大岡昇平は、敗残兵がフィリピンの荒野を彷徨し、「人肉喰い」の場面に直面する小説『野火』のなかで、小さな村の会堂に「十字架」を発見したときのことについて、
「しかし私はその十字架から目を離すことが出来なかった」
と書いた上で、
「十字架は私に馴染みのない者ではなかった。
私は生まれた時、日本の津々浦々は既にこの異国の宗教の象徴を持っていた。
私はまず好奇心からそれに近づき、次いでそのロマンチックな教義に心酔したが、その後私の積んだ教養はどんな宗教も否定するものであり、私の青年期は『方法』によって、その少年期の迷蒙を排除することに費やされた」
と書いている。
ここに書かれていることやその前後が、何を私たちに示そうとし、また教えてくれようとしているのか、今回は、考えてみたいと思う。
大岡昇平の小説は、『俘虜記』や『野火』といった徹底して考える小説であるのだが、その考える対象は、「小林秀雄的なもの」であったように見える。
大岡昇平は、素朴実在論的な大岡洋吉の下を離れ、認識批判を武器に、あらゆる形而上学の批判を目指していた小林秀雄の下に行ったことがあるのだが、実は、大岡はこの転換を突き詰めて考えたわけではなかったようである。
大岡がこの問題に、本当に直面したのは、フィリピンの戦場においてであったようなのだ。
戦争という極限の体験によって、大岡昇平は、「小林秀雄的なもの」、つまり「批評」に本当に直面したのであろう。
その時に、大岡昇平の前に現れたのは、小林秀雄と出会う以前の大岡昇平の姿であったのではないだろうか。
大岡昇平は、冒頭に挙げた文章にも書かれているようにキリスト教を信仰していた時期があるのだが、小林秀雄を知って以降、それが変わりはじめたのである。
「私の青年期は、『方法』によって、その少年時代の迷蒙を排除することに費やされた」
とあるのは、大岡昇平のなかの小林秀雄体験を指していると解釈すると、大岡昇平は、小林秀雄を知ることによって、大岡洋吉を捨て、キリスト教を捨てた事実とは、符合する。
また、これは徹底した実体論の批判であり、宗教批判であった。
大岡洋吉とキリスト教は、必ずしも共通しているわけではないが、大岡昇平の中にあっては、「小林秀雄的なもの」に対立するものとして、共通な価値を持っているだろう。
いわば、冒頭に挙げた文章のなかの「十字架」は、「小林秀雄的なもの」に対するものの象徴だといってよいのではないだろうか。
しかし、既に批判しつくし、捨ててしまったはずの「十字架」から、なぜ、目を離すことができなかった、のであろうか。
大岡昇平は、ここで小林秀雄的な批評の本質に、観念的にではなく、現実的、具体的な次元で直面したのではないだろうか。
そして、大岡昇平は『野火』のなかで、
「少年期の思想が果たして迷蒙であったかどうか、改めて反省してみた」
と書いているのである。
もしそれが、すべて未熟な感覚の混乱の結果に過ぎなかったとすれば、今更、戦場のなかで、少年期の迷蒙に心を動かされることはないはずであろう。
しかし、遠くに見える「十字架」から、眼を離すことが出来ないという現実は、否定することが出来ないという現実は、否定することが出来ない。
もしこの現実が夢でも、虚偽でもないとすれば、「十字架」を否定し、捨てさせた「小林秀雄的なもの」こそ誤謬ではないのか。
......。
大岡昇平は、続けて
「もしこの感情が人生に何の根拠も持たないならば、私がそれを感ずるはずがない。
そういう感情を無視した、或いは避けて通った私のこれまでの生活は、必ずしも条理に反したものではなかったが、もしこの感情に少しでも根拠があるのならば、以来私のこれまでの生活は、長い誤謬の連続にすぎない。
私はこの点に関し、かつては決定的に考えたことがなかったのに気がついた」
と書いている。
やはり、大岡昇平の小説は『野火』であれ、『俘虜記』であれ、徹底して考える小説であるのだが、その考える対象は「小林秀雄的なもの」、つまり「批評」であったように見える。
大岡昇平は、戦場という極限の状況のなかで、批評を具体的に検証し、その本質を解明し続けたのではないだろうか。
小林秀雄と大岡昇平との間のあいだの微妙な差異は、ふたりのベルクソンに対する態度にも表れているように思う。
小林秀雄が、ベルクソン哲学を全面的に受け入れ、それを思考の原点に据えているのに対し、大岡昇平は、ベルクソン哲学に多大な関心を示しながらも、それを全面的に受け入れているわけではない。
むしろ、大岡昇平は、最終的には、ベルクソン哲学と根本的に対立している。
喩えば、『野火』のなかには、
「事実を想い出す代わりに、私はこういう想起の困難もまた初めての経験ではないこと、近代の心理学で『贋の追想』と呼ばれている、平凡の場合にすぎないのを思い出した。
既知感だけあって、決して想起できないのをその特徴としているが、それは、事実既知のものではないからである。
