これまでも政治の世界でものを言うのは巨額の金だったし、今後もそれは変わらないであろう。
不正はいったんはじまると欲深さと危険性を自動的に増してしまうもののように私の目には映る。
裕福な者が、そうでない者を犠牲にしてますます豊かになっているのは、自分の富を利用してますます豊かになっているのは、自分の富を利用して政治家を買収し、その政治家がその裕福な者たちをさらに裕福にする法律をやみくもに通過させてしまうことが一因として在るのである。
......今、ここで私は「最近」の「日本」の話を嘆いているだけでなく、このような特権のある者にさらに利益を図ることが、「古代」の「ギリシャ、ローマ、メソポタミア、ペルシャ、インド、中国」でも行われていたように、とにかく、時代や場所を問わず、世界のいたる所で見られていた、ということを言いたいのである。
しかし、テクノロジーと税務政策が合体したことによって、現在のアメリカは富の格差が世界で最も大きく、世界の歴史を通じても、その格差は極めて大きい部類に入るまでになった。
裕福でないが誠実な候補者が名乗りをあげても、組織的に不公平な壁にいつまでも立ちはだかられるのは、アメリカだけではないが、大統領選挙の候補ともなると、巨額の金とある意味ルールを無視した政治的操作のため、候補が絞られいくことは、哀しいが、ある意味当然かもしれない。
また、さまざまな心理学的研究によると、右派の有権者が自民族中心主義に傾き、指導者に追随する傾向がある一方、左派の有権者は個人主義的であることが多く、他者と群れることが苦手であることがわかっている。
歴史上では、少数の右派政党が独裁的な権力を獲得し、敵対する多数の左派政党が生み出した政治的空白を埋めた例が多くみられる。
例えば、イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、スペインのフランコ、チリのピノチェトがそうである。
3400年前のトゥキュディデスの時代から、歴史学者のあいだでは、
「優れた指導者が歴史を作るのか、あるいは歴史が優れた指導者を作るのか」
という議論が続いている。
指導者が偉大に見えるのは単に彼らが、地理、人口、気候、社会、他(国)との関係がもたらす計り知れない力の波に乗っているからなのか、それとも彼らが歴史を動かす自立した力を発揮できているからなのか。
私たちは、他国のこととはいえ、(アメリカに影響されやすい同盟国の国民の立場から)、トランプという、ある意味歴史の転換点のような人間を体験することで、めったにみられない場面に立ち会い続けているともいえる。
確かに、極めて賢明で先見の明がある指導者でも、深刻な内外の問題、資金豊富な政治的反対勢力、人間の心にもともと備わっている欠陥、ますます壊れやすくなる地球環境に直面すると、誰であれ、失敗は避けられないであろう。
私は、オバマは賢明であり、先見の明があった、と思う。
しかし、なぜ、オバマから大統領を引き継ぐ者に、トランプが望まれたのだろうか、ということについても、少し考えてみたいとも思う。
オバマは、アメリカ国民の多くに、いつものことながら「変革をもたらす大統領」になると期待されていた。
選挙運動の中でオバマが用いた「Audacity of Hope(大いなる希望)」や「Yes,We Can(私たちは出来る)」というキャッチフレーズはルーズベルトの精神を取り入れたものであり、そこにもアメリカ国民は「ルーズベルトの再来」すら期待をしたであろう
また、アフリカ系アメリカ人が大統領に選任されたことも、リンカーンの時代以降、人種問題が前進していることを示す心強い証拠であった。
さらにオバマは、ブッシュから、急激な経済の落ち込みと勝つことが出来ない二つの戦争という、悪い、というよりも、酷いとしか言いようのない手札を引き継いだが、オバマは、自分に配られたその酷いカードで慎重かつ上手にプレーした、と私は思う。
経済を回復させ、さらなる外交の失敗をほぼ回避したのだから。
しかし、彼は、明らかに変革をもたらさなかった。
共和党の反対の前で、彼は無力にされてしまい、
また、彼は、自分自身の人柄がもたらす限界に苦しんだ。
皮肉な話であるが、オバマの大統領としての弱点は、人間としての彼の長所に在ったように私は、思う。
彼の謙虚さ、あらゆる問題を両面から見ることのできる能力、冷静で控えめな態度、感情に流されない客観的な判断力が、あだとなるなんて、本当に皮肉な話である。
最もアメリカ国民の好きな「変革」をもたらす大統領というのは、良かれ悪しかれ、並外れた自己愛の持ち主であることが多かった。
普通の常識的ないい人、では、なかったのである。
歴史の進路を変える、あるいは少なくともその進行を先延ばしにする能力は、
とてつもなく大きな自我と、非現実的とも思える夢、それに大衆の本能的な感情を非常に高いレベルで引きつける、持って生まれた才能によって決まるといっても、過言ではない。
個性という単純な力によって、彼らは、これまで社会の大原則だと思われていたやり方を変えることができたのである。
ルーズベルト、レーガン、クリントンは皆、その政策に賛否はあるだろうが、明らかに前世紀の政治の形を変えた。
残念なことに、オバマは、変革という点で、彼らと同じ功績をあげることはできなかった。
そして、トランプにはそれができる、と2016年、アメリカ国民の判断は、示したのである。
そして、トランプはすでに歴史上で最も変化をもたらした大統領の中の1人となっている。
問題は、国の指導者が自分の自己愛を、国民のために利用するか、それとも国民の意思に反する形で利用するかである。
私たちは、日本から、同じ時代に、めったにない歴史の転換点を見ているのかもしれない。
またもや、トランプの「No,We can't(私たちにはできない)」なのか、もう一度誰かの「Yes,We Can(私たちはできる)」のか?
私たちも、歴史の目撃者であり、あるこの歴史への意味否応なしの参加者なのである。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
行ったこともないアメリカの大統領について、長文になってしまいました^_^;
私自身は、病気で1番行きたかった、行かなければならなかったときに行けなかったので、なのか、熱が入りすぎました。
......暑苦しく、長い文章に耐えて読んでくださり、感謝しております。
みなさんのおかげで、スマホ1台だけで、楽しく日記が描けることを知ることができたことは、本当に嬉しく私自身の励みになっており、
また皆さまのご覧になられている世界を拝見させていただくと毎日がより彩りを帯びて楽しくなっています。
いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
同感です!!!
毎回同じことを書きますが、続きが楽しみでたまりません!
こんにちは。
いつも読んでくださりありがとうございます( ^_^)
どこまで描けるかわかりませんが、描けるところまで、頑張って描いてみたいなあ^_^;と思います( ^_^)
僕の知らない国アメリカにつての貴重な情報ありがたく読ませていただいています。
次の記事がとても楽しみです。
そしてこのシリーズが終わったときに僕のブログで僕の意見を改めて書かせていただこうと思っています。
洋子さんのブログを読んでいると、自分の結論を出すのはまだ早いな、とはやる気持ちを抑えられます。
お体を大切にしてゆっくり養生しながら書いてください。
こんにちは。
読んでくださりありがとうございます( ^_^)
どこまで描くことが出来るかわかりませんが、描けるところまで頑張って描いてみたいなあ^_^;と思います( ^_^)