杉山登志さんの
「“リッチでないのにリッチな世界など分かりません。
ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません。
夢がないのに 夢を売ることなどは…とても…
嘘をついてもばれるものです”」
という遺書は、
私を、実学チックな商学部(経済コース、人混みが怖くなり図書館に篭もり、睡眠薬で睡眠をコントロールしながら、映画に溺れ、付き合いが怖くなりゼミではなく、プロゼミの数学研究でお世話になった)から、
思い切って、美術に転化するきっかけになった。
杉山登志さんのCMである「図書館」に、今でも、ぞっ、と、している。
円谷幸吉さんの食べ物を綴った、遺書には、人間としての温かさを感じている。
精神的な悩みを吐露しながら、惜しまれつつ亡くなった、南条あやさんの「ネット」の日記が、「ネット葬」のはじまりだと、後で知り、修論を手がけ始めるころから、障がい者の作業所&障がい者スポーツにかかわるようになった。
私自身、向精神薬その他もろもろで、最終的には、1日50錠の向精神薬+液体の神経刺激薬を飲みながら、38.5㎏の私の平均体重から処方箋に頼り、その結果異形に20㎏太ってしまい(→お腹が出てしまい、以前の服では中央線で妊婦と間違われ、席を譲られることしばしば)親には「だらしないからこうなった」と言われ、副作用とわからないながら、体重を支えきれず、脚を引きずって、通った、そして心ない嘲りに耐えた記憶しか、大学院にはない。
アイコンにしているのはギリギリ太る前の大学の卒業式のときにインスタントカメラに残った写真であり、鈴木宗男さんと佐藤優さんと写っている写真は、少しずつ断薬と減薬をくりかえして、ある大学の博士課程やその他に悩み、少しづつ向精神薬の後遺症で増えた体重を減らしながら衆議院第二開館で撮影してもらった写真である。
想いを出すと感慨深い。
元のとおりとは、いわないが、戻ってきている。
時間はかかったが......。
空費ともいう時間の流れのなかで、私の周りの景色は様変わりした。
そんなとき黒澤明ショートコンペティションのなかの『epitome』人生の縮図を大学時代に観たことを想い起こす。
サイコロが6面であることを巧くつかい、仏教性を持たせたことが趣深かったことが、1番の記憶である。
さらに、他人の目線にも、自分の目線にも負けたことのある私は、いつか自らの感じていることをブログに綴らせていただこうと思うようになった。
変なところ、不器用な文章、偏った視点かもしれない。
ただ、描いてみたい、と、いう理由で描いてみた。
皆さまにこんな声を読んでいただけて、うれしく思っている。
ブログを描いて、年末で半年になる。
毎日、学びと感謝、ついでに自分の成長を感じながら、前を向いている、つもり、である。
木村敏先生は修論でお世話になりました。
木村元先生のユニークな本にも、敏先生がお父様と知らずに、惹かれていました。
木村元先生のユニークな本にも、敏先生がお父様と知らずに、惹かれていました。
さすが親子。
杉山登志という名前 ・・・
少し驚きました。
2022年11月1日の私のブログに、彼のことを書いています。
よかったら覗いてみてください。
コメントありがとうございます。
JFKさんの11月のブログに返信させていただきました。
いつも楽しく拝読させていただいております。
ありがとうございます。