったら、文明もありません』