おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「かんしゃく(癇癪)」の「く」の字を取りたい私かな。-素直に「かんしゃ(感謝)」したいなあ。

2023-12-01 08:27:00 | 日記
モハメド・アリは、
「勝つか負けるかの戦いは観客から遠いところで行われている。
このライトの下で戦うずっと前に、ジムのなかで、外の道路の上で、すでに行われてきたんだ
。」
と述べた。

モハメド・アリに倣っていえば、目にみえるものの背後に、重要なことがたくさん在るのであるから、何を起点として、今あるリソース(≒資源)を計画的に使うか考え、目的に沿った目標を設定しなければならない、となる。

例えば、42.195kmを、ゴールだけを目指して走れ、と言われても困るが、42.195kmという対象を分割し、給水ポイントという目標を繋いでゆくのであれば、果てしないと思わずに走ることも出来る。

もし、目標を設定せず、「あと残り何kmだ」というように、引き算をしながら走っていたならば、その引き算をした途方もない距離の長さを考えてしまい、とてもつらく、最後まで走れない自信しか、私にはない。

目標が近くて明確であれば、行動が規定しやすくなる。一生懸命そこまで辿り着こうという気持になる。短期の目標は必ず設定すべきだ、と、私自身の長い向精神薬の断薬とその後遺症と闘っている私の経験から言える。

そして、重要な点は、短期の目標をいかに設定すれば良いかということであるが、私の場合は相手は所詮、病気とその周囲と後遺症で在ると割り切って、具体的な問題を分析し、実行可能なように手段を具体化しなければ、と考えて、頑張った(頑張っている)ことだけは、わかっているつもりだ。

ひとつのことに的を絞るのも良いが、総合的な取り組みも大事だ、と、いうことを、ハルフダン・マーラーの行動は教えてくれる。
1950年代にデンマークの医師であるハルフダン・マーラーは、WHO(世界保健機関)に結核の根絶法を提唱した。

周囲も納得する、素晴らしいアイデアのように見えたその方法は、実際は機能しなかった。

マーラーは、インド全土を結核根絶の調査対象とし、レントゲン機を備え付けたバスでインドの農村から回り、剰え、国民全体を調査し、すべての結核患者に治療を受けさせることにより、インド全土で結核を撲滅させようとした。

マーラーの視界には、下痢で水分補給が必要なひとも、出産の手助けが必要な妊婦も、骨折を痛がる子どもをも捉えておらず、助けず、結核のサンプル集めに奔走していた。

マーラーは、視野狭窄になってしまっており、当然の結句として、その態度は現地の人々を怒らせてしまったのである。

当然ながら調査は失敗に終わる。

しかし、もっと大きな視点で捉えれば、しっかりとした浄水施設や、妊婦のための病院への交通手段の整備や、さらなる看護師のスキルアップはなされていなかった事実を直視するきっかけにもなる調査だったはずである。

振り返ると哀しいが糧になることに対して、ちゃんと向き合おう、と、思った。

ここまで読んでくださりありがとうございます。
不定期更新前期間なので、シリーズ化せずに描いてみています。
このブログを「きちん」とはじめることが出来てから、年末で「約」半年になります。
読んでくださる皆さまに、改めて、感謝申し上げます。
拙い文章を、でも、その成長過程をもみてくださりありがとうございます。
皆さまのブログに学ぶことばかりです。
これからも、どうぞ、よろしくお願い致します。


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