おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「断言できなくでもいい、断言しないからいい、断言できなくてアタリマエ」-ある先生の助言から-

2023-09-14 06:44:05 | 日記
「断言できなくていい、

断言しないからいい、

そして

断言できなくてアタリマエ、

文学であれ哲学であれ、世の中の事象であれ、

そんなことばかりだ。」

この助言に、最近、私は、本当に救われた思いがした。

(実際はこのあと
「断言しろなんて言っているやつらの方が解っていない。
断言なんて出来ていたらこの世の中はノーベル賞だらけだ。」
などと、続くのだが……。)

なぜなら、久々に、M・フーコーの
「狂気の歴史」(と「監獄の誕生」)
について
描こうとしていたとき、途中で

手が止まった、止まっていた、そんな状態が長く続いた。

「解っていない。」

「1から1行1行読み直してもどうだか。」

などと、
批難された場面や言葉だけがよぎる→描く手が止まり、考えこむ→自信をなくして→
そんなことが長く続いていた。

思い切ってそのことと、これまでのM・フーコーの「狂気の歴史」との付き合いを相談したとき、冒頭の

「断言できなくていい、

断言しないからいい、

そして

断言できなくてアタリマエ、

文学であれ哲学であれ、世の中の事象であれ、

そんなことばかりだ。」

ということばをかけていただいたときは、
本当に救われた思いがしたし、前向きになれた。

ことばのみならず、
出来たことだけを語るひと(das Man・世人)たちが多い中で、出来なかったことを語りながら、執筆意欲に燃えていらっしゃった先生の姿勢に感動したことも、前向きになれた要因のひとつだ、と思う。

やはりまた頑張れるんだ。
と、決意を新たにしたここ数日(間)である。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
気温はまだですが、日の出日の入りだけは秋らしくなってきました。
今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。