今なお、ポールが「一番大切な思い出の場所」と公言する「カスバコーヒークラブ」を訪れ、初期のビートルズの足跡に触れてきました(^-^)
「カスバコーヒークラブ」は、リンゴ・スターが正式にドラマーとなる前のビートルズのドラマーだった「ピートベスト」の母親「モナ・ベスト」が、1959年8月29日にリバプール郊外に開業した、会員制のコーヒークラブ。
中に入ってボクは心から感動しました。
そこには1959年当時のジョン、ポール、シンシアの描いた壁画が、そのまま残っていました。
「カスバコーヒークラブ」開業当時、まだビートルズではなく、「The Quarrymen」だったポールとジョンが、オープニングパーティーのバンドになりたくてなりたくて、せっせと内装を手伝ってモナに気に入られ、オープニングバンドの座を手に入れたのです。
近視だったジョンが塗料の種類を間違えて、速乾性ではない塗料でペイントしたので、しばらく臭いがこもった等、店内にはエピソードがいっぱい!!
一部の壁には当時のポスターや写真が飾られていましたが、ジョンやポールの手による部分は殆ど維持されており、感慨ひとしおでした。
ジョンの最初の妻となるシンシア・パウエルも、ジョンやポールをせっせと手伝っていたそうです。
若き日のジョンとポール、ジョージが「The Quarrymen」として演奏した場所。ドラマーはいなかった頃です。
ボクが立っている場所で、ジョンがギターを弾いています。
そしてその天井のペイントはポールの手によるもの。
オープニングパーティーのバンドになり、いい感じでウケた彼らを気に入って、モナから週末の夜のレギュラーの座を与えられました。
やがて、彼らを一目見たいファンが増え始め、手狭なこの「ステージ」から一回り広いすぐ隣の部屋にステージを移しました。
それがこの有名なクモの巣の壁画の部屋でした。
この部屋の天井に空いている穴は、当時、リヴァプールでトップクラスのバンドとされていた「ロリーストーム・アンド・ザ・ハリケーンズ」の派手なジャンプパフォーマンスで開けてしまったものだそうです(^-^;
そう、ここ「カスバコーヒークラブ」は、当時、様々なバンドが出演した場所でもあるのです。
さらに奥の部屋へ。カウンターだった部屋で、天井のペイントも彼らの手によるもの。星がモチーフになっています。
当時ジョンのそばにはいつも、シンシアの姿があったそうで、その視線の先にはもちろんジョンの姿が。そんな彼女の想いが詰まった壁画がこの部屋にあります。
左の写真のジョンのシルエットを模して描かれています。
献身的にジョンを支えていたシンシア。それ程までも愛していた、という想いが詰まった壁画に触れ、心が震えました。
ジョン、ポール、そしてジョージは、後にモナの息子「ピート」と共にハンブルク遠征に行く事になります。
ハンブルグ公演は、ジョージの年齢詐称、ポールとピートのボヤ騒ぎによる強制送還などで、ジョンの描いたものとは大きく違い、傷心で戻ったジョンが再びここを訪れ、残したメッセージも壁と天井にナイフで刻まれていました。
記録では「The Quarrymen」として1959年に7回、後にビートルズとして37回、出演したそうです。
レプリカではないだけに何もかもがリアルなんです。
ここで若き日のジョン、ポール、ジョージが歌い、演奏し、夢を語り、やがて現実のものにした、始まりの場所の1つ。
ジョン18歳、ポール17歳、ジョージ16歳の頃の話です。
ジョンとポールの初めての出会いの場、ウールトンのセント・ピーターズ教会にも値する、聖地と言えるでしょうね(^-^)b
つづく(笑)。
「カスバコーヒークラブ」は、リンゴ・スターが正式にドラマーとなる前のビートルズのドラマーだった「ピートベスト」の母親「モナ・ベスト」が、1959年8月29日にリバプール郊外に開業した、会員制のコーヒークラブ。
中に入ってボクは心から感動しました。
そこには1959年当時のジョン、ポール、シンシアの描いた壁画が、そのまま残っていました。
「カスバコーヒークラブ」開業当時、まだビートルズではなく、「The Quarrymen」だったポールとジョンが、オープニングパーティーのバンドになりたくてなりたくて、せっせと内装を手伝ってモナに気に入られ、オープニングバンドの座を手に入れたのです。
近視だったジョンが塗料の種類を間違えて、速乾性ではない塗料でペイントしたので、しばらく臭いがこもった等、店内にはエピソードがいっぱい!!
一部の壁には当時のポスターや写真が飾られていましたが、ジョンやポールの手による部分は殆ど維持されており、感慨ひとしおでした。
ジョンの最初の妻となるシンシア・パウエルも、ジョンやポールをせっせと手伝っていたそうです。
若き日のジョンとポール、ジョージが「The Quarrymen」として演奏した場所。ドラマーはいなかった頃です。
ボクが立っている場所で、ジョンがギターを弾いています。
そしてその天井のペイントはポールの手によるもの。
オープニングパーティーのバンドになり、いい感じでウケた彼らを気に入って、モナから週末の夜のレギュラーの座を与えられました。
やがて、彼らを一目見たいファンが増え始め、手狭なこの「ステージ」から一回り広いすぐ隣の部屋にステージを移しました。
それがこの有名なクモの巣の壁画の部屋でした。
この部屋の天井に空いている穴は、当時、リヴァプールでトップクラスのバンドとされていた「ロリーストーム・アンド・ザ・ハリケーンズ」の派手なジャンプパフォーマンスで開けてしまったものだそうです(^-^;
そう、ここ「カスバコーヒークラブ」は、当時、様々なバンドが出演した場所でもあるのです。
さらに奥の部屋へ。カウンターだった部屋で、天井のペイントも彼らの手によるもの。星がモチーフになっています。
当時ジョンのそばにはいつも、シンシアの姿があったそうで、その視線の先にはもちろんジョンの姿が。そんな彼女の想いが詰まった壁画がこの部屋にあります。
左の写真のジョンのシルエットを模して描かれています。
献身的にジョンを支えていたシンシア。それ程までも愛していた、という想いが詰まった壁画に触れ、心が震えました。
ジョン、ポール、そしてジョージは、後にモナの息子「ピート」と共にハンブルク遠征に行く事になります。
ハンブルグ公演は、ジョージの年齢詐称、ポールとピートのボヤ騒ぎによる強制送還などで、ジョンの描いたものとは大きく違い、傷心で戻ったジョンが再びここを訪れ、残したメッセージも壁と天井にナイフで刻まれていました。
記録では「The Quarrymen」として1959年に7回、後にビートルズとして37回、出演したそうです。
レプリカではないだけに何もかもがリアルなんです。
ここで若き日のジョン、ポール、ジョージが歌い、演奏し、夢を語り、やがて現実のものにした、始まりの場所の1つ。
ジョン18歳、ポール17歳、ジョージ16歳の頃の話です。
ジョンとポールの初めての出会いの場、ウールトンのセント・ピーターズ教会にも値する、聖地と言えるでしょうね(^-^)b
つづく(笑)。
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