ベルクソンによれば、これら絶えず現在を記憶の中へ追い込みながら進む生命が、疲労或いは虚脱によって、不意に前進を止める時、記憶だけ自動的に意識より先に出るために起こる現象である。
この発見はこの時私にとってあまり愉快ではなかった。
私はかねてベルクソンの明快な哲学に反感を持っていた」
という一説があるほどである。
このベルクソンの「贋の追想」については、小林秀雄もベルクソン論である『感想』(→前回、前々回で触れています)のなかで、詳しく論じている。
しかし、小林のなかには、ベルクソンに対する反感はほとんどない。
小林は、ベルクソンの主張を全面的に受け入れ、しかもそれを自分自身の思想として血肉とし、その批評の原理としている。
もちろん、大岡昇平もまた、長い間、ベルクソン哲学の影響下にあった。
大岡昇平が、ベルクソンの明快な哲学に反感を持っていたというのは、いいかえれば、小林秀雄に対して反感を持っていたということである。
さて、大岡昇平が『野火』のなかで、ベルクソンに言及したのは、「十字架」を通じて、少年期のキリスト教体験を想起する場面のすぐ後なのである。
大岡昇平は、ベルクソン哲学の記憶理論に拠れば、大岡が、戦場で想起した少年期の感情も、「贋の追想」のひとつになってしまうことを知っていた。
もし、戦場での想起を肯定するのであれば、まず、ベルクソンの記憶理論を否定しておかなければならないのである。
それが、突然、大岡昇平がベルクソンを持ち出した根本理由であろう。
さらに、大岡昇平がベルクソンの背景に、小林秀雄の存在を想い描いていたとしても不思議ではない。
事実、大岡昇平は、小林秀雄が、ベルクソン論である『感想』を連載すると、すぐに、「小林秀雄の世代」と題する、小林秀雄のベルクソン論である「感想」に対する論考を発表している。
大岡昇平にとって、ベルクソンを論破することは、「小林秀雄的なもの」を論破することだったのかもしれない。
ベルクソンのいう「贋の追想」とは、今まで経験したこともないことが、記憶としてよみがえる、というものである。
大岡昇平は、
「ベルクソンによると、それは、絶えず現在を記憶の中へ追い込みながら進む生命が、疲労、或いは虚脱によって、不意に前進を止める時、記憶だけ自動的に意識より先に出るために起こる現象である」
と述べ、このベルクソンの考え方に反対するのである。
大岡にとって、もし、ベルクソンの記憶理論を受け入れるならば、大岡が、いま、戦場で、敗残兵として、思考する内容は、すべて、疲労と虚脱による幻想ということになってしまうからである。
だからこそ、大岡昇平は、現在の感覚の内部にその原因を探したのである。
つまり、今、そこに生きているという現実の肯定から、この問題を解釈したのだ。
その結果、大岡昇平が得た結論は、
「未来に『繰り返す』希望のない状態におかれた」とき、いま、行っていることを、もう1度行いたいという繰り返しへの願望が、生命のなかに生まれるからではないか、と考え、また、このように考えることは、大岡昇平自身にとって「今を『生きている』ことを肯定する」ことであったのではないだろうか。
言い換えるならば、大岡昇平が、いま、戦場で考えていることは、疲労と虚脱による異常な思考ではない、ということである。
大岡昇平がフィリピン・ミンダナオ島へ出征した事実は、小林秀雄に衝撃を与えただろう。
戦後、フィリピンの俘虜収容所から復員してきた大岡昇平を喜んで迎えてくれたのは、他でもない小林秀雄であった。
そして、大岡昇平に「従軍記」の執筆をすすめたのもまた小林秀雄であったのである。
大岡昇平は、小林秀雄のすすめに従って『俘虜記』の第1章にあたる「捉まるまで」を書いた。
そこで、批評家大岡昇平は、作家大岡昇平としても再誕するのであるが、小林秀雄は、大岡昇平に「従軍記」の執筆をすすめたとき、
「とにかくお前さんには何かある。
みんなお前さんを見棄ててるが、お前さんのそのどす黒いような、黄色い顔色はなんかだよ」
と言っている。
私には、小林秀雄が、ベルクソン論である「感想」のなかで、ベルクソンのことばで、
「君たちには何もわかっていない」
と言うとき、その傍らに、亀の子のように、黙々と、資料の収集に歩き回り、思索を続ける大岡昇平の姿が見えてくるように思うときがある。
「わかる」とか「わからない」というような、批判的言説に絶望した大岡昇平という作家の作業は、小林秀雄を神格化すると同時に、脱神話化しているようにも見える。
その問題は、やはり、小林秀雄のベルクソン論である「感想」のテーマと複雑に絡み合っているのではないだろうか。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今日から、また、日記を定期更新する予定です😊
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今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。