25年前、阪神淡路大震災がきっかけで音楽ボランティア活動を始めた。
御影公会堂の側にあった炊き出し所が最初だった。
被災した人たちに、声をかけるのも躊躇う状況で、歌など歌って役に立つのだろうか、と自問自答しながら結局、楽器を取り出すまで数時間必要だったボクはその後、10年間、神戸に通い、また東京などで語り部をさせてもらった。
被災地の歌を作り、ボランティアの歌を歌い、希望の灯り点灯式でもお誘いをいただき歌わせてもらった。東遊園地の慰霊祭でも。
避難所から仮設住宅へと場所は移り、引き離されたコミュニティの狭間で自死を選んだ人もいた。哀しい別れをまた経験した。
音楽が持つチカラを知り、歌う事の怖さも知った。被災地で学んだ事の多さ、またその尊さが、半端なく貴重な経験になった。
日常の音すらしない道端の炊き出し所で歌い、水の出ない水洗トイレに溜まったままの他人の糞尿を素手ですくってビニール袋に移したこともあった。鼻が曲がりそうなほどの刺激臭で目も開けていられなかった。
出会いも別れもたくさん経験した。
今日という日は、亡くなった方々の哀悼と、ボクにとっては、後世に伝えるべき事柄を正しく忘れずにいるか、再確認をする日。
今なお、多くの誤った情報がまかり通っている事に疑念を抱きながら、ボクはボクの出来るカタチで伝えるべき事を伝えていこうと改めて思います。
改めて、亡くなられた皆様に黙祷と祈りを捧げます